『奥の細道』

□奥の細道〜最終話〜
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もし、この運命の恋が終わりを告げるなら。

一緒に死んでくれる?



 辿り着いた道の果てで。






『宮城君、死んだ人はもう帰っては来ないのよ?』

先生の死を受け止めきれない子供の自分に、先生の両親はそう言った。

それは残酷な言葉。

最愛の子供の死をあえて口にしなければならなかった親の気持ちは子供を持たない俺の心でさえも深く抉った。

・・・そして、今、俺は子供のように大切に思う恋人が出来た。

だからこそ、今なら先生の両親の気持ちが痛いほど分かる。

もしも、忍を永遠に失う事があれば、俺も生きてはいけない。




「・・・忍、死んだ人は帰って来ないんだ・・・」

立ち込める朝の空気を肺一杯に吸い込み、深呼吸をした宮城は前を見据えた。

鈍く虚ろな輝きだった瞳は、門扉から出てきた『角』を見つけた瞬間にぎらついた眼光に変わる・・・・

憎い。憎くて憎くて仕方が無い。

死ねば良いとさえ思える。

死んでしまえば、こいつは二度と忍の前には現れないだろう・・・・

 それで、忍の苦しみは終わる。


「宮城・・・教授・・?」

自宅を出て、すぐの場所に佇む人物は異様な雰囲気を放っていて、角はそれが宮城だと察した。

いつか分かると思っていた。
いつか来るんじゃないかと予感していた。

・・・いつか、殺されるんじゃないかと覚悟していた。


自分は、それだけの事を忍にしてしまったのだから・・・

帽子を目深に被り、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、宮城はゆっくりと角にむかって詰め寄って来る。

片方のズボンだけが不自然に膨らんでいるのは、その中に凶器が隠されているからだと角には分かっていた。

分かっているのに逃げられないのは、恐怖ではなく、己の犯した罪の意識から。

「訳なんて聞きたくない・・・謝罪なんてするんじゃねぇ・・・お前にそんな権利ねぇんだ。」

文学で教鞭に立つ教授とは到底思えない乱暴な口調からは殺意が漲っていた。

後ずさる事も、声を出す事も叶わない角の目の前にキラリと光る鋭利な刃物が映る。


「お前がこの世に存在すると・・・・忍が生きてはいけないんだ・・・」

―――忍・・・

―――お前の望む世界を与えてやるよ。

―――怖いものなんて、もう何もないって約束してやるから・・・


辿り着いた『奥の細道』の先で、お前だけは新しい未来に向って歩んで行って欲しい。

振りかざした刃物が落ちる時、全てが終わる。

―――忍。

 最後にお前の声が聞きたかった。






「やめてえぇ―――!!」


空気を切り裂くような悲痛な叫び声が、高く、高く、空を突き抜ける。

その声は、暫らく聞けずにいたままの忍の声にとても良く似ていて・・・・・


・・・・忍?お前なのか?



……カランッ!!


腕にいきなりの鈍痛が走った後、手にしていたサバイバル・ナイフが放物線を描いて空を舞い、乾いた音を鳴らして歩道に転がった。

目の前には驚愕に震えている角の顔がある。

彼は一歩も動けない状態でその場に固まっていた。

それは、宮城も同じ。

腕に鈍い痛みだけを残して、何が起こったのか分からず、宮城はひどく動揺したまま緩慢な動きで振り返った。


「野分っ!大丈夫か!?」

忍に良く似た声の主が、道路に倒れこむ人に駆け寄り同じようにしゃがみ込んでいる。


「・・・・上條・・?」

呆然と立ち尽くす宮城に構わず、上條は倒れ込んだ野分の足から流れる血を止めようとしていた。

「平気ですよ、ヒロさん・・・ナイフを蹴り飛ばそうとして刃先が少しかすっただけです。」

「馬鹿か!こういうのは合気道の心得がある俺にやらせろ!!先に走り出して・・・勝手な事して・・・」

叱咤しつつもお互いを思い心配し合う、野分と弘樹の姿を見て、ようやく自分が野分にナイフもろとも腕を蹴り飛ばされたのだと知る。

ハンカチで止血して、野分は血が止まったのを確認すると、弘樹の手を借りて立ち上がった。



「どうして・・・ここに?」

ようやく出た一声で宮城が尋ねる。

「・・・・忍くんが、ホテルの電話を使って連絡をくれました。頭のいい子ですね・・・ちゃんと俺の携帯番号を暗記していたんですよ。」

「忍が・・・?だって、あいつは声が・・・」

二コリと微笑むだけで何も語らない野分が、温厚な人柄を滲ませ宮城の前を通り過ぎて行く。

そして、角の前に立ちはだかった瞬間、その暖かな笑みは消え、冷酷な表情に変わり・・・



……バキッ!!


野分の拳が、角の頬に炸裂した。


殴られた角は、先程のナイフの後に続くように宙を舞い、崩れ落ちる。


「・・・それは、忍くんの分です。忍くんが貴方から受けた痛みはそんなものじゃ全然足りないでしょうけど・・」

殴りつけた拳をそのままの形にして、野分は倒れこむ角を見下ろして言い切った。


「私を暴行で訴えるならそれでもいいでしょう。その時はこちらも貴方の強姦罪を公にします。でも、忍くんの事は病院に来た一患者として名を伏せます・・・・私と忍くんには接点がありませんからね。どれだけマスコミが探ろうとも忍くんの名が漏れる事はありません。」

病院関係で出合った名前も知らない患者なら、忍の事は世に出ないのだと野分は淡々と言い放ち、背後に控えていた弘樹が付け加えるように口を開いた。

「身寄りの無い研修医がレイプされた患者を可哀相に思って起した暴行事件と、有名作家の息子が起したレイプ事件・・・・どっちが世間の注目を浴びるか・・・頭の良いお前なら分かるだろ?」

この一連の事件が公になれば晒し者になるのは角の方だと念を押した弘樹は一瞥を送ると、長居は無用だとばかりに野分に肩を貸してその場を後にする。


「宮城教授・・・忍くんが貴方を待っています。俺、教授と一緒に迎えに行くからって忍くんに約束したんですよ。」


何事も無かったかのような静けさを取り戻した住宅街の一角に背を向けて、弘樹が宮城に向かい微笑んだ。
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