流転の謳歌。
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人魚の魔女が手を伸ばす。その先にいるのは、杏子でも、あきらでもなく、生身のまどか。大きな手に締め付けられ苦しそうに喘ぎながらも、彼女は「さやか」に呼びかける事を忘れない。
さあっと全身の血の気が引く。それだけはしてはならないのだ。さやかが最後まで信じ続けた“友達”に、そんな事をしては――
「さやかぁァッ!!!あんた、信じてるって言ってたじゃないか!!この力で人を幸せに出来るって!」
飛び上がって槍を大振りに振るう。手首から先が飛び、断面からは青い血があふれ出た。しかし杏子は後悔する。飛び上がったという事は、身動きがとれないという事だ。
「杏子!!」
あきらの叫び声に重なるようにして、音が全身を揺すった。見れば自分の身体を彼女の剣が貫いている。
痛覚よりも、情けなさが、寂しさが、やるせなさが
ずるりと音がして身体から刃が抜ける。蓋が外れて、まるで帯のように血が空中に飛散した。
目の端をロザリオが、父の形見が落ちていく。家族のぬくもりが落ちていく。去っていく。すべて、自分の守りたかったものが、好きだったものが、自分の身から離れていく。
思わず手を伸ばす。ふと手に水滴が付いている事に気付き、その次に、その水滴が涙である事に気付いた。
―――頼むよ神様……こんな人生だったんだ…一度くらい―――
「幸せな夢……見させてよ……」
胸を無い腕で引っかき回し苦しむようなそぶりを見せて、魔女はその大剣で床をたたき割った。当然杏子もまどかも、地面だったところを通り抜けて落ちていく。
オーケストラの演奏が止まったかと思うと、次にその世界は反転した。
あきらはその隅の方に、魔女を見ることのない、先ほどのオーケストラでヴァイオリンを奏でていた青年を見る。
ああ、悟ってしまった。
やはり、彼女は世界を呪っていたのだ。
そして魔女の世界に新しい来客があった。暁美ほむらはまどかを受け止めるとそのまま着地する。
「杏子!!」
ほむらが声を荒げる。あきらもそれにはっとなる。
杏子は…
「………よぉ…」
遠くにいるのに、息の音がはっきり聞こえる。魔法少女の肉体にも関わらず、誰が見ても死んでる程度に消耗してる。槍にもたれかかり、苦笑いを浮かべながら、杏子は静かに言った。
「その子頼む…あたしのバカにつきあわせちまった」
「杏子…っ」
「足手まといとは戦わない主義だろ?ただ一つ守りたいモノを守り通せばいい
…それが正解さ」
浮かぶのは、父の声、母の影、妹の血、取り残された自分の姿。命を賭けてでも守りたかった。でも、守れなかった。そして今、また、守りたいものを守れない手前まで来ている。自分にできる事はなんだろう。
もしかしたら、今日が、死に時なのかもしれない。
「さっさと行きな」
覇気がないのはいただけない、と、今一度ふんばって姿勢を何とか保つ。いったん槍を手放し手を合わせ、魔力を練り上げる。
「待て!!杏子!!!」
守りたいものが守れなかったのは、そしてなお、命を賭してでも守りたいものがあるのは、杏子だけじゃない。
しかしそんなあきらを完全に拒否するように、彼女との間には鎖の壁が出現する。
「あきら、あんたの事もさ、守りたくないわけじゃ、ないんだよ」
「杏子……」
跳ね上がっていく魔力に、皮膚がびりびりと震えるのが分かる。地面から幾多もの槍が突き出し、杏子を乗せて高く高くのぼっていった。もうその影すら見えない。
「……行くわよ」
がんがんと耳鳴りがする。クールダウンして、また頭がごちゃごちゃなって、やけに溜め息だけが身体の中に響いた。
「心配するなよ、さやか。あんただけを置き去りにしないって。
独りぼっちは…寂しいもんな……
いいよ、一緒にいてやるよ、さやか」
この輝きを知っている。死の直前の輝きだ。眩しすぎて、音すら聞こえる。
その光は、さやかを巻き込んだあと、暗闇へと反転していった。