fkmt短編2

□毒で抉って毒を消す
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※中年ヒロイン
※雰囲気エロ





「似合わない」

鼻をすんといわせて女は呟いた。首筋に顔を埋める姿勢を取っているため、自然彼女を見下ろすかたちになる。ただそれだと艶を失った黒髪しか見えないので少し不満だった。

「何がだ?」
「分かってるくせに」

そう言って名前は銀二の胸板に置いていた手に力を込める。皺のある無骨な指先が髪の間をすり抜けた。
流し目が銀二を射抜く。睨んでいるようにも見えるし、笑っているようにも見えるが、好意的なものでないのは確かだった。

「その香水は趣味じゃないな」

指を自分の唇に押しあてながら演技がかったような声。反射的に首もとに手を当てた銀二から、名前は今度こそ顔を背けた。
そりゃそうだ。この女に気取られないはずがない。ばれてしまったとは思うが弁解をする気もない銀二は、率直に「すまなかった」と言った。我ながら中身のない謝罪だと思った。

「謝らなくていいよ。今更だしね」

随分突っぱねた言葉に思えるが、それに反して口調は穏やかだ。今更であるのも事実だった。恋人?愛人?慰み?数えるのも馬鹿らしいほどに重ねてきた。今更だ。
ソファーに沈みながら煙草に手を伸ばすと白い指先がそれを阻んだ。視線を上にやれば名前が溜め息を吐き、ほんの少しだけ目を細める。

「ほら、脱ぎな」

誘い文句でもなんでもない。名前の手のひらに収まる消毒液とガーゼが証拠だった。銀二も素直に煙草を諦めて、ワイシャツのボタンに手を掛ける。

「お前も変わってるな」
「何が?」
「普通こんなことしねえだろ」
「普通ねえ……あんたが言うか」
「くくっ。そういえばそうだな。違いない」

喉を震わせながら、銀二はシャツから腕を抜いた。名前は肘掛けに腰掛けて彼の背中を眺める。ちょうど良い位置だった。爪痕にもすぐ手が届くし、テーブルの上に諸々も置いておける。
足を組み、ガーゼに消毒液を染みこませた。安っぽいアルコールの香りが場違いにくらりとさせる。
赤い引っ掻き傷に当てると銀二の肩がわずかに動いた。

「痛いのかい?」
「ああ、染みるな」

何となく、だった。その爪痕に指を這わせた。あまり気を使っていないのがよく分かる、ささくれだらけで少し潰れ気味の四角い爪。鍵穴のようにはぴたりと嵌らない、その小さく、痛ましい癖に綺麗な形の爪痕。気付いた瞬間心の一部が強烈に痛んで、奥歯を噛んだ。

「……痛かったかい?」

意地が悪い質問だと思う。
銀二は驚いたような顔で名前を見、猫のように目を細めて返した。

「何だ、嫉妬か?」
「違う、そんなんじゃない」
「そうかい」

口調は冷めたが、そのぎらついた眼はちっとも醒めちゃいなかった。悪い熱に浮かされる前に処理してしまおうと乾いたガーゼに手を伸ばす。あとはこれをテープで貼ってしまえば終わりだ。早く、早く。

「まあ、待てよ」

右から伸びてきた銀二の腕が名前の右手を掴んだ。非難を込めて彼を睨むが、当の本人は実に楽しそうにしている。

「そう急がなくても俺は大丈夫だ」
「私がよくないんだよ」
「へえ、どうして?」

バランスが崩れる。

銀二に腕を引かれた。体が大きくそちらへ傾く。左手から消毒液が落ちる。痛いぐらいの力で引っぱられて、名前は眉間に皺を刻んだ。

「何を…!」

服越しだがはっきり伝わってくる素肌の温度。もし直に触れたらどんな事になってしまうのだろう。
そんな妄想をした自分が恥ずかしくて名前は頭を振った。早く離れなければ余裕が無くなってしまう。大人の女でいられなくなる。面倒くさいただの雌に成り下がってしまう。

心のバランスが、崩れてしまう。

「……銀二」
「お前はよく出来た女だな。自分はご無沙汰なのに、男がよそで他の女を抱いても文句すら言わねえ。傷の処理までする」
「褒めてくれてありがとう。離せ」

不意に銀二の手が腰を撫で始めた。衣擦れの音が聞こえて、ベルトからシャツの裾が抜けていく。余裕があっという間によくない何かで埋め尽くされ、名前はソファに手を突いて体を起こそうとした。その表情を見た銀二の顔が嗜虐的に歪んだのを目の端で捉えた瞬間、今度こそ危機感を感じる。
衣服の中に差し込まれた冷たい手が背骨をなぞった。思わず体が弓なりになり、結局彼の素肌に腹を押しつける事になってしまう。そんな状態で背中を押さえられているのだから、今度こそ動けなかった。

