fkmt短編2

□突っ走れ!!謳歌せよ!!
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文庫本に視線を落とす。文字の羅列を目で追いながら、まるで流れる水の様だと思った。さらさらと軽やかに進み、しかし所々に岩や流木があってつっかえる。下流へ進めば進むほど、不透明だった水は澄み、川底が見えてくる。こんなに面白いものは他にないだろう。

ただ。

「名前」
「……零」
「たまには一緒に帰ろう」
「分かった」

本を閉じて自分のロッカーに入れる。盗難防止のナンバーロックをかけると零の隣に並んだ。

こうして二人で帰るのも久し振りだと名前は思う。とりわけて話す事もない。しかし、別段気まずさを感じる事もない。
花びらが落ち、今度は青くみずみずしい葉を茂らせる桜の並木道。ロマンチズムには少し遠い印象を受けるけれど、慣れ親しんだこの景色は名前の気持ちを軽くした。隣にこの男がいるからだろうか―――恥ずかしい妄想に漂着しかけ、はっとなった。

そのまま直進するつもりだった彼女の腕を零が掴んでいる。訝しげに名前が零を見ると、彼は「こっち」と指を曲げ、四の五の言わずに名前を引きずった。

「ちょっ…零!」
「ん?」
「どこ行くの?寄り道するつもり?」
「まあ、そうかな」
「はあ!?
2週間後模試あるし!!つーか私たち受験生でしょ?」
「ま、1日くらいいいじゃん」
「それはっ」

あんたが天才だからでしょうが――言葉自体は恐ろしいほど容易く浮かんだが、口にするのは憚られた。自分から彼との溝を深めにかかるのもアホらしい。
しかし残念ながら言わんとしていることは伝わってしまったようで、彼は眉尻を下げて笑った。



零に連れてこられたのは小さなタバコ屋だった。尚更不審に思ったが、目的はその片隅に据えられた販売機。みすぼらしい“氷”の旗が揺らめいていた。
そこでソフトクリームを二つ買った。1つはミルク、もう1つはチョコ。旗、間違っているよとおばちゃんに指摘してあげたいような気もしたが、これはこれでいいのだろうとも思う。結局特別な行動は取らずに、誰もいない閑散とした公園のブランコに腰掛けた。ちなみに、ソフトクリームは零の奢りだ。

「昔はご馳走だったのにな」

今は好きな時にいつでも買える。いや、もっと美味しいものも買える。

「俺にとっては今もご馳走だけどな」
「そんなにしょっちゅう来てるの?」
「いや、久し振りに買ったよ」
「……あんたって、やっぱり分からないわ」

季節は夏へ差し掛かろうとしている。突然暑くなるものだから、いまいち身体がすっきりしない。こういった冷たい物は、それの手助けをしてくれる有難い代物だ。
口にふくめば、舐めるより先に溶ける。べたりとした甘さに鼻がつんとする。液体に近くなったそれを飲み込むと、今度は喉までべたつくのだ。なのに不思議だ、こんなに美味い。
彼の言うご馳走の意味も少し分かった気がした。

「はい」

名前の眼前に零が突き出したのは彼が持っていたはずのソフトクリームだった。きょとんとしていると、彼は笑いながら「食べるだろ」と言った。
疑問でもなく断定かと名前はむくれる。

「昔からそうだったじゃないか。二人で違うの買って、半分こ」
「……頂きます。どうぞ」
「ありがとう。じゃあ、頂きます」

ミルクの風味とはまた違った甘さが広がる。チョコレートとアイスを合わせるなんて凶暴な思想があったに違いない。やはりこっちも食べたくなってしまう。コーンにかじりつきながら、結局零に厄介になっているなと思った。

「名前は、今何の本を読んでる?」

その言葉に、名前の動きが一瞬止まった。きっと意図的ではないだろうが、確かに生じた心理の鱗片。零は動かない横顔を網膜に焼き付けた。

「……ヴィヨンの妻」
「ああ、短編集か。前にも読んでなかった?」
「読んだよ。だから読むの」
「そうか、次は何を読むつもり?」
「銀河鉄道の夜」
「それも読んでなかった?」
「読んでるよ。読んだやつだよ。
もう新しい本は、当分読まない」

