02/05の日記
20:38
2週間を経て
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職場復帰をしました。
しかし相変わらず施設にたどり着くことはできても中に入ることはできず、泣く日々が続きました。
カウンセリングへ行く時が唯一救われているような気持ちになれる日でした。
何故なら、先生は私自身でもまとめきれない感情や気持ちをうまくまとめることができ、それによって私は「あぁ、そんなことを考えていたのか。確かにそうだ」と思うことができたからです。
以前日記に書いたでしょうか?
私は去年の10月に妊娠をしていました。
微熱が続き、風邪ではない何かを感じていました。
病院へ1人で行き、結果は妊娠をしている・でした。
その場で泣き崩れました。
なんてことをしてしまったんだろう。
これから1人の人間を殺さなくてはならない。
それは私にとって重過ぎるものでした。
すぐに彼に連絡をしました。
話し合った結果、やはりおろすこそになりました。
理由はいくつかあります。
@まだ付き合って5ヶ月
A仕事もお互い新任で入ったばかりで安定していない
B仕事が楽しい。いつか育児に追われ、虐待してしまうのではないかという不安
C「おめでとう」と祝福して生まれてきてもらいたい
以上のことになります。
そして何より大事だったのは、何のために避妊していたのかということです。
私たちは避妊をしており、それは今は子供を育てていく環境ができていないからだということに気がついたからです。
上司にも言われました。
「子供のことも大事だ。だけど生んだらその後はずっとお前の人生は子供に縛られることになる。それは悪いことじゃないが、その覚悟ができていないならやめたほうがいい。子供のことも大事だと言ったけど、1番大事なのは自分がどうしたいかだよ。生むことを義務だと思ってはいけない。本当は生みたいだろう?だけどできないって思う気持ちもあるから涙がでるんだよな」と。
それを彼に伝えました。
彼は「好きな人との間に子供ができて嬉しくないわけない。本当は生んでもらいたい。だけど俺たちには安定した土台がない。2人でもっと成長して赤ちゃんのために土台を作ってあげよう」と言われました。
それから彼は頻繁にウチへ足を運んでくれるようになりました。
来るたびに私がみかんしか食べられないのを知っているので大量のみかん・オレンジジュースを買ってきて、毎回赤ちゃんに語りかけてくれました。
休みを利用して、見せてあげられないけど感じてもらえるかもしれないということと、初めてできた自分たちの3人の家族の思い出を作ってあげたいということで、山へ夜景を見に行ったり、海へ行って潮風にあたったりしました。
不思議と3人でそうやって出かけているときにはみかん以外の物も食べられていたので、喜んでくれているのかなと思っていました。
せめてお別れの時が来るまで大事に育ててあげたい。
それが私と彼の願いでした。
しかし検診を受け、しっかりと鼓動をしている・そして成長している我が子を見て、何度も泣きました。
6週の段階でわかったので、小さすぎてまだ手術ができないと言われたので少しずつ様子見をしていたのです。
そして手術前日、彼から電話がかかってきており、私よりも動揺しているような声で明日のことを心配していました。
「私が手術受けるのになぁ・・・だらしないお父さんだね」と電話を切ったあとに赤ちゃんに声をかけながら泣きました。
手術当日にようやく同意書に自分の判子も押せ、友達に付き添って貰いながら病院へ行き、手術を行いました。
終わった後は孤独でした。
今まで一緒だった子がもうお腹にいないんです。
彼は仕事が終わってから急遽かけつけてくれました。
泣き崩れる私をずっと抱きしめててくれ、何度も何度も謝られました。
そして2人で赤ちゃんにも謝り、少し落ち着いたら水子供養へ行き、さよならをしてきました。
そのこともあり、両親には伝えていませんでしたが、病院の先生にはそのことを話しました。
先生は黙って聞いてくれました。
そして、そのことにはあまり触れず、その時のカウンセリングが終わったのです。
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