羽鳥×千秋
□小夜曲〜serenade〜U
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毎晩繰り返される優との交尾で朝はいつも身体が重く起きられない。
それでも毎日洗濯されたシーツからはいい匂いがするし、太陽の光を浴びて干されている布団はフカフカして心地良くて嬉しくなる。
そんな贅沢な朝を迎えられるようになってから数週間が過ぎ、千秋はいつものように1人でベッドにもぐり込みまどろむ。
いつまでもこうしていたいけどお腹が空いてきて、それに合わせる様に朝食が出来る匂いが千秋の鼻をくすぐった。
「やった。今朝のご飯はトリのお味噌汁だ!」
空腹に勝てない千秋は、ここに来てからというもの毎日羽鳥の作る絶品料理の匂いに釣られて起床している。
千秋は節々に痛む身体にもめげず寝癖でボサボサの髪もそのままに羽鳥や優が居るリビングへと急いだ。
「トリ、優、おはよう!」
「おはよう、千秋。すごい寝癖だな。」
「ちあき・・・ちあきー・・はよー」
千秋の朝の挨拶に返って来る言葉はどこまでも千秋のすさんだ心を癒してくれた。
にこやかに微笑むは羽鳥は、キッチンから出来たばかりの朝食を千秋に差し出してくれて、優も少しずつだが言葉と落ち着きを取り戻しつつある。
羽鳥が言うには優の症状は、感度の高すぎるケモノビトが何度も交尾をした事による一時的な精神的ショックらしく、優が自分を取り戻すのも可能だと言われた。
時間をかけて根気良く優と向き合い治療に専念すれば、きっと優を取り戻せると知って、千秋は希望を持った。
「千秋、朝飯を食べたら今日は出かけるからな。顔を洗って用意しろ。」
「出かけるのか?何処に?」
羽鳥の家で暮らすようになってから、近所を散歩に行ったり、買い物に行ったりはしたが、やけに改まって予告するあたり今回はそうではなさそうだった。
首を傾げて不思議そうにしている千秋に、羽鳥は『知り合いの所に行く』と付け足して熱すぎた味噌汁を猫舌の千秋のためにフーフーして冷ましてくれる。
「ご飯にお味噌汁かけて『ねこまんま』にしていい?」
「ダメだ。行儀が悪い。」
優しい羽鳥に甘えて、テレビを見て知った『ねこまんま』をしたいと言ったが却下されてしまう。
羽鳥は変なところで躾けに厳しいというのも、最近知った事だった。
初夏の日差しが爽やかな朝の風に吹かれて、優は終始ご機嫌な様子で歩いている。
「優!帽子取るなよ。」
「ちあき、ぼーし。いっしょ。」
朝とは言え明るい日差しに肌が焼けるのを防止するためと、追っ手に見つからないよう顔を隠す目的で被せた帽子だが、優には少々お気に召さなかったようで、すぐに帽子を脱ごうとした。
「そうそう。一緒の帽子だよ。だからちゃんと被ってて。」
お揃いの帽子は羽鳥が買い与えてくれたものだ。
帽子だけじゃない。
着の身着のままで逃げてきた千秋と優に羽鳥は部屋とベッドを提供し、食事と衣服も与えてくれている。
しがないサラリーマンだよと言う羽鳥の元に居候が二人も転がり込んでいるのは流石に気が引けるが、何処にも頼れる場所が無いのでどうしようもない。
「お前等、あんまり騒ぐなよ。ただでさえ目立つ容姿してるんだから」
「目立つ・・・容姿?」
じゃれあう千秋と優に向かい、羽鳥が注意を促してくるが、言ってる意味が分からない千秋は聞き返す。
「綺麗な顔してるから、通りすがりの人に結構見られるんだよ。半分はケモノの血が流れているのにそんなことにも気付いてないのか?」
「綺麗って・・・そりゃ、優は綺麗な顔してるけど・・・」
優は人の姿でも綺麗だし、白ネコの姿になっても綺麗だけど、自分はそうではないから分からないと言うと、羽鳥は『お前だって綺麗だ・・いや、可愛いと言った方が正解かな?』と真顔で答える。
可愛いなんて言われたのは初めてだった千秋は、恥ずかしさにそれ以上何も言えなくなってしまった。
それから暫らく歩いて、着いた場所は羽鳥の仕事仲間という人のマンションだった。
「こんにちは。美濃奏って言います。」
羽鳥と同年代くらいと思われる青年が目を細めて千秋たちに挨拶をして出迎えてくれる。
優しそうな美濃という人物は、普段から笑顔を絶やさないのだろう。
自然な笑顔が零れている温厚な人柄に、千秋も戸惑いながら挨拶を返す事が出来た。
優の方は千秋以外には興味を示さないので、あさっての方向を見て挨拶もしなかったが、その辺の事情は羽鳥からあらかじめ聞いていたのか気にはしていないようだ。
そして、リビングに通され、ソファーに座らされたところで、羽鳥が話を切り出す。
「今日は、優を美濃の家で預かって貰おうと思って連れて来たんだ。」
「・・・え?」
・・・優を美濃の家に預ける?
