fkmt短編2

□あなぐら
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そもそも家というのは何なのだろうか。

赤木はそんな事を思い、ふと足を止めた。その視線の先にはごく一般的な一軒家があり、柔らかい灯りが漏れている。少し赤みがかっている光はどこかほの温かく、耳にはかすみがかった笑い声が流れ込んできた。
ここは住宅地だ。勿論そんな家は一軒に留まらず、いくつもいくつも、柔らかい光を溢しながら存在している。結局再び歩き出すまでに五秒もかからなかったが、赤木は少々驚いていた。こんな事気にも留めた事ないのに、まさか自分が足を止めるとは思わなかったのだ。一体何がそうさせたのやら……心当たりはあった。

きっとああ言うのが「ごく一般的な家庭」というやつなのだろう。そんな事を思いながら、赤木は怪しい立て付けの階段を上っていく。一歩踏み出すたびにぎしりと悲鳴を上げる金属の板は実に頼りなく、何となくそのうち壊れる気がした。ただ、自分がここにいる間は壊れない気もした。
無事二階に辿り着いた赤木を迎えたのは黴のにおいだった。ずっとこんな所にいようものなら体調でも崩しそうだ。そう思った赤木の指先に蜘蛛の巣が引っかかり、またも彼は足を止める事となる。のっぺりとした木製のドアが並ぶこの様を、そういえば彼女は「こわい」と評した。その顔はいつもと変わらないものだったので、彼女なりのこわさがそこにあるのだろうと思った。

奥から二番目、右手の扉。そこが彼女のねぐらだった。扉を開けると、その奥には黒が鎮座している。もう夜だし、電気も付けていないのだから当然といえば当然なのだが……果たして、それは本当に“当然”なのだろうか。赤木は無意識に浮かんだ疑問をそっと放り投げて、その黒に足を踏み入れた。

「…名前?」

衣擦れの音がした。きっと名前がこちらを向いたのだろう。ほら、やはり彼女は起きていた。つまり、全く当然なんかではなかったのだ。

「ああ、赤木さん」

確証なんて存在しないが、彼女は今笑ったはずだ。「なんだ」なんて、よく分からないが引っかかる一言を添えて。

「なんだ、って、俺ぐらいしかいないだろ」
「……」

理由の分からない間があって、名前はどこか呆けたような顔をしながら短く息を吐いた。

「そういえば、そうだよねえ。赤木さん以外にいないんだよね」

電気を点けるよ、と言い、彼女は立ち上がって手を挙げた。あのあたりに紐が垂れ下がっているのだろう。白い肌が動いたかと思ったら、たちまち黒は白に食われた。白熱灯の危なっかしい明かりは決して眩しい訳ではないのだろうが、赤木にも、そして名前にも、少し明るすぎたかもしれない。名前は鬱陶しさを如実に顔に出しながら薬缶に手をかけた。

「名前」
「何ですか」
「あんたにとって、ここって、何」
「は?」

全力で訝しがられた。眉間に皺まで寄せて、いくら何でもその顔はないだろう。言ってみたいのを堪えて、今一度彼女の両目を見た。双眸が帯びる真剣味に当てられた名前は動きを止めた。考えているようだ。

「家…じゃないの?」
「ふうん」

そう返事をすると、あまりの淡泊さに目を細める。

「じゃあ、あんたにとって、家って、何」
「え」

今度は赤木が目を細める番だった。根拠のない主張など赤木の中ではありえない事だからだ。不満を覚える以前の問題だ。やはりそれを悟った彼女は、諦めたように腰を下ろした。きちんと考えているようだ。

「眠るところ」
「うん」
「ご飯が食べれて……」
「それで」
「それで……」

一呼吸おく間に、名前は視線を巡らせた。お世辞にも整頓されているとは言い難い部屋の中を、どこか無頓着に、しかし明確に捉えた。

「いや、やっぱ嘘」
「なに?」
「違うよ、ここは、家は違う」

名前は赤木をじいっと見つめた。先ほどまで部屋に散らばっていたゴミらを眺めていたものより、いささか温かみのある視線だった。

「赤木さんが帰ってくる場所だ。
 赤木さんが帰ってくる場所がこの場所で、この場所だから、ここは私の家だ」

すると彼女はにやりと口の端を持ち上げた。意地悪してもいいかいとぼやきながら。

「そういうあんたにとっての家ってなんなのさ」

言われて赤木は思い出す。帰り道で足を止めてまで見た、柔らかな光を宿す一軒家を。ぼんやりとした笑い声の調和を。

「家っていうのは…」

何故、足を止めたのか。何故、家庭について思い馳せる事になったのか。
ふてぶてしい顔を眺めながら瞬きを一回、二回。二人しかいない部屋を見回しもう一回。ちかちかと限界を訴える白熱灯に、更にもう一回。やはりあの五秒はひどく無駄だったようだ。

「まあ、あんたが言うのでいいんじゃないか」



にな川さん、リクエストありがとうございました!!



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