*世界一初恋*

□海を泳ぐ金魚。
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〜はじめに〜
10年前のお話になりますので、高野さんが嵯峨先輩になってます。









***



黄昏の街―――

降り出した雨に歩く人なみは、駆け足に変わり、駅に向かい急ぐ。


そんな風景をカフェの窓際で、一人見ている律はふと、遠い昔を思い出す。



―――打ち付ける雨の雫が窓に幾つも流れ落ちて、まるで、海の中に居るみたい・・・

人々は群れをなす魚のようで―――


 10年前のあの日。

自分もこんな雨の中を駆け足で駅に向っていた。

顔を真っ赤にした『金魚』みたいに・・・








「今度の土曜日、俺ん家に泊まりに来ないか?」

そう言われたのは金曜日の放課後、図書館で肩を並べて本を読んでいた時だった。

高校生でありながらすっかり変声期を終えた先輩の声。

重低音を伴う大人の男の声で囁かれるのは、同じ男でもまだ声変わりをしきれていない律にとって、憧れであり痺れるような色気を放っていた。

勿論、声だけじゃない。

何気ないふとした仕草、大人びた表情、逞しい腕、厚い胸板・・・・

嵯峨は全てにおいて律の理想であり、恋焦がれてしまう存在だった。



・・・・その、高嶺の花とも言える嵯峨から『家に泊まりにおいで』なんて言われると・・・


「お前、人の話聞いてる?何固まってんの?」

放心状態になるのは致し方ないと律は思う。

「き、き・・・聞いてます・・・はい・・しっかりと、両の耳で!!」

「聞いてるのは分かったから、返事は?泊まりに来るの?来ないの?」

断れる筈なんてない。

でも、泊まるにあたり色々質問があるのも確かなので・・・

「あの、でも・・・先輩の親は・・・?」

「だから、居る訳ねぇだろ?」

先輩の家庭事情は思わしくないと知っていたから、家に誰も居ないのは薄々分かっていた。

分かっていながらそれを聞いたのは、『ひとつ屋根の下、ふたりだけで夜を過ごすのですか?』と直接聞けないから。

・・・ふたりきりの夜。

それは、付き合い始めた恋人同士がどんな夜を過ごすか分かりきっている事で・・・・

というか、先輩はそもそも『そのつもり』で自分を家に招いているのも、同じ男として気持ちは分かるし・・・

でもまだ、先輩との『アレ』は慣れてなくて、正直、気持ちいいより痛い方が根強くて・・・


「どっちだよ!?こら!」

「うわああっ!!行きますっ!!ぜひお邪魔させて下さい!」

悶々とひとり邪な考えをしている所に嵯峨の一喝が入り、律は弾かれるようにしてお泊りを承諾してしまった・・・・


そして、土曜日の午後。


小雨が降り出した駅前通りの道を、ボストンバック抱えた律が傘もささずに駆けていた。

それを、駅まで迎えに来てくれていた嵯峨が目撃して、律の事を真っ赤な金魚みたいだと言ったか言わないか・・・・

その辺りは律本人が嵯峨を目にして有頂天になってしまっているのでよく聞き取れなかった。

わざわざ律の最寄の駅まで迎えに来てくれた嵯峨と一緒に、律は2駅向こうの嵯峨の家まで電車に揺られる。

カタン、コトン。

カタン、カタン・・・

がら空きの車内にも関わらず、律は緊張のあまり座席に座る事も出来なくて、ドアの手すりを握り締め車窓の景色を眺めていた。

「・・・お昼、食べた?」

「は、はいっ、食べてきましたっ!」

律のすぐ背後に立つ嵯峨に囁かれ、流れる景色など実際は目にも入らない。

「じゃ、晩御飯どうしようか?外に食べに行く?」

「あ、いえ・・・その・・・折角なんで・・・家で、食べたい・・・です・・」

外食なんてすれば、嵯峨が隣に居るだけで挙動不審になる自分を、周囲の人が変な目で見るに決まっている。

それがどうしようもなく恥ずかしくて、律は家で食べる方を選択したのだが、嵯峨の方はそうは思わなかったみたいで・・・・

「へぇ、折角のふたりきりの夜を楽しみたいんだ?」

「へ!?ふたりきりっ・・・て、え?あ?そうじゃなくて・・・いや、そうなのかな?あれ?」

嵯峨のたった一言でどぎまぎして慌てふためく律を嵯峨は苦しそうに笑いを堪え、『じゃ、帰り道でコンビニ弁当買おうか?』と言ってくれた。

・・・・初めての『お泊り』。

記念すべきディナーはどうやら『コンビニ弁当』に決まった。



電車を下りて、コンビニで弁当とジュースとお菓子、そして朝食用の菓子パンやサンドイッチを買い込むと、ますます家に閉じこもるって臨場感が迫ってくる。

嵯峨の購入したコーヒーを見ると『夜明けのモーニングコーヒーを貴方と二人で。』なんてフレーズが脳裏を掠めるから、かなり重症だ。

家に着くまで有り得ないくらいの妄想をしこたました律だったが、いざ嵯峨の家に足を踏み入れると、不思議と空虚な気持ちになる。

飾りけの無い家。
それは写真の一枚も、娯楽の道具も置かれていない味気ない空間。

殺風景な部屋。
それは綺麗に片付いているが、生活感が無く本だけが無造作に積み上げられている場所。

今時の若い男の部屋じゃなく、嵯峨の部屋は雨風がしのげて本が読めて寝れるならそれでいい・・・そんな感じをありありと主張している。


―――そんな砂の城のような儚くて乾いた部屋に招かれた律は、嵯峨にとってどんな存在なのだろか?

―――嵯峨の瞳に、自分はどう映っているのだろうか?

高く積み上げられた本の一部?

殺風景な部屋に気紛れに置かれたオブジェ?

 それとも―――


「とりあえず、DVDでも観る?古いやつしかないけど・・・・どれがいい?」

大きな掌にズラーと広げて持たれたDVDの数々に、律は神妙な面持ちで答えた。

「あ、えと・・・そうですね、じゃ、『南極物語』で・・・」

「・・・お前のチョイス、渋いな・・・」

「ええっ!名作じゃないですか!タローとジローですよ!」

手に持たれたDVDの中には『ゴースト』とか『プリティーウーマン』とかもあったけど、嵯峨の隣で恋愛映画を観るのは耐え切れなくて、律は無難に動物映画にしたのだった。
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