耳を疑う言葉に、千秋は羽鳥の言った言葉を復唱してしまった。
「美濃は俺の仕事仲間であり、『ケモノビト』だ。信用出来るし、優の精神を取り戻す手助けをしてくれるだろう。」
「そんなっ!優は俺と離れると機嫌が悪くなるし、怒らせると手が付けられなくなるんだ・・・それに夜はケモノビトになるから俺が居ないと・・・・」
・・・自分が居ないと、優は『交尾』出来ない・・、と言い掛け、千秋は口をつぐんだ。
「それが、優の精神を取り戻す邪魔をしているんだよ、千秋・・・お前達は互いに依存し過ぎてお互いに負担となり傷付けあっていることが分かっていない。」
「依存って・・・俺と優は子供の頃から一緒だったから・・」
物心がついた幼少期には、すでに千秋と優はご主人様に飼われている身分だったので一緒に居るのが当たり前だったし、互いで慰めあうことで虐待からも耐えてきた。
そんなご主人の元から命からがら逃げ出し、やっと優と二人で暮らしていけると思っていたのに、いまさら引き離されるなんて・・・
「千秋クン、心配しなくていい。優の事は僕が責任をもって面倒見るし、必ず優の精神を取り戻すって約束するよ。」
「・・・美濃さん・・」
自分の意思が無い優に決定権は無いから、美濃にそう言われると千秋は何も言い返せなくなってしまう。
それに、優は羽鳥の時と同じく、美濃に対して威嚇することも警戒することもしない。
自我を失い発狂しているせいで、優は千秋以外の人間には怒りを露にするというのに・・・・・
・・・この、美濃っていう人も、ケモノビトの気配はするが、正体までは分からない。
にこやかに微笑むその笑顔の裏では、圧倒的な威圧感をもって弱者を支配してしまう強い獣の匂いが感じられる。
例えるなら、百獣の王であるライオンと似てるけど・・・
もし、本当にライオンの血を引くケモノビトなら千秋はとっくの昔に食べられているだろうし、そもそもライオンなどというケモノビトは聞いたことも見たことも無い。
考えすぎだろうと思っていると、羽鳥がおもむろに席を立ち、千秋に帰りを促してくる。
「それじゃ、優のことをよろしく頼むぞ。」
「分かってるよ。子猫ちゃんの一匹くらい面倒みるさ。しかも、こんなに美人なネコなら大歓迎だ。」
優をソファーに残し、羽鳥は千秋の手を取ると玄関に向う。
戸惑いながら振り返った先には、ソファーの上に腰掛けたまま美濃と向き合う優が目に映り、千秋を追いかけて来る様子もない。
いよいよ本当に優を美濃に預けて、自分達は離れ離れになるのだという実感が湧いてきて、千秋は不安で羽鳥を見上げた。
「大丈夫だ。安心しろ・・・」
「トリ・・・」
―――大丈夫。安心しろ。
羽鳥のこの一言は、いつも千秋の不安を取り除いてくれる魔法の言葉。
羽鳥にそう言われると、本当に全てが上手くいくような気がして、千秋は手を繋がれたまま美濃の部屋を後にするのだった。