fkmt短編2

□モノクロワールド
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※死ネタ注意



私にとって、それは単一的な世界だった。

いくつも並ぶモノの中の1つに組み込まれているものである、と、人間をそう定義していた。そうだと信じてやまなかった。個性とは何か、無個性とは何か、ずっと考えながら、変化のない生活を送っていた。
そんな中、私は一人の男に出会う。もちろん、私にとって彼は、いくつも並ぶモノの中の1つに過ぎなかった。私は彼だった、彼は私だった。

もし、この時が最初で最後になったならば、きっと、私は思い悩む事などなかったのだ。

幸か不幸か、私と彼には“縁”というものが生まれたようだった。縁、とは他人と結ぶもののはずなのに……そう思った瞬間、少し、その世界は形を変えた。

私にとって、それは歪な世界になった。



「佐原」

さはら、というらしい。さはらとは、どう考えても名字ではないか。せっかく名乗るのならば個人の名前を言えばいいと思った。でもそれをいちいち指摘するのも妙な感じがして(というかそわそわして)できなかった。私は彼の事を「佐原」と呼んだ。

「あんたって、名前何て言うの」

にっこりと笑いながら、そう聞いた。名前、名前、彼は私の名前を求めているようだ。私は考えた。先ほどまでの流れを考慮して、私は彼に、私の下の名前をきちんと伝えようと思った。
少し考えた。名前はその人間を人間たらしめる鍵の1つなんだと思った。私は、単一的に生きすぎたようだった。本来ならその身体にしっかりと刻まれているはずのそれは、随分すすけて、みすぼらしくて、黒く汚れているような気がした。この会社に務め始めてから、私はおかしくなっていたのだ。
そのくせ繊細で壊れやすい自分の大切なものを、恐る恐る佐原という男に手渡した。

「私の名前は、名前だよ」

何の肩書きも番号もいらない、シンプルなそれを、佐原は嬉しそうに呼んでくれた。

私はこの瞬間、きっと嬉しかったのだ。
単一的に歪んでいたその世界の中で、また何かが変わった。

私のその世界に、少しだけ色が付き始めた。



私の世界は暗かった、黒かった。父親の肩書きをそのまま受け継ぐ形で、私はとある仕事に就いた。とりわけて、何かを感じた事などなかった、誰が苦しみ、誰が傷を負い、誰が死んだとしても。慣れていたから。父もそうだったから。残酷という言葉を知らなかったのだ。死の間際、私に向かって「お前は人間じゃないのか」と涙ながらに訴える初老の男を見るまでは。正直、訳が分からなくなった。あの男には、一体どんな世界が見えていたというのだろう。
分かったのは、私の世界はとっくに閉じてしまっていたのだと、それだけだ。

それなのに今は、どうしてこんなにもこの男が眩しいんだろう。

「……ふざけてるでしょ、その金髪。あんた本当に社会で生きてくつもり?」

耐えかねて、理由をこじつけて、私は声が震えそうになるのを押さえて言った。今日の酒は私の奢りだ。ぽかんとしている佐原を視認。急速に酔いが回ったような感覚がして、更に畳みかける。

「聞いた話だと、佐原って接客やってるんでしょ。そんなのが金髪かねえ…」
「……」
「佐原?聞いて……」
「うおおおお!!名前さんが初めて俺の身の上心配してくれた!!」
「は!?あんた何言ってんの?」
「世間話かあ!ついに俺も名前さんとまともな話が……!!」

何を感動しているのやら、全く分からない。きっと酒の力もあるのだろうが、顔を真っ赤にさせ、涙まで滲ませて、調子よくグラスに注いであったビールを飲み干した。

「だってさ……名前さん、ずっとつまんなそうにしてて、俺の話聞いてるだけで……あ、いや、こうやって一緒に飲んでくれるだけで十分なんだけど……」

その時の事はよく覚えていない。一言一言重ねていくごとに恥ずかしさも積み重なって、酒が進みすぎたからだと思う。
ちょっと夢うつつな気分だった。あの時の私は笑っていたかもしれない。

単一的な世界には、歪みが生じ、僅かながらも、私にとっての明確な“個人”が生まれた。
滲んでいた色は、ゆっくりと確実に広がっていったようだった。私は初めて、この世界に心地よさというものを覚えた。目の前にいる佐原は、私をそう感じさせた紛れもない張本人だった。

私の世界は、遂に、遂に――



ぞわり、と寒気がした。その寒気は私の脊髄を容赦なくいじめて、足腰から力を抜き去ろうとし、果てには三半規管まで乗っ取って、ああ、目眩がする。軽くよろめいたのを、近くの黒服の肩をひっつかんで押さえた。私の支えにされた男は「大丈夫ですか、しっかりしてください」と抑揚のない、極めて事務的な声色で言った。私も事務的に言葉を返そうと務めた。

「大丈夫…大丈夫だ」

声が、震えた。

だって、そのブルーシートの隙間から見える色は、私の世界の色で、いかにも作り物らしいド派手な金髪で。
考えれば考えるほど私がおかしくなる。今までしてきたように、思考回路をシャットアウトすればいいのだ。汚い仕事ほど、給料は弾むんだぞ。
ふう、と長く息を吐いた。私の中の雑念全てを排出したような気分になる。気分になっただけだ。またその男の髪を見た瞬間、思いが積み重なっていく。何で、だなんて柄にもない事を吐きそうな唇を噛みしめた。

「……照合しろ」

今回のギャンブルの人間は、全てゼッケン番号で管理されている。番号、数字こそ今日の彼らを表現たらしめる唯一のものである。だから、関係ない。この金髪があの男だとしても。だって彼は彼であってこれじゃないのだから。

私の命令に、近くにいた黒服は頷いた。容赦なくブルーシートを剥ぎ取れば、およそ人間とは判別しがたい塊が転がっている。随分な高さから落ちたらしい。酔狂もほどほどにしないと、いつか刺されるんじゃないか、会長。

「番号一致しました。この男です」

手渡された顔写真つきの資料を見た瞬間、私は止まった。
もはや震えることすらできなかった。どうやら再びブルーシートに包まれるアレは、「佐原」という名前の男らしい。やっと知る事ができそうだった下の名前もよく見えない。顔写真――眩しく見える金髪と、佐原という名字。それだけで十分だった。それだけが私の知る佐原という男だったから。

「……分かった、次だ」

あれほどまでに積もり積もった思いも、何故だかあっさり消えていた。照合が終わった参加者の資料をクリップボードに挟む。

佐原、佐原――私はこれを最後と決めて、胸の中で彼の名前を呼んだ。彼は私の世界における、唯一となってしまっていた。私以外の唯一。それが消えてしまえば、私の世界は間違いなく閉じるだろう。だが、せめて伝えたかった。ほんの短い期間だとしても、色づいた世界が見えたのは、きっと彼のおかげだったと。だから、私は彼に感謝しなければならなかったのだろう。私をしばらく名前にしてくれて、ありがとう。
そして、それを生前に伝える事ができなかった私の不甲斐なさを呪って、ごめんなさい。



顔を上げた。そこは先ほどと何ら変わらぬ景色だった。地下らしく一切の光が差し込まない、奇妙なものが転がる部屋だった。そんな中で私自身の姿は、他の黒服たちと何も変わらない、単一的で無個性的な、人みたいな何か、だった。

『お帰り、この単一的な世界へ』
金色の髪を持つ死体が、私に向かってそう言った。



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