羽鳥×千秋

□小夜曲〜serenade〜W
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東京のとある場所にある『丸川書店』の小さな会議室では、エメラルド編集部の面々が千秋を取り囲んでざわついていた。


「へぇ、イラストカットを描くのが上手いじゃないか。これなら本誌の読者ページのイラストに使えるな。」

「本当ですね。鉛筆だけでここまで綺麗に描けるなんて・・・今月号のイラストどうしようかと思ってたんで助かります。」

会議室の机の上で描けと言われて描いた千秋のイラストはエメラルド編集部の編集長である高野に褒められ、その他の編集者達にも認められた。


―――事の発端は、昨夜。


毎号、少女漫画雑誌の『エメラルド』本誌の最後に載せてある読者とのコミュニケーションページのイラストを担当している作家が原稿を落としてしまったことから始まった。

編集を生業としている羽鳥がその穴埋めを誰にしてもらうか思案しながら帰宅した所、羽鳥を出迎えた千秋の落書きを発見する。

暇つぶしに描いていたという鉛筆画は、落書きとは言えないクオリティーの高いもので、羽鳥はその絵を見た瞬間、すぐに思いつく。


 『これは、使える』・・・と。



「それじゃ、本格的な漫画の画材でイラストを描こうか。千秋クンはその調子で描いてもらえればいいからね。」

「あ、はいっ。有難うございます」

律の隣から顔を出した木佐がにこやかに微笑んで画材を手渡してくれ、千秋も顔をほころばせた。

そのやり取りを眺めていた羽鳥は、千秋に絵を描く楽しみを見出せて良かったと心底思う。

昨夜、どうしてそんなに絵が上手いのか尋ねれば、ご主人様の元で『飼育』されている時からずっと、優と二人で絵を描いていたという。

ゲームや玩具などの娯楽を与えて貰えなかった千秋と優は、無造作に捨てられていたゴミ同然の紙に落書きをしては遊んでいたのだ。

『優も絵が上手なんだ』と、羽鳥に教える千秋は、優の事を自慢げに話してくれた。

もしかしたら、この調子で漫画の描き方を教えればプロになるのだって夢ではないかも知れないと、多くの漫画家達を見てきた編集者だからこそ、そんな確信が持てる。

そうなれば、千秋も優もやりがいを見つけ、この世界で立派に生きていけるだろう。

もちろん、漫画家になんてなれなくても千秋の事なら一生面倒見てやってもいいのだと心に決めている羽鳥だったが・・・・


「何?なにか、おかしい?」

「いいや。なんにも。」

自分の描く絵を褒められたことが嬉しくて、気分を高揚させた千秋が目を輝かせて羽鳥を見上げてくる。

共に暮らすようになって数日が過ぎ、最近では何をするにも千秋は羽鳥の顔を見て行動するようになった。

それは、顔色を窺っているとか気を使うとかではなく、羽鳥に褒められたいという一心からだった。

だから、羽鳥はいつも千秋が自分に伺いを立ててくると千秋にだけ分かるように微笑んで見せてやる。

「なあ、トリ・・・聞いていい?」

「なんだ?」

締め切り間近の慌しい編集部の連中は、千秋と羽鳥を会議室に残し、各々の仕事に右往左往している。

その誰も居なくなった頃合を見計らい、千秋はこっそりと羽鳥に尋ねた。

「あの、小野寺って人も、高野編集長も・・・それに木佐って人も『ケモノビト』だよな?」

「ああ、そうだ。相変わらずお前は気配を探るのが上手いな。小野寺と木佐は『ネコ』だが、高野さんは『黒ヒョウ』だ。」

「・・・・黒・・ヒョウ?すげ・・・」

小野寺と木佐がネコっていうのは分かるけど、高野の黒ヒョウっていうのはあまりに気高い獣なので想像がつかない。

でも、聡明で切れ者という雰囲気の高野が黒ヒョウというのは凄く頷ける。

「ちなみに木佐は『黒ネコ』で、小野寺は『雑種』だ」

「雑種?小野寺さんが?そんな風に見えないや・・・なんか、小野寺さんって髪の毛サラサラだから、ケモノビトになっても毛足の長いペルシャネコとかってイメージがするのに・・」

木佐の黒ネコも高野同様にイメージにピッタリだと思うのだが、律の『雑種』だけはどうも腑に落ちない。

「確かに、小野寺が雑種っていうのはらしくないよな。でも、あいつは雑種だが、他のケモノビトとは違う特別な特徴を持っているんだ。」

「特別な特徴?」

それって何?、と首を傾げる千秋に、羽鳥はことさら声を潜めて内緒話のように囁く。


「小野寺はケモノビトになると瞳の色が『エメラルド・グリーン』に変わるんだよ。」

「えっ!?本当に!?瞳の色が?」


普通、ケモノビトは耳と尻尾が生えるだけで、容姿そのものは変わらない。

それなのに、瞳の色が変わるケモノビトなんて初耳だ。

「これは小野寺も気にしているんで本人には話すなよ。瞳の色が変わるせいで小野寺も色々と迫害されたり危険な目にもあっているんだ・・・今は高野編集長の元で暮らしていて守られているから平穏無事に生活してるけどな。」

