『奥の細道』

□奥の細道@
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……カチャンッ。



ふたつ並んだ隣同士の扉が、示し合わせたように同時に開く。

 日常的な朝の光景。

「・・・T大に行くにはまだ早いだろ?」
「別に・・ゆっくり歩いてれば丁度いい時間になるんだよ。」

そしてまた、ふたり同時に鍵を掛け、マンションのエントランスを目指す。

M大の大学教授をしている宮城は学生と比べて学校に行く時間は早いのだが、忍が宮城と同じ時間に家を出るというのはどう考えても早すぎる。

理由は極々単純明快なのだが・・・


「車で送ってやろうか?」
「そんな事したらますますT大に早く着いちまうだろ・・」
一瞬、ほんの僅かだが、忍の表情が明るくなって、それからハッとしたようにいつもの生意気な顔になる。

「いや・・だからM大まで乗せてやる。そこからT大まで歩け。」
「うげ・・めちゃめちゃ遠回りじゃねぇか・・・」
あからさまなに嫌そうな顔をしていても忍はちゃっかり宮城について駐車場にまで足を踏み入れていた。

「若いモンは足腰を鍛えとけ。」
「・・・勝手な時だけガキ扱いしやがって・・・じゃ、ドライブスルーでバーガーおごって。」
プイッ、とそっぽを向いてわがままを言う忍を、宮城はもう幾度となく見てきた。

「車に乗せてやった上にバーガーを買わすのか?お前は?」

「・・・・一緒に食べたいんだよ・・」


 これだ。

忍はいつもこうやって真っ直ぐな想いを包み隠す事なく宮城に打ち明ける。
本人にそのつもりはないのだろうけど忍の言動や仕草のひとつひとつは宮城の心をほんわかさせるのだ。

歳のせいだとか、時間がない忙しさのせいにして、自分がうっかり見落としてきたものを忍は自然に拾い上げては宮城に届けてくれる。

『朝一番に宮城の顔を見れて嬉しい』とか。
『一番最初におはようが言いたかった。』とか。
『一日が本格的に始まる前のひと時を一緒に過ごしたい』・・・・

なんて忍が言ってる訳ではないが、その気持ちはひしひしと伝わってくる。


「・・・何バーガー食うんだ?」
「チーズバーガー・・・あと、バニラシェイクも。」

「お前・・・・」

宮城の車からキーレスエントリーでロックの外れる音がした。






「なんだよ、宮城・・・M大の職員駐車場まで俺を連れて来るなよ。」
「道端で降ろすほうが通学途中の学生の目につくだろうが。」

大学の敷地内にある教職員用駐車場に車を停めた宮城はタバコを取り出し一服する。

「校内禁煙だから一本吸い終わるまで付き合え。」
「・・・んな事言って、自分の研究室ではプカプカ吸ってるじゃん。」
「それはそれ。運転後の一服は美味いの。」
肺に溜め込んだ煙を、宮城は開けた窓に向かって吐き出した。

これでも忍に煙がいかないように配慮しているのだ。

誰の人影もない駐車場の風景を眺めながら、もうすぐ離れなくちゃいけないんだな・・・と忍は感傷的になる。

宮城は自分との別れ際にはいつもタバコを吸い、それを吸い終えるまで忍を待たせた。
それはまるで、忍に離れる覚悟をさせるために時間を与えてくれているようで・・・

微かなタバコの匂い。
宮城から煙の吐き出される息使い。

たゆたうような静かな時間を大切に慈しみながら、ただ待つだけの時間が忍は好きだった。

そうしてタバコを灰皿に押し付ける音が聞こえたら別れの合図だ。

「・・・・じゃ、俺・・・行くから。」
「ああ、勉学にいそしんで来い、学生。」

流石にふたり並んで出て行くには無理があるので、忍は宮城より先に車を降りる。

 その刹那。


「・・・忍。」

「え?」

振り切るように背を向けた途端、グイッと手首を掴まれ引き寄せられ、浮いていた腰が再びシートに沈んだ。

呼ばれて振り返れば宮城が至近距離にいる。

 宮城の唇が触れる。

 ほんの一瞬だけ。


「・・・唇にバーガーのケチャップ、ついてた。」

「・・・・あ・・ぁ、そう・・・」

これはキスではなく、唇についたケチャップを舐め取っただけだと言う宮城は卑怯だと忍は思う。

いきなりキスなんてしてきて、自分は涼しい顔してるのだから。

キス・・・じゃないだろうけど、キスまがいの事をされたこっちは心臓がはちきれそうになっているというのに・・・

おかげで、もう二度と顔が見れなくなってしまったじゃないかっ!

「行って来ます!」
「おぅ。」

もう一度だけ、顔見たかったのに・・・という未練を残しながらも、キスしてくれたから帳消しにしてやろう・・と思い直して今度こそ忍は宮城と別れるのだった。






「校内禁煙になって仕方なく隠れてタバコ吸ってりゃ・・・これは、面白いモン見れたじゃん。」

木が生い茂った駐車場の外れで、一人の男子学生が笑いながら煙を吐き出した。

「宮城教授は間違いないとして、相手の子は学部長の息子だよなぁ・・・すげ、これって大スキャンダルじゃねぇの?」
吸い終わったタバコを携帯灰皿に押し込むと男子学生は元来た道へと戻り始める。


「・・・さぁて。どうしてやっかなー。楽しみだねぇ・・」

学生が立ち去った後にはタバコの残り香だけが風に晒されていた。





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つづく
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