君へ捧げる(作品)

□後ろの正面、
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暗く沈んでいる記憶の奥底で、千鶴の歌声が聞こえる。軽やかで涼やか、そして清らかな鈴の音によく似た千鶴の歌声は、いつでも俺の耳に一番に届いて、そして馴染んでゆく。
そんな刹那、俺はふと、世界が俺と千鶴の二人きりだけなんじゃないかと思うのだ。俺と千鶴は、世界に置いていかれた二人ぼっちの世界にいるのではないかと、思うのだ。


 * * * * *


かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつであう


俺の周りで、一人の足音がさくさくと響く。目を小さな両手で塞いでしゃがみこむ俺の周りを、くるくる、くるくると。時に断続的に、時に楽しげに、時に特徴的な韻を踏みながら、千鶴の舌足らずな歌声もよろめくような足音も、回り行く。


夜明けの晩に
つるとかめが滑った
後ろの正面、誰


最後の決まり言葉を口にして一瞬の間、さく、と青々と茂った若葉を踏み、千鶴の足音が止まる。うっすらと開いた指の間から千鶴の脚は見えない。辺り一面が青く、その一つ一つが小さな青い花弁だということは少し前に知ったことだ。風に吹かれてざわめくそれらに、俺は一時目を奪われる。


「だーれだ?」

後ろから楽しそうに問いかける千鶴に、俺は破顔して答える。


「ちづる」

当たり前だ、ここには俺と千鶴しかいないのだから。それでも、千鶴はひどく嬉しそうに俺の首もとに飛びついた。


「かおるのあたりっ」

そんな千鶴をいつものように受け止めようとすると、しゃがみこんでいたからか感覚を失った足がふらついてそのまま横倒しになる。千鶴の小さな悲鳴を聞きながら、俺と千鶴は一面の花畑に倒れこんだ。背中の優しい衝撃と共に、千鶴の黒い長い髪がふわふわと風に揺れて、俺の肩に落ちる。
しばしの沈黙があって、くすくす、と千鶴は心底楽しいと言わんばかりに笑声を漏らした。それにつられ、俺は手を伸ばして千鶴の小さな手を握る。俺の手も小さいとよく揶揄されるが、千鶴の手はもっとか弱くて儚いのが事実だ。
顔の横に小さく蕾を開いている青い花を、俺は寝転がったまま手当たりしだい掴んだ。そのまますばやく指先で編み、いまだ近くに転がったままの千鶴の髪にそれを乗せた。手先は器用なので、このくらいは容易い。それを見る千鶴は顔をほころばせるが、草塗れの俺を見たと思えば表情を曇らせた。


「かおる、ごめんね、いたい?」
「いいよ千鶴。これくらい全然痛くなんかない。千鶴を守るんだから、俺はもっと強くならなきゃ」
「どうしてかおるがちづるをマモルの?」
「千鶴はそんなこと知らなくていいんだよ。俺が千鶴を傷つけるやつからみんなみんな守ってやるから」

まだ俺のような教育を受けていない千鶴は意味が分からず首を傾げるが、俺はそんな千鶴の頭をそっと撫でるだけで留めた。
そうだ、まだいい。千鶴はまだ、キレイなままでいればいいんだ。
俺は頭を振って余計なことを無理やり排除すると、立ち上がる。千鶴の手も引いて立ち上がらせれば、千鶴は笑った。俺も笑い返し、千鶴の手を先ほどよりも強く握った。


「もう一回やろう、千鶴」
「かおる、ホンケ、のおねえさまたちもよんで、みんなでやろうよ」

発音が変だけど、ホンケ、とは本家のことだろうか。千鶴は本家や分家のことは何も知らないはずなのに、まさか。俺の頭を嫌な予感がよぎる。


「もう、かおるといっぱい、いっぱいしたよ」

ふと付け足すように言われて、気付く。確かに、もう同じことを何度したか分からなくなっている。同じことばかりを二人きりで、千鶴が飽きるのも無理はない。
だが、俺は誰も呼びたくなかった。ここは、二人だけの世界だ。俺たちの世界に土足で踏みいることなんて、俺が許さない。本家でも誰でも、今ここでは、そんなの関係なかった。俯く千鶴の顔を覗き込んで、俺は眉を下げた。


「千鶴は俺が嫌いなの?」
「ううん、ちづるはかおるがだいすきだよ?」
「じゃあ、誰も呼ばないで。俺は、千鶴がいればいい」

しばし考え込んだ千鶴はふと顔を上げ、にっこりと微笑んだ。そのまま先ほどまで俺が座っていたところへしゃがみこむ。俺は屋敷の立ち並ぶ村の方向を見つめ千鶴に気付かれないように溜息を零す。そして千鶴の後ろに立ち、口を開いた。
どうしてだろうか、千鶴といるのに、不安は拭えない。足音はまだ、止まらないはずだったのに。

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