ロマンチカ

□涙で滲む空を見上げて
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こうこうと明かりの点る蛍光灯の下で、美咲は何度目かの目を覚ます事になる。

頬を滑る張りのあるシーツに、これが新品の品であるのだと検討をつけた。
昨日・・と呼んでいいのか分からないが、さっきまでの性行為はシーツの上で行われなかった。

しかし、その前の行為でシーツは互いの精液と美咲の血でグチャグチャになっただろう・・・
それを秋彦が洗濯する訳などないし、クリーニングにも出す筈がない。

汚れては捨て、新しく買い足していくの繰り返しに違いない。

「・・・勿体無いなぁ・・・お金は無駄使いせずに老後に蓄えましょうって言ってるのにさ・・・」
自分の状態を無視して、どうでもいいような心配ばかりしてみる。

余計な事を考えていたかった。
今の自分を見たくも考えたくもなくて・・・


特に、昨日の行為は非情とも言えるものだったから・・・

枯れた声ですすり泣いては引きつるような悲鳴をひっきりなしに上げ、抵抗すら出来なくなった美咲を秋彦は一晩中攻め続けた。

許しを乞いながら失神しても、意識を失う事を許さず再び目覚めさせられ喘ぐように命令された。

『もっと俺を欲しがれ』『気持ちいいんだろう!?啼いてよがって見せろ』
秋彦の切羽詰るような罵声が今も耳について離れない。

相手を思いやるとか、快感を与えてやろうなんて毛頭もない行為はそれこそ本当に暴力以外の何者でもなかった。

気持ちだけが取り残されて、体だけが強引に絶頂を迎えさせられる。
快感なんて無く、身体のナカを掻き回されて、息をするのも困難に感じるほどの悲壮な状態で美咲は精を搾り取られた。


ボロギレのように疲れ果てた四肢をおざなりに敷かれた布団の上に投げ出して美咲は天井を仰ぎ見た。

「・・・空・・・見たいな・・・」

幾重にも重なった建築物の上には間違いなく空が広がっている筈。

時間も日付も昼夜も分からないけれど、この上には間違いなく空がある・・・・

夢遊病者のように両手を伸ばせば、そこに拘束されるものはないので自由に動かせた。
どうやら縛り付けていなくても、身体が言う事を利かないから拘束する必要はないと判断したのかも知れない。

そして、その秋彦の予想は正しく、美咲は拘束がなくとも動けなかった。

伸ばした手すらも長くは持ち上げていられなくて、一瞬後にはパタリとシーツに落ちてしまう。

女ではないのだから強姦されたとしても泣いたりなんかはしない。

ただ・・・無性に心が痛い。

痛む場所が分からない。

痛みが何処に向かおうとしているのかも分からない。

なにが?誰が?

こんなにも痛くさせるの?



「・・・美咲、目を覚ましていたのか?」
静かに開けられたドアのせいで、秋彦が声をかけてくれるまでその存在に気づかなかった。

・・・ウサギさん・・・、と唇はその形に動いてもその音を発する事まで出来ない。
出ない声のまま、美咲は首だけを横に向けて秋彦を眺めた。

手には洗面器とタオル、もう片手にはトレーに乗せられた食器とコップが見えた。

それだけで秋彦が美咲に食事をさせて、身体を清めようとしているのが分かり、とりあえずセックス目的で部屋を訪れたのではないのだと安堵した。

「よく眠っていたな・・・半日以上は眠りっぱなしだった・・・」
秋彦がそう言うので『今、何時なの?』と聞き返しそうになったけど、それを言えば秋彦の逆鱗に触れそうな気がして言うのを躊躇った。

「綺麗に拭いたつもりだったが、まだ髪に付いていたな。」
身を屈めて秋彦がそう言うのは、美咲の髪に付着した精液が固まっている部分の事だ。

先の性行為の最中、美咲は顔に精液をかけられた。
いわゆる『顔射』というやつだ。
行為の終わりにあらかた拭き取っては貰ったが髪にまだ残っていたらしい。

「今度はお湯で綺麗に拭いてやるからな・・・傷にも薬をつけてやる・・・その前に少しでも食べ物を口に入れておけ。」
カチャカチャと甲斐甲斐しく秋彦はトレーからお粥の入った茶碗を取り出し、美咲に食べさせようとしてくれた。

突き出されたスプーンを見て、美咲は正直食欲は無かったが、逆らう気力もないので嫌々ながら口にした。

「粉薬だけど、飲めるよな?痛み止めと化膿止めの薬だから苦くても飲んでおけ。」
薬の効能を聞いて、自分の下肢が酷く傷ついているのだと思う。

起き上がる事も困難なのでどんな状態か見れないのがいいのか、悪いのか分からないまま近づいてくる秋彦の唇を受け入れた。

「ん・・・ふっ・・・・」
秋彦の口に含まれた薬の混じった水を口移しで飲み込み、ゆっくりと嚥下する。

「次は塗り薬な。」
「ぁ・・・ウサギさん・・・やだ、そこっ」
額に掌を置いて、秋彦はそろりと片方の手を美咲の下半身へと伸ばした。

クチュ。
「ひぅっ・・ぅううっ!」

薬を伴った粘る音に身体がビクつく。

「ただの軟膏だから滲みない・・・怖がるな。」
「んっ・・・でも・・・気持ち・・わる・・・」
襞の一枚一枚を確かめるように捲りつつ塗り込められる軟膏に美咲は痛みよりもヌルつきの気持ち悪さに嫌悪した。

