fkmt短編2

□外堀からこんにちは
2ページ/2ページ




「ど……」

言葉に詰まりながら名前は歩く。惰性で歩いているのに近い状態だった。
ホテルの広間一室。ちらほら見える見知った顔。森田がぺこりと頭を下げたのを、これまた名前は呆然と見ていた。

「……どうして…」
「ククク……怒られちまったよ、奴等に」

苦笑いを浮かべながら銀二が言った。

「何だ、そのアホ面は」
「……んな事、言われても」

いよいよ足が止まってしまった名前の手首を掴み、銀二はいつも通りの足取りでつかつかと中央に向かって歩いていく。大勢の視線を感じて萎縮しながらも、手を引く強い力に、半ば引きずられるようにしてついていった。
目的の場所についたのか、思い出したように銀二は言う。

「ああ、そうだ。似合ってるぞ」

その言葉に、名前は先ほどの赤木の言葉を思い出した。当人、と。

「な…お前か……!!何だってこんな事を…」
「挙式の理由なんて、1つしかあるまいよ」
「……挙式?」

確かに、銀二の服装も、いつもの目に痛い配色のスーツにはほど遠い物だが。こいつ中年のくせして何着ても似合いやがる、と名前は心の中で悪態をついた。

「気付かねえか」
「……聞かせてもらいたいね」
「挙式っつったら…あの…アレに決まってるだろ、アレ」
「……まさか、結婚…?」
「……そういうこった」
「………いやいやいやいや待て待て待て」

名前は銀二の手を振りほどき、ビシッと人差し指を突きつけた。
ドレスの裾をはためかせて仁王立ち。混乱ゆえか、ぴくぴくとこめかみが動いている。

「冗談を、お前あの女の子はどうしたんだい?」
「ああ、赤木から聞いてるぞ。あれは仕事で間違いない」
「じゃあ何であんな顔を…」
「俺に何の断りもなくいきなり男と外食されて、気分良いわけあるか」
「……は?」

後ろで赤木がくつくつと喉を鳴らしているのが聞こえる。沢田が黙ってろと頭を軽くはたいたようだった。

「え…じゃあ、あの巽の話はどうなるんだい…親しい女がいるっていう…」
「……お前、これ以上恥ずかしい思いをしたくなければ黙っていた方がいいぞ」
「何だよ、否定できないんじゃないか」

何だか後に引けなくなって食ってかかると、ぶふっと巽が吹き出した。抑えが効かず震えているのを、安田が笑いながら見ている。

「……お前、巽に何て言われたよ」
「…『銀二は通い妻ならぬ通い夫』『見た目にそぐわず料理がうまいとよく言ってくる』『照れ屋で可愛い部分もあるらしい』……とか」
「それ、お前の事だ」
「……は?」
「お前の事」
「……悪いねえ、よく分からん。もう一回」

銀二は気まずそうに頬を掻き、名前から少し目線を外した。

「だから、俺が巽に言ってた事を、あの野郎がお前にたれ流してたって訳だ」
「……冗談」
「じゃねえ」
「……えっと、じゃあ、何だ…」
「名前」

ふっと銀二が息を吐く。その少し真剣味を増した姿に不覚にもどきりとして、名前は真正面から銀二を見つめた。

「お前は確かに愛人だった」
「……」
「以前沢田に漏らしていたそうだな。お前は離れ時を逃して、俺は捨て時を逃しただとか……だが、俺はタイミングには敏い方だ。そんな俺が唯一逃したタイミング……それが、こいつと思ってくれていい」

銀二は名前の左手を持ち上げて、丁寧に手袋を外すと、その薬指に指輪を嵌めた。されるがままの手が、小刻みに震えているのが分かる。

「裏社会で生きると決めて、まださほど年月が経っていなかった。特別な女がいるという事の危険性ばかり考えていた。女は好きだったからな、散々遊んだよ。俺の顔が札束にしか見えてない奴等とも」
「銀二…」
「そのくせして、俺は随分と我が儘でね。どうしたらお前を特別な存在にせずに縛れるか……そればかり考えていた。お前は逃げる隙なんて山ほどあったのに、いつだって俺の元に来てくれた。まあ、ある意味お前は離れ時を逃したかな。
しかし、いざとなると縛る事すらできなかった。何でだろうなあ、お前が飯作る姿を見るのは当たり前だったのに」

こんな風に笑う銀二を初めて見た、と名前は思う。気が付けば、今し方つけられた指輪をするりと外して、銀二の左手を持ち上げていた。彼が目を見開くのに、薄く笑って返す。
サイズが合わない、と前置きをした上で、名前はその薬指の爪にこつりと指輪を当てた。

「何だろう…恥ずかしいね、これは」
「……今更だな」
「でも、大分落ち着いたよ……あの…色々悪かった、勝手な勘違いして…その、あ、あんたも、その服、似合ってるよ」
「……」
「でさ、私も、我が儘言っていいかい」
「…ああ」
「あのさ……」

銀二の耳元で名前が囁く。それに柔らかく笑って返すと、銀二は頼まれた事を実行した。



「あそこはキスだろ、どう考えても」
「やかましい」
「なあ、沢田もそう思わねえか」
「……」
「ちょっと、否定してくれよ、沢田」

まったく、と呟いて、名前はシャンパングラスを傾けた。そんな様子を見て、銀二も笑みを零す。

「……銀二」
「ん?」
「いいのか。せっかく結婚したばっかなのに、俺達なんか混ぜて」
「いいさ。今回はお前等に喝いれられたのがきっかけだしよ」

銀二は沢田の方を見ず、視線を名前に固定したまま言った。

「それに、俺達の時間は保証された。これからはのんびりいくさ」
「そうか」

「お前あそこでプロポーズしてくれとかそんなんだと浮気されるぞ」「お前に言われる筋合いはない」小言の問答が止まないのを見て、二人して苦笑い。
しかし、ここでやっと銀二がさて、と腰を上げた。

「名前、そろそろ帰るぞ」
「はいよ。あ、赤木、私の荷物どこやった?」
「さあ」
「……さあって、お前」
「ま、いらねえだろ」
「銀二?」
「お前、この期に及んでマンション帰るとか、そんなえげつない事しねえよな?」
「……ん?」

首を傾げる名前の顎を引っ掴み、無理矢理額に口付ける。呆然としながら佇む姿に笑いながら、銀二はその手を引いてエレベーターに向かった。

「じゃあな、世話になった」
「……ああ」

チン、とエレベーターが到着する音が、人気のないホールに響く。消えゆく2人の姿を眺めながら呟いた、赤木の「おしあわせにー」という棒読みの台詞だけが残った。


前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