「銀二っ!いい加減に…」
「よく出来た女だが、つまらねえな」
「……な、にが!」

不満で不服で仕方ないその言葉に、遂に名前も出来る限り身を乗り出した。銀二の顔に迫り、噛み付くように抗議する。

「なにがつまらないだ!!散々女遊びしてるのはどこのどいつだ!この浮気者め!!私がどんな思いで……」

我に返れたのは銀二の唇が弧を描くのがはっきり見えたからだった。思わず左手で口元を押さえる。
ひょっとしなくても、とんでもない事を口走ってしまった。容易く想像がつく。こんな楽しそうに笑う銀二は久しぶりに見た。

「ほら、嫉妬じゃねえか」
「……こんなババアに嫉妬されて嬉しいのかい、あんた」
「お前じゃあな、喜ばざるをえない」

首筋を吐息がくすぐって、名前は両目をすがめた。あばらを辿る右手がもどかしい。いつの間にか吐く息に熱が纏わり始めた。「その気か?」なんて言葉を落とされた鼓膜が甘く震えるのを感じる。その代わり熱くて熱くて仕方なくなって、よく頭が回らなくなる。
唇に柔らかいものが当たった。ぬるりとした舌先が唇を辿って、隙間をこじ開けて入ってくる。顎を持ち上げて歯をなぞっていると、耐えかねたようにおずおずと差し出される舌。容赦なく絡ませて、のしかかるようにキスをした。
前こんな事したのはいつだっただろうか。ぼんやり考えていると男の顔が少し離れた。前にこんな事した時より少し老けていると思った。

「あ……」

空中に投げ出された嬌声じみた単語も随分掠れて響いた。年季の入った声だった。それをご丁寧にも拾った男は体勢を変えて、今度こそ名前に覆い被さる。「ほら」そんな感じに唇が動いたような気がする。誘われるように力なく伸ばした両腕は銀二の背に回った。
また銀二がぴくりと動いたので、いい気味だと少し笑う。

「……その顔良いな」
「っ…えぐってやろうか?」
「ほう…随分挑戦的じゃねえか」

大人しい女に成り下がるつもりは毛頭なく、名前は先ほどの爪痕にもう一度爪を立ててやる。銀二の喉から漏れたうめき声を鼻で笑うが、既に荒い息をしている自分も相当格好悪いのは分かっていた。

「あれ、何だ……痛いのかい?」
「そりゃあ痛いぜ……だが心配するな、どうせすぐ気にもならなくなるさ」
「ああ…それは盲点だった」



何でこんな事したんだろうか。男の汗に混じって香る不思議な匂い。ひょっとしたら、自分は整理を付けるのに一生懸命になりすぎたのかもしれない。何が好きで他の女の匂いを嗅がなきゃいけない。何が好きで他の女の爪痕を消毒してやらなきゃいけない。子供みたいな手段で大人びようと努力していた自分は、さぞ銀二の目に滑稽に映った事だろう。
ちなみにその日は、年のせいなのか男が遊びすぎたせいなのか、最後まで背中に手を回す事すらかなわなかった。

「……あり得ない」

名前はげっそりとしながら寝ぼけ眼で鏡を眺めた。
誰だ、男は年ごとに枯れるとか言ってたやつは。腰どころではなく体の節々が痛い。冒頭の挑発的な言葉がよくなかったのか、獣の食い合いみたいな状況から始まり、最後は骨までしゃぶられた気分だ。恥ずかしいより恐ろしい。ぞっとしながら消毒液を回収し、適当に肩口に引っ掛けた。くっきり残る歯形にもう一度、

「……あり得ない」
「何が」
「あんただよ銀二。何でそんなに元気なの」

この世のものとは思えない……そう物語る視線が銀二を突き刺すがなんのその、彼は名前の頭を掴んでこれ見よがしにその歯形に舌を当てた。ぴりっとした不意打ちの痛みに眉尻を下げると、鏡越しに満足げに笑う男と目があった。

「……えぐってやろうか?」
「っ馬鹿!」

流石に朝になれば強かなようで、名前は銀二の体を引っぺがして突き飛ばす。
むすっとしながら行ってしまった女に残念と思いつつも、しかし弱点を網羅している男は不敵に微笑んだ。



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