fkmt短編2

□ひかれた熱
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痛い、なんて口走ってしまったからいけないのだ。

つい先刻の軽率な自分に舌打ちをしたくなる。ただ、この状況でそんな事をしたらこの男に勘違いされて何をされるか知れたもんじゃないから、今は何もしないでおこうと思う。
この苛々をぶつけるに相応しい相手は過去の自分しかいない。少し前の自分がだめならば、そう、出かける前の自分なんてどうだろう。ちょっと思い出してやっぱり舌打ちしたくなった。もう駄目だ。過去に逃げるのはよそう。
やはり年甲斐もなくお洒落に走るんじゃなかった。平井に誘われたパーティだからといって………隣にいるのが赤木だからといって、ピンヒールなんて履くんじゃなかった。あほすぎて泣きたくなってきた。私の馬鹿、後悔ばかりが募る。

別に靴擦れしてしまったのなんてどうでもいいのだ。ただ、それに「痛い」とかぽろっとこぼしてしまい、「じゃあ俺が看てやる」なんていう赤木の言葉を素直に受け取ってしまった事がいけなかったのだ。

「あ、かぎ…」
「ん?」

少しくぐもった声だった。

「それのどこが治療だ」

強めの口調で言ってみるが、赤木にはまるで効果無し。むしろ嗜虐的な笑みを浮かべた後に、私の、こともあろうかその右足に頬を寄せた。

「何言ってんだ…唾付けとりゃ治るって、お前いつも言ってるだろ?」
「それとこれとじゃ話が違う!」

男に脚舐められて嬉しい女がいるか――そんな叫びは引っ込んだ。言い争いは面倒くさいと踏んだのか、何も言わずに再び足の甲を舌が這う。くすぐったさなのかなんなのか妙な声が出そうになって奥歯を噛んだ。

「馬鹿!やめろ」
「くくっ、どうした。顔真っ赤にして…」
「もう十分だって言ってるだろ!」

何だかもう本来の趣旨からずれてきてはいないだろうか。しかし、それを指摘するということは、今現時点の赤木の行為に名前が過剰反応を示しているという合図になってしまう。過去を振り返れば、それからどんな流れになるかなんて分かり切っていた。ますます赤木を調子に乗せてしまうに違いない。

それだけは避けなければ。

決意を固めると名前は居住まいを正した。口での抵抗をやめて、おとなしくソファに沈む。
一方赤木も名前の変化に気付いたのか、つまらなそうな顔をした。

「…さっさと済ませてくれ」

気のせいでなく小さな舌打ちが聞こえた。

「冷てえなあ」
「昔から変わらないだろ」
「ふうん」
「ふうんじゃなっ」

ちろりと赤木の舌が覗く。名前の肌の色との対比なのか、何だか思った以上に赤く見えて心臓が跳ねた。アレに何度ほだされた事か……忘れかけていたあれやこれやが名前の脳内を駆け回り、生まれた熱が頬を染める。もう年なのに、慣れているはずなのに。

ばくばくと五月蠅く心臓が鳴る。まさかの精神的ダメージに名前は項垂れた。恥ずかしいというか、悔しい。未だにこの男の一挙一投足に振り回されている自分が。

せめてその姿を見ないように、と名前はきつく目を閉じた。蛍光灯すら通さない真っ暗闇に落ちていく。唯一つ、足の指あたりに灯る妙な熱ばかりが映った。

「っ…お、おい」

赤木からの返事はない。すうっと足の甲に熱が引かれていく。すぐ冷たさに変わるそれは決して気持ちよくはない。おかしい。

「もう…やめっ…」

赤木の舌が離れていく。今度そこを爪を立てて辿るのは冷えた指先だった。先ほどとはまた違った刺激にぴくりと足が動く。赤木がほくそ笑んでいるのが脳裏に浮かんだ。

「やめろって言われてもな…随分気持ちよさそうだしよお」
「んなわけあるか!」

気持ちが良い?
名前は赤木の言葉を反芻した。快楽を感じるというのだろうか?この状況に?どちらかといえば羞恥心が煽られて、ついでに罪悪感も僅かばかり浮き上がって、決して気持ちいいような気はしないのだが。というか、

「男に足舐められて喜ぶ女がいるか!!」
「いるさ、世の中広いぜ」
「私はそうじゃない」

やっと言えた、と思ったのも束の間、赤木のいつもと何ら変わらない口調にさらりと流される。

「そいつは本当かね」

何だかむかついたので、名前は目を開いた。するとどうだろう、何故か景色が滲んで見えるのだ。
何かが一筋頬を滑った。涙だ。気付くのは早かった。

「泣くほど感じてるくせによ」
「……」

名前はぽかんとしてソファに出来た黒い染みを見つめていた。冗談だろう。何というか、結構本気でショックだった。

「そういや昔から、脚は弱かったよな?」

責め立てるような赤木の言葉が名前を煽る。力の抜けた右足を持ち上げられ、男の唇が近付いた。

「そういうのは、昔から変わらんな」

もう一押しかと赤木は判断した。年相応にめかし込んでいる名前には久しぶりに煽られた。靴によっていつもより近い位置にある顔に口付けたくなった。帰ってくるまで我慢したのだ。少しぐらいいい思いをしたっていいだろう。

「もう…」
「ん?」
「もう、やめてくれ…」

力のない声が赤木の鼓膜を弱く叩く。名前は右手で目元を多い、唇を歪めていた。分かっていないなあ、と赤木は思う。そういうのがこちらを煽るというのに。

「良くなってるお前を放っちゃおけねえよ」
「いいから…頼むから、もう」

ぴくぴくと名前の身体が揺れる。籠絡までもう少しと思った赤木は開いている方の手を太股に乗せようとした……が。

次の瞬間感じたのは殺気だった。

「やめろっつってんだろうがァ!!」

あ、これやばいかもしれない…そう思ったが時既に遅し。やくざばりにドスの効いた声と共に吐き出された荒々しい言葉。重ねた年齢を感じさせないほど力強く手を振りほどかれ、無防備な顔面には足の裏が降ってきた。
ご、というおかしな音を赤木は聞いた。多分骨の音だろう。

「……」

まさか連れ添った女に顔面を踏まれるとは思ってもみなかった。赤木は1人顔を押さえてうずくまる。地味に痛い。久しぶりに痛い。

「風呂入ってくる」

先ほどまでの女々しさはどこへやら。とてもクールに言ってのけると、名前は風呂場に歩いていった。剥きだしの太股も濡れている足も、今や色気よりも殺気を纏っている。この様子じゃもう当分触れやしないだろう。
赤木はソファに腰掛けた。残った体温が心に負った傷に追いうちをかける。

「……ああいうのも、昔から変わらねえなあ…」

仕方ない、と諦めて、赤木はご機嫌取りのプリンを買いにコンビニへ出掛けていった。



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