「それって・・・なんか、俺と似てる・・」

『三毛猫』であるがゆえに数奇な運命を辿って来た千秋と、『瞳の色が変わる』という特徴のせいで辛い過去を持つ律。

そして、今、千秋は羽鳥の元に、律は高野の元に身を寄せて守られている。

なんだか、似たような境遇に千秋は律に親近感を覚えた。

「お前と小野寺はいい友達になれると思うぞ。」

「うん、俺もそんな気がする。」

千秋の心境を読み取った羽鳥の言葉に同意して、千秋は新たな可能性と出会いに感謝するのだった。





「それじゃ、千秋。マンションまで寄り道せずに帰るんだぞ?」

「心配しなくても大丈夫だって!トリは俺のお母さんみたいだ。」

仕事が忙しくて千秋を送ってやれなくなった羽鳥は、先ほどから何度も『気を付けろ』だの『知らない人にはついて行くな』だの、仕舞いには『拾い食いするな』などとまで言い出し千秋に念を押す。

確かに自分は世間知らずで、逃亡して来た身の上だから何時追っ手に見つかるか分からない危険もある。

でも、昼間の時間帯なら普通の人間となんら変わりないし、気配さえ消せば同じケモノビト同士でも気付かれる事も無い。

千秋はこう見えても、気配を消す能力には優れているので心配には及ばないのだ。

それを羽鳥も知っているからこそ、こうして千秋を1人で帰らせることにしたのだが、やはり心配は付きまとうもので・・・


「じゃあ俺もう行くね。トリ、お仕事頑張って!」

「あ、おい、こら!千秋!」

羽鳥との押し問答に焦れた千秋は、このままでは埒が明かないと思いさっさと羽鳥に別れを告げ、足早に丸川書店を後にする。

羽鳥の戸惑う声を聞きながら、千秋は久し振りの外出に心躍らせた。

逃亡してるという理由だけでなく、千秋は優と離れてから家に引きこもってばかりの生活を送っていて、羽鳥が散歩に誘ってくれても気乗りしなかった。

でも、今日、丸川書店で美濃に出会い、優が元気でやっていることも、少しずつ症状も良くなって笑うようにもなったのだと聞かされ千秋の気も晴れた。


・・・・優が元気になったなら、俺だって負けてられない。


これからこの世界で生きていくためにも、自分の可能性を広げていかなければ・・・


その踏み出す一歩の足がかりが、自分の描く絵やイラストだったらどんなに楽しいだろうかと考えると自然に千秋は足取りも軽くなり、澄み渡る空を見上げながら鼻歌交じりで街を歩く。


そんな浮かれ気分の千秋だから、一瞬の隙が出来たのかも知れない。


その気の緩みが、ケモノビトの気配を完全に消しきれない事態を招いた。


――否、気配を完全に消していたとしても、この人物の前では無意味に等しい・・・



「迷子の迷子の子猫ちゃん。貴方のお家は何処ですか?」

ふざけたような明るい口調で、千秋の足を止めさせたのは、スラリと背の高い青年だった。

一見すると優しそうな感じではあるが、油断ならない何か危機感のようなものを感じて千秋は後ろに下がる。

千秋が警戒しているのが分かったのか、青年から笑顔が消え、冷たい表情に変わった。

綺麗過ぎる端正な顔立ちはあまりにも冷酷に見え、強い肉食動物の気質さえ感じられたが、この青年はケモノビトではなく、人間だ。

その人間が、ケモノビトである千秋を見つけ出せるというなら、考えられる事は一つ。


―――この人間はケモノビトを捕獲する『狩人』だ。



「おや?案外勘のいい子だね・・・俺が『狩人』だって気付いたみたいだね。そうだよ、俺の名前は『高屋敷』・・・・君を捕獲する為に雇われたのさ。」

「・・・・高屋敷・・・・お前・・・」

高屋敷と名乗る青年は自らを狩人と言い放ち、千秋の捕獲を予告してきたのだ。


―――ダメだ・・・このまま帰っても、丸川書店に戻っても、羽鳥やみんなを巻き込んでしまう・・・


狩人である高屋敷に羽鳥を始めとするケモノビトの仲間の存在を知られる訳にはいかないと、千秋は誰の助けも得られないまま高屋敷から逃げる事を考えた。

今はまだ昼間だが、ケモノビトの千秋なら、人間である高屋敷より身体能力が優れている。

このまま高屋敷を煙にまいて逃亡するのは、そう難しい事でもない。


覚悟を決めた千秋は、ゴクリと息を飲むとそれを合図に駆け出した。


・・・・遠くへ、出来るだけ、遠くに逃げなきゃ・・・俺のせいでみんなを危険には晒せない。


踵を返し、脱兎の如く走り出した千秋の後姿を眺めながら高屋敷はその場に佇んだまま不敵な笑みを見せた。


「さあ、楽しい『子猫ちゃんの狩り』の始まりだ・・・」

さも楽しくて仕方が無いといったふうな高屋敷が、ふいに片手を振りかざし空を切る。


その途端、高屋敷の背後から数人の影が現れた。

高屋敷の合図で現れたのはケモノビトでありながら狩人の意のままに服従する『狩猟犬』達だった。

同族のケモノビトを狩る事になんの躊躇も無いイヌのケモノビトである彼らは、千秋に勝るとも劣らない素早さで千秋の後を追いかけ始める。



狩人の高屋敷が言うとおり・・・

・・・『狩り』の始まった瞬間だった。
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