流転の謳歌。

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「え?それで、何、え?逃げたの?」
「逃げたっていうか…ええっと」
「名前は」
「……存じません」
「連絡先は」
「……存じません」
「そりゃ逃げたっていうぞ」
「……はい」

うわああああ、と小さく呻きながら、さやかはテーブルに突っ伏した。その水色の頭頂部を見つめながら溜め息を吐く。

「ま、それはお前が悪い」
「ううっ、あきらー……」
「私じゃどうしようもないっての」

こめかみのあたりをポリポリと掻いて、あきらはさやかに向き直った。温くなりつつあるアイスティーを一気に飲み干し、顎の下に指を掛ける。

「……しゃーない、手伝ってやるよ」
「あきらありがとーっ!!愛してる!!」
「調子いいなあ…」

事の発端は、さやかがあきらに送ったメール。何だか大変しおらしい文面だったので偽物かと思った程だ。しかし来てみるとそこにはなよっとしたさやかが。
どうしたのだと尋ねてみれば、昨日学校帰りに寄ったCDショップで失態を犯したとかなんとか。名前も分からない、連絡先も分からない彼にCDを貸したいらしい。

「っていうか、そこまでして渡したいのか?CD」
「あ、当たり前じゃん!だって約束しちゃったしっ」
「それだけ?」
「へ?」
「それだけなのか、理由」
「ばっ、馬っ鹿じゃないのっ、それだけに決まってんじゃん!!他にどんな理由があるっていうのさ!!」
「……」

そもそも、気の利く性格であるさやかがその青年に連絡先を渡し損ねた段階でおかしいと思っていたのだが。

「……分かりやすっ」
「へ?何?あきら?何か言った?」
「…いや、何でもないよ」

ぱん、ぱん、と手を鳴らした。

「はいはい、それじゃあ今からさやかちゃんの探し人を検討しまーす」
「おおーっ」
「まず分かりやすいところから攻めるぞ。会った時の服装は?」
「あっ、あたしたちと同じ学校の制服だった」
「すごい情報だなオイ。何言うの忘れてんだ」
「へへっ、ごめん」

まったく、と言いながらあきらは白い紙にペンを滑らせる。同じ学校、と綴った。

「じゃあ年も大差ないと……背丈は?」
「私より頭一個分くらい高かった」
「ふうん、さやか、身長いくつ?」
「え!?言わなきゃダメ!?」
「え?そんな嫌なこと?」
「嫌に決まってんじゃん、身長だよ!?」
「いいだろ別に…体重じゃあるまいし……」
「嫌なもんは嫌なのっ」
「そいつ見つからなくていいのかー」
「……」

どうやらあきらの焚き付けは効果覿面だったらしい。さやかはむすっとした顔であきらの手からペンをさらうと、メモ用紙の余白に小さく数字を書き込んだ。呆れながら受け取る。が、むやみにつつくのも可哀想なのでもうこの事はおいておこうと思った。

「はいはい。じゃあ……髪の色は」
「黒」
「色白?色黒?」
「どっちかっていうと色白」

ふむふむ、と、唸ってはみたものの……

「……どこにでもいそうな奴だな、本当に」
「……うん、失礼だとは思うけど……」

とりわけて特徴もない。突きつけられた課題は随分と難易度が高く思われた。しかし、ここでふとよぎる疑問。

「そういえばさ、さやか、その人とはCDショップで会ったんだよね」
「うん、そうだけど」
「あのやたらクラシック方面だけマニアックなCDショップだよね」
「え、うん」
「どんなCD買ったの?」

さやかははっとしたように鞄を漁り始めた。出てきたのは女子力の高さを匂わせる可愛らしいラッピング袋。貸すだけなら丸裸でも構わないだろうと思うのだが、まあ、さやかも女の子だし当たり前か。

「これ」
「……『桜ヶ丘音楽大学付属高校発表会』……って、どんだけマニアックなCDなのこれ」
「え?うーん……えへへ」
「あー、でも上条恭介って名前なら聞いた事あるわ」
「あ、その人も上条恭介知ってたよ。っていうか、全然興味なさそうなのに、あきらもよく知ってるね」
「まあね……友達にいるんだよ…」

ん?と首を傾げ、あきらは再び顎の下に手を掛けた。先ほどで飛散した集中力が、再び戻ってくるのを感じる。目つきが鋭くなった友人を見て、さやかはおずおずと尋ねた。

「あの……あきら?どうしたの?」
「その人もこのCD聞きたがってたんだよな」
「え、うん」
「髪の毛が黒くて色白であんたより頭一つ分くらいでっかくて上条恭介を知ってるんだよな」
「うん、そう、だけど……」
「なんてこった……」
「え?」



そして30分後。その喫茶店のテーブルにいるのはあきらと、さやかと、もう1人。

「え?あきら、この子の知り合いだったの?」

と驚いた顔をしている、髪の毛が黒くて色白でさやかより頭一つ分くらい背の高い、ラフな格好をした男。

「……私が一番びっくりだわ。ほら、さやか」
「え、あの、この間はいきなり帰っちゃってごめん!あきらのお友達だとは知らなかったんだけど、何とかなってよかったです!!これどうぞっ」
「あ、うん。こっちこそわざわざ探してもらっちゃってごめん」

苦笑いを浮かべれば、そのさりげなさにさやかが頬を赤くする。

「いや、あなたは悪くないっていうか……えっと…」
「あ、上城恭平です」
「あ、み、三木さやかです。そう、恭平くんは悪くないっていうか…あ、ごめんなさいいきなり名前で呼ぶとかなれなれしい事しちゃって…」
「いやいや、いいよ全然。その代わり、俺もさやかちゃんって呼んでいいかな?」
「は、はいっ」

甘酸っぺえ。
ずるずると氷を啜っている事にも気付かず、あきらはジト目でその2人を見ていた。ぎこちなくも会話に没頭する2人。恭平も恭平でまんざらでもなさそうだ。

あきらは用事があることにして即刻この場を立ち去る事に決めた。



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