「ナカも傷ついているから、指を入れるぞ。力を抜いていろ」
「やっ、ウサ・・・ギッ・・・いた・・ぁ」
軟膏の滑りを借りてツプリと侵入してくる秋彦の指を美咲は否応も無く招き入れた。

身体のナカの痛みに美咲は戸惑い、秋彦に縋るように腕を掴み、足は全てを任せるように開いていた。
そんな美咲の仕草に満足したのか秋彦は終始穏やかな表情をしている。

その後はお湯とタオルで簡単に身体を清めて貰い、軽くて暖かな羽毛布団をかけてくれた。

「暫らく安静にしていれば薬も効いてきて楽になる・・・俺は仕事があるからリビングに居てる・・・大人しくしていなさい。」
つまりは、動けるようになっても下で自分が居てるから逃げ出そうなんて考えるな・・・という遠まわしな言い方をして秋彦は美咲の頬にキスをした。

脅迫めいた言葉を残し、離れていく秋彦の身体を掴んで止めたのは美咲の手だった。


「・・・美咲?どうした?」
陵辱者である秋彦を自らの手で繋ぎとめた美咲。
動揺の窺える秋彦の瞳に美咲の微笑みが映った。


「ウサギさん・・・・今、空は何色?」

----空の色を、教えて。

傷ついて疲れきった美咲の手が、信じられない程強く秋彦の手首を掴んでいた。

まるで、逃がさない・・・と言ってる様に強く、きつく、絡み付いている。


「・・・空・・の色?」
「そう・・・空の色だよ。」

傷ついた美咲にはほとんど力は残っていない。
動けないのは美咲に手首を握られているせいじゃなく、秋彦自身が強い意志で自分を見据える美咲に圧倒されて金縛りのようになってしまっている。


「・・・・空・・は・・・」
「教えて、ウサギさん。空の色だよ・・」

これではどちらが囚われの身か分からない。
秋彦は美咲に言いようの無い恐怖すら感じていた。

「空は・・・今・・オレンジ色・・・」

どんなに穢しても、決して穢れる事のない真摯な瞳から逃れたくて秋彦は口を開いた。

窓の塞がれたこの部屋では、秋彦の告白通り、オレンジ色かどうか確かめる事は出来ない。
でも、美咲はそれでよかった。
秋彦が空を見上げていたのだと分かればいいだけだった。

自分は見上げる事の出来ない空を、秋彦がちゃんと見ているならそれで良かった。


「じゃぁ・・・あの、納戸の窓から見ていた空は何色だったの?」


------使い古されて、置き去りにされた物達がひっそりと埃にまみれて佇む納戸の窓際に座って・・・・

ウサギさんは何色の空を見上げていたの?



「お前・・・なんで、それを知って・・?」
「ウサギさんの見上げていた空・・・・俺も一緒に見たかったな・・・・無理だけど、もう・・・」
小さな子供の頃に秋彦が見上げていた空なんて今の美咲に見る事は叶わない。

けれど、教えてもらう事は出来る。
そこから、秋彦の見上げた空の色に思いをはせる事が出来る。

------あの時のウサギさんに近づけるから。

「ウサギさん・・・教えて。」

------ウサギさんの空の色を。

「・・・余計な事は考えずに寝ろっ!」
布団に寝転ぶだけの美咲に対して、秋彦は恐れを成すように慌てて立ち上がった。
何もかも、見透かされているような美咲の瞳が怖くてならなかった。

忌々しそうに顔を歪ませているが瞳は潤んで揺れている。

「だめ・・だよ・・・ウサギ、さん・・・それじゃ・・・空が滲んでしまう・・・」

痛む身体を横に向けて美咲は立ち去る秋彦に手を伸ばすが、秋彦は振り返る事もせず部屋を飛び出してしまった。


-----同じなんだよ・・・

美咲は空を掴む自分の掌を見つめ、そう囁いた。

たくさんのクマのぬいぐるみに囲まれた部屋。
忘れ去られた道具達が所狭しと置かれた納戸。

窓の無い部屋。
窓のある納戸。

見上げたかった、知りたかった・・・空の色。
見上げられなかった、知りたくもなかった・・・空の色。

閉じ込められた美咲。
閉じこもった秋彦。

きっと、同じだったに違いない。



-----どうか、ひとりきりで泣かないで。

 見上げた空を涙で滲ませないで。






*****
つづく。
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