流転の謳歌。

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放課後。
さやかは一人、地元のCDショップに寄っていた。それほど大きな店ではないが、さやかが用事を済ませる分には十分だ。どちらかといえば狭く深くに偏る店の品揃え。さやかはクラシックのCDを目の前に、必死に文字を追った。

「あっ……」

た、という声は出なかった。つま先立ち、ピンと腕を伸ばし、肺が圧迫されているこの状況では声が出るわけもなく。ぷるぷると全身を震わせながら届け届けと願うのみ。

そんなさやかに背後から近付く誰か。奮闘中の彼女を見て、少し不思議そうな顔をした。しかしすぐ合点がいったらしく、苦笑いを浮かべながらそっと声を掛けた。

「大丈夫?」
「へ?うわっ」

そしてバランスを崩し、ふらふらしながらも何とか着地。
何とも恥ずかしい姿を見せてしまったとあわあわする。

「あっ、あの…」
「CD取れないの?」

しかし、その青年は柔らかな微笑みを浮かべた。先ほどのさやかの一連の動作など、まるで気にしてない、と言うように。
逆に拍子抜けしてしまい、さやかは胸の前で振っていた手はそのままに、どこか惚けた様子でこくり、頷いた。

青年はまたくすりと笑い、ちょっと背伸びをしてそれを取った。パッケージには、さやかとそう歳の変わらない人物が写っている。

「桜ヶ丘音楽大学附属高校発表会CD……やっぱりマニアックなもの揃ってるなあ、ここの店は」

感心したようにパッケージを眺めてから、青年はそれをさやかに差し出した。どもりながらも受け取る。

「あ、ありがとう」
「いいよ、別に。誰か知り合いでもいるの?」
「え?」
「あっ、いや、何でもない。初対面の相手に変な事聞いちゃったな。あるのも驚きだけど、買う人がいたのも驚きで」

青年はまた、あの柔らかな微笑みを見せた。ちょっと目尻を下げてばつが悪そうにしている。さやかはぶんぶんと首を振った。

「あたしはあんまり音楽に詳しくないんだけど、でも、このパッケージの人……この人のヴァイオリンを聞いた時…うん、感動したっていうか……」

上条恭介と名前が小さく入っている、この青年。プロフィールによるとさやかと同い年で、しかし既に幾つかのコンクールで優秀な成績を納めている新進気鋭のヴァイオリニストだ。
だが、いくら優秀な人材といえど、所詮は高校生。個人のCDが出ている訳もなく。さやかは時折発売されるこういった企画ものを購入する他ない。

「あははっ…変な事言っちゃったかな。別に、私が音楽やってるわけでもないのにさ…」
「そんなことないよ。好きだって思ったら、それでいいんじゃないかな。ひょっとしたらこの人のファン第一号だったりしてね」
「えっ、まさか!?」
「そのまさかかもよ」

くすりと笑った後、彼は少し真剣な様子で顎に手を当てた。

「桜ヶ丘…か……」

目線は、先ほどまでさやかが必死に手を伸ばしていた付近の棚へ。どうしたのだろう、と彼の表情を伺うさやかの目の前で、彼は小さく息を吐いた。

「ま、CDが手に取れてよかった、なんてね」
「う……どうせ上背ないしっ。っていうかさ…もしかして、これ欲しかったの?」

さやかはCDを差し出した。

「いや、欲しかったっていうか、聞いてみたかった…かな?」
「だったらさ、」

何故か一瞬、緊張に近い感覚を覚えた。何だか、ちょっとどきどきする。

「よかったら、これ貸そうか?」
「え?」
「見たところあたしたち同じ学校みたいだし、それに聞いてみたいだけなのに買うっていうのもアレじゃない?あたしは構わないんだけど…あ!!もちろん無理にってわけでもないしっ」

色々、それこそ自分でも訳が分からなくなる程に喋りまくるさやかと、半ば呆気にとられている青年。しかし彼女のマシンガントークは、彼が小さく吹き出した声に遮られた。

「それじゃあ、お言葉に甘えようかな。ははっ…それにしても、君って面白いね」

何て言われたあかつきには、恥ずかしさも募る訳でして。
もうほとんど訳がわからないまま、さやかはCDを片手に速攻でレジへと向かった。

「じゃ、じゃあまたね!!また今度渡すからね!!」
「あ!ちょっと!!」

男子顔負けのたくましさで去って行く水色の頭を見つめながら、彼は呟いた。

「名前も連絡先も分からないのに……」

偶然に賭けるしかないのだろうか。呆れよりも面白くって、せっかちな彼女を思って微笑んだ。



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