fkmt短編2

□グロスオングラス
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世界で一番信用のできない言葉とは何か



そう問い掛けた女は相変わらずの無表情だった。頬杖をついて、面白いんだかつまらないんだかよく分からない表情で平山を見据えている。

この女から謎掛けを出されるのは別に初めてではなかった。時にふと思いついたように楽しげに、時に本を読んだ後真剣に、平山に幾度となく何かを尋ねてきた。それは好きな犬種は何か、といった気楽なものから何故人は考えようとするのか、といった深い思案を求めるものまで実に様々だった。そして今日のこの問い。恐らく傾向としては後者にあたるだろう。平山は考えた。彼女には常に最良を提供しようと、彼は努力していたからだ。

彼女の中に答えはあるのだろうか

心の片隅でそんな事を思ったが、思うだけ無駄だという事は自分が一番知っている。だから何度も結論を見直し、落ち度がないか確認してから顔を上げた。名前は依然、無表情でこちらを見ていた。

「『自分は嘘つきではありません、正直者です』……どうだ?」
「あー……いい答えかも」

名前は今日初めて表情を動かした。何度か瞬きをした後、空を眺めながら思案にふける。
しかし、その唇は緩く弧を描いた。

「でも、ハズレ」

ハズレ……という事は、きっと彼女の中で答えがもう出ているのだろう。後は平山がそこに辿り着けるか否かにかかっている、が、もうこの時点で平山は白旗を振ってやるしかない。だって常に彼女には最良を提供している。つまり、平山は自らにチャンスは一度と課しているのだ。それが否定された今、彼に残された道はただ一つ。名前のお気に入りの白ワインをグラスに一杯、参りましたの言葉と共に差し出すのみ。

「正解は?」
「ん?」
「だからさっきの。正解があるんだろ、ああ言ったからには」
「……正解なんてないよ。私の結論があるだけ」
「なのにハズレとか言ったのかお前!?」
「だって、あんたなら私の言って欲しい事言ってくれるかなって」
「買いかぶりすぎだろ……」

項垂れる平山を尻目に、名前はご機嫌にワインに口を付けた。グラスに僅か残ったグロスの跡が目に毒だ。

「で?」

少しふて腐れたように平山が言っても、名前はまあまあなんて言いながらクルクルとグラスを回している。お預けを食らってすっかり意気消沈した平山は、先ほどの名前のようにテーブルに肘をついた。

「私はね…」

あと一口、と言ったところだろうか。僅かにワインの残るグラスをテーブルに置くと、名前は訥々と語り出した。

「別に人間不信じゃないよ。人を判断する根拠は何も言葉だけじゃない」
「まあそうだな」
「見た目だってそう、言葉はともかく、口調だの、行動だの、表情だの……そういうのを見ているとさ、思うんだ。だから結論」

屁理屈をご丁寧に練り上げて捏ねくり回して、挙げ句できたとんでもないモノを、彼女は少女のような笑みと共に差し出した。

「私の結論。世界で一番信用できない言葉は“言葉”」
「……は?」
「ふざけんなって思ったでしょ」
「ったり前だろ!!んな答えがあるか!?」

では、今まで彼女と交わしてきた言葉は何だったんだ。自分の中で作り上げた最高を、叩き壊されるのも厭わず提供してきたあの時間は何だったんだ。しかしそんな事を名前に言えるわけもなく、放出できない怒りと切なさはどんどん胸中で膨らんでいく。胸焼けを起こした気分になって、平山は再び椅子に沈んだ。両肘をつき手を絡め、そこに額を乗せる。目を閉じていれば視界が滲むのも気にならなかった。
さて、そんな様子を隣の椅子、背を伸ばして少し高い位置から見下ろしていた名前。彼の視界から完全に外れたのを見て取って、くすりと笑った。本当、自分って可愛くないと思う。

「言葉は信用できない、だから言葉を信用させてくれる何かが常にあるんじゃないかって事」

平山の白い髪が、視界の端で少しだけ揺れた。

「例えば態度。一生懸命話そうとしてくれれば、その言葉には計り知れない価値が生まれる。真剣に考えてくれれば、とんでもなく嬉しくて有り難い。行動だって典型だ。言った事を実行してさえくれれば、それだけで言葉は信用に足るものになる」
「……何が言いたい」
「あんたの言葉は信頼に足りてるって事」
「……余計何が言いたい」
「言葉はもういいよ」

きょとん、とした目で名前を見る。名前も平山の目を見た。そしてもう一度言う。

「あんたの事信頼してるよ。だから、言葉はもういい」
「お前自分の事は棚に上げて……」

いや、待て、と平山は考える。聡明な頭脳はフルに回転し、彼女の言葉を再生する。言葉はもういい、と。彼女の言葉はどうなんだ。言葉は信用ない、とか言いながら、名前は自分の言葉を信用しろというのか。前提として?ああ思い出した。自分が惚れた女は、とびっきりの捻くれ者だった。彼女が何を信頼しようが、自分の知ったこっちゃない。清純派が好きだったはずなのに、畜生、見た目に騙された。

横から滑り込んできたのはワイングラスだった。横には目を細めて平山を見つめる名前が言葉もなく存在している。
その唇は微動だにせず、照明に照らされ光っていた。ああ、目に毒だ。

平山は彼女の白旗であるグラスを手に取る。そこには温くなっているであろう最後の一口がゆらゆら揺れていた。溜め息を吐く。全く、女って――とりわけこの名字名前というのはもの凄く面倒くさい。素直に言えばいいものを、と胸中で呟いてから、甘ったるいアルコールをひと思いに飲み干した。

「……ありがとう」

名前は嬉しそうに笑って、平山の手に自分の手を重ねた。

「ったく、遠回しなんだよ馬鹿」

ああ、どうやら本当に毒だったようだ。グラスの縁からグロスは消えたが、代わりに体中が焼けるように熱いのだ。


 

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