fkmt短編2

□食生活改善の勧め
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お昼までまだ二時間もある。

時計と数秒間にらめっこをしてから、私は鞄のポケットに手を伸ばした。チョコチップがふんだんに使われたクッキーを取り出す。有名なメーカーのロゴが入った包装紙を破いて一枚つまみ上げると、バターのいい香りが鼻腔をくすぐった。ああ、もう幸せ。
一息に食べるのが勿体なくてちまちまついばんでいると、人の気配がした。

「また食べてるの?」

仕方なさそうな顔をして零がやってくる。この男は、私がお菓子を食べようとすると何故かやってきてからかっていくのだ。天敵の出現に警戒しつつ、

「いいじゃん別に」

と返す。最後のひとかけらを口に入れて、指の先についた粉を舐め取った。

「本当に好きだね」
「大好きだよ。甘いものが無くなったら生きていける気がしない」
「食べ過ぎると身体によくないよ」
「そりゃ分かってるよ」

何だか心配されているのかもしれない。けれど、私は食べ過ぎないよう気を付けているつもりだったし、まさかこんなので病気になるとも思えなかったから適当に返した。

「あと、脂肪もつくし」
「……分かってますよー」

食べ過ぎないよう気を付けているつもりだった。けれども、最近体重計に乗っていないのもまた事実。正直な話、怖くて乗れない。痛い所を突かれた。現実と向き合えとは誰の言葉だったか……いや、割とあちこちで言われているか。ともかく今日こそは家に帰ったら体重計に乗ってみよう。私の表情で何かが分かったらしい零は、満足げに笑っていた。あいつは女の敵だ。





野菜がたっぷり入った弁当箱を眺めて私は溜め息を吐いた。そう、昨日の反省の結果。人間自分に厳しく生きなきゃ駄目だね、知らない間にあんなに太っていたなんて思わなかったよ私は。でも、いつもなら食べてしまうお菓子を我慢していたからか今日はお腹が空いている。もとから野菜もそれなりに好きだからか、とても美味しそうに見えた。私はドレッシングをかけたキャベツを口に運ぶ。

「あれ?名前ベジタリアン?」
「うわ、出た女の敵」
「なにがだよ」

眉尻を下げてやってきた零。

「協力してあげたじゃん」

と言ってくるあたり、私の体重事情を悟っているんだろう。男子の割にはやや控えめなお弁当が出てきたので何だか負けた気持ちになる。やっぱりこいつは女の敵だ。
野菜を食す私を、何故か満足げに見つめてくる零。何だか気恥ずかしくなって目を逸らした。

「野菜は良いよ。すごくいいと思う」
「そうかな?」
「うん、だって血液さらさらになるんでしょ?」
「あー、よく言われる事だね…」

野菜を食べる事は良い事づくめなのに、何故こんなに足りない気持ちが芽生えるんだろう。明日はドレッシングをもうちょっと塩っ気のあるものにしてみようか、そんな事を思っていたら、零がふと自分の箸を突き出してきた。

「ね、俺にも一口」
「えー…自分のあるじゃん」
「ちょっとね、味を見ておきたいんだよ」

何でわざわざ…と渋る私にそっと差し出された卵焼き。私も静かに弁当箱を差し出した。

「ありがとう!」

なんて良い笑顔をしながら、零は人参を口に運んだ。何だか見定めするような顔をして、ゆっくりと数回噛んでいる。彼の食に対するこだわりは私の予想を超えているようだ。

「うーん…ちょっと脂っ気?」
「オリーブオイルだよ、多分。イタリアンなんとかって奴にしたから」
「ああ…って、それじゃあ意味ないんじゃない?」
「別に積極的に脂取ってるわけじゃないって!」

本当にデリカシーないんだから!
マナー違反だと思いながら差し箸で口に運んだ卵焼きは、思いの外美味しくなかった。

「名前の弁当なら俺が作ってあげてもいいのに」
「何言ってんの。こんな卵焼きしか作れないんじゃ、まだまだよ」

零はきょとん、とした顔をしてから「そっか」とこぼした。ひょっとして傷つけた?心配になって顔を覗き込む。彼は幾分素直な人なので、体裁を繕って人から不安を取り除く、なんて器用な事できないのだ。
彼は傷ついてもいないし残念そうな顔もしていなかったが、難しい顔をしていた。珍しく何か考え事をしているらしい。こういう時に話しかけて面倒な宇海理論に引きずり込まれるのはご免なので、私は静かにキャベツを噛んでいた。しゃくしゃくと景気のいい音がした。





「名前、最近無理してない?」

零はやけに小難しい顔をしながら言うと、私を真正面から見つめていた。内面はともかく外面は完璧の一言に尽きるので、少し照れる。
世間一般に言われればダイエット中なのだろうが、私は至って健康だった。健康を損なうようなダイエットはダイエットじゃないと頑なに信じているため、バランスのよい食事は取れている。というか以前より明らかに健康になってしまって、今更この生活を止めるに止められないのが現状だ。

「無理はしてないよ。でも、ちょっと我慢はしてるかな」

私は軽く笑った。そんな私を見てショックを受けたらしい零は、鞄の中から取りだしたものを私に突き出す。ぽかんとする私をよそに、彼はそれを私に握らせようと躍起になっていた。

「ちょっ…何を」
「俺が悪かったから」

お願いだからこれを食べて、そう言う零の唇も瞳も震えていた。

「お願い……」

チョコレートだった。コンビニでも売ってそうな至って普通のものだった。身体に悪いものの塊。
野菜生活を斡旋し、脂肪分を採らせない……そんな風にして私の食生活に介入してきたはずの男が渡すにしては、あまりに不釣り合いな代物だった。だが何より私を混乱させるのは、それを渡す彼の今にも泣きそうな顔だ。
何がそんなに悲しいの?何か責任を感じているの?一体ここの所で何があったんだ。私は見ての通り元気なのに。

「……どうしたの、零」
「ごめんよ名前。俺間違