言い切ってから、名前は零をちらりと伺った。今の会話の流れからして、きっとこの言葉は予想外だったろうと踏んだからだ。しかし、意外にも彼は驚いた顔をしていなかった。どこか納得のいったような表情で、コーンの先っぽを口に放り込んだ。

「どうして?」
「だって…受験生だし、そんな事してらんないし……」

この言葉に嘘は無かった。あればどうしても読んでしまうのが本の魔力というやつで、特に新しいのを買ったりしてしまえば最後。勉強そっちのけで読みふけってしまう自信がある。
そう、この言葉に、嘘はない。

「それだけ?」
「え?」
「本当に、それだけなのか」

きい、と、2人を支えるブランコが呻く。何だか軋んでいるようだ。

「何で」
「最近おかしいと思ってたんだ。本の話を振ったって、今までみたいに話してくれない」
「……それは、迷惑かなって反省を」
「それだけじゃない。本を読んでいる時の名前の顔が違うんだ」

心がどこかに飛んでいく感覚がした。
行き着いた先は、目の前の彼なのか、ロッカーに置きっぱなしのヴィヨンの妻なのか、それとも、あの頃か。いつなのかは分からない。

「俺、今までは読書中の名前に声なんて掛けれなかった。すげえ必死に読んでるんだもん。何か、盗んでやる、って闘志丸出し」
「……」
「それが最近は大人しくて、ずっと文字の羅列を追っているだけみたいだった。横顔が寂しそうだった。だから、今日声を掛けた」
「え?そんな顔してたの」
「してたよ。アタリはついていたから、確かめようと思って」

知らず知らず、名前は学生鞄を握っていた。ありもしない本を抱え込むように。

「勝手な推測だけど、名前って実は作家になりたい、とか」

心臓が跳ねる。緊張してきて、それと同時に恥ずかしくて、口をぱくぱくさせながら零の方を見た。
名前はこの夢を今まで誰にも、親にすら話した事がなかった。ひっそりと温めて、しかるべき時が来たら作品と共に現れようと思っていた。勿論、近しい存在だったといえど、零には話してない。
おまけに本の読み方までバレていたとなれば、穴があったら入りたい思いで一杯だ。

その反応に自分の仮説が正しい事を見いだした零はくすりと笑った。たちまちむくれ顔になる名前。馬鹿にされたとでも思ったのだろうか。

「でも!!私は決めたよ、作家になんかなれないよ、どうせ私だし――だからならない事にしたの、それだけ」
「何だ、残念だな。俺、名前のそういうところすごく好きなんだけど」
「……はい?」
「夢に向かって一直線、すごい事だと思うよ、俺は」
「ああ……」

首を傾げる零から意識的に目を反らす名前。少々気まずそうな表情であるが、何故かは零には分からない。

「とにかく、俺は名前にそんな事言って欲しくないんだ。どうせ、とか、無理、とか、お前らしくないもん」
「零……」
「そりゃ、なれないかもしれないよ。でも、だからってならないとか決めるのもどうかと思う。目指すだけ目指せばいいじゃん」
「あの……」
「いつか名前の書いた文章を読んでみたいし、あと」
「ストップ!!」

今度は零がびくりとなる番だった。ドングリ眼を見開いて、先ほどまではしゅんとしていた少女を見やる。気のせいでなく、顔が赤い。

「それ以上言わないで」
「どうして?」
「いや、違う違う!耳が痛い、とか、そういう事じゃなくて、単純に……その……そこまで言われると、めちゃくちゃ恥ずかしい、から」

しばらくの間、その場を沈黙が支配していた。
それを打ち破ったのは、零が吹き出す声。

「あはは、ごめん、言い過ぎたかな」
「言い過ぎだよ馬鹿……まったく、今からそんな持ち上げないでよ」
「いや、今まで名前が重ねてきた努力は、評価されるに値すると思うよ」
「……あんたってヤツは」

大げさに溜め息を吐いて俯く。零から見えない角度にある唇は、緩く弧を描いていた。
『先ほどまで色味を失っていたように見えた風景が、鮮やかに色づき始めた。空はより青く、雲はより白く、葉桜の緑も深い――』
景色が言葉に見える。頭の中の白紙に、次々に文字が打ち込まれていく。ああ、楽しい。こんなに面白いものは、他にないだろう。

次は何を読もうかな、呟きには微笑が返された。


 

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