02/11の日記
18:10
カウンセリング
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週に2回、カウンセリングの為に病院へ通いました。
その為、本当は不定休の勤務になるはずが、私は固定休になり、本当に申し訳なかったです。
先生は凄い方でした。
どんどん私の中の不安や恐怖感、体調の変化などを具体的にわかりやすく紙に書いて説明してくれました。
そして徐々に私は職場へ行ける様になっていました。
出勤中に発作がでたり、恐怖で一旦立ち止まることもありましたが、前に進むことができました。
先生には、今できることは休むことじゃない、それじゃ勤務が始まった時にまた同じような状況を作り出すだろう、とにかく出勤することが今の貴方のリハビリかなと言われました。
その言葉を信じ、通勤を続けた結果、時間はかかりましたが施設の中へ立ち止まらずに入れるようになりました。
そして変化も起こってきました。
目が虚ろになり、ぼんやりしている姿を発見されたのです。
処方されていた薬が効きすぎるくらい回復をしてきたのだと言われ、とても嬉しかったです。
朝の薬1錠だけ抜くことになりました。
その次からはぼんやりはなくなり、しっかり意識も保てるようになりました。
仕事も大きな物を任されるようになり、自分に自信が持ててきて、勇気が出てきました。
しかしその一方で発作は治まらず、何故だろうと問題視されるようになりました。
おそらく以前日記に書いてあったとは思いますが、私は中絶をしています。
先生が仕事の話を切り上げ、木になっていることがあると言われ、自分のお腹を擦りながら「これはどうだい?」と言われた瞬間涙が止まりませんでした。
「やっぱりこれだったか」と先生は言いました。
ずっと病院に付き添って話しを聞いてくれていたのは父で、埼玉の福祉業界ではトップクラスの人です。
それ故か、「あのお父さんなら受け止めてくれるから言ってごらん」と言われ、しばらく考えていました。
すぐに結果は出せなかったので、施設長、主任が仕事中なのにわざわざ外に連れ出してくれて話しを聞いてくれました。
私は自分の中で繋がった結果を話し、父にも話してみなさいと言われたことを伝えました。
施設長と主任は言いました。
「なるほど。ずっと不思議だったんだ。なんでお前さんは発作を起こしながらもパニックになりながらも施設を辞めないで通い続けていられたのか。以前お前さんと同じ状況になった人はいたがすぐ辞めてしまった。そっか、赤ちゃんと約束したんだもんな。仕事を頑張るからって。それが大きな力になってたんだな。俺達もあのお父さんなら言っても大丈夫だと思う」と少し泣きながら話してくれました。
こんな下っ端の支援員の為に泣ける上司はきっといないだろう、私はここで頑張れるんだとこの時思えました。
そして父はちょうど出張でいなく、でも私が心配で電話をかけてくれました。
「帰ってきたら話したいことあるからいい?」と聞くと、「いいじゃん、言っちゃえ」と言われ、泣きながらそのことを伝えました。
話し終えた後の父の一言目は「よく言えたね」でした。
そしてその辛い時期に支えてくれた彼には感謝していると。
「避妊しててもできちゃうからね。ウチもそうだったし」と言われ、社会人になっているのにその行為を軽く見ていた自分を情けなくなりました。
「でもね、どっちにしても生むことはできなかったと思う。リーダーとの衝突は赤ちゃん関係なしに起こっていただろうし、そしたら服薬が始まる。どう考えても厳しい。でもお前の所にその時に来ていたんだから、きっとお前を支えるために来てくれたんだな。だからお前も施設に通い続けられたわけだし。生まれて来れなかったのは残念だけど、お前を支えてくれて父さんも嬉しいよ」と言ってくれました。
「8週間だけだけど、おじいちゃんとおばあちゃんになってたんだよ。ちゃんとおじいちゃんとおばあちゃんにしてあげられなくてごめんね」と私は何度も泣きながら謝りました。
後から聞いた話しですが、父はなんとなく気づいていたそうです。
だからやはりあの話しの後に少し込み上げてくるものがあったそうです。
水子供養をし、写真も預けましたが、偶然写メに撮っていたのを忘れており、今でもその写真に言葉をかける時があります。
次はきっと私が支えになるんだと思えた時期でした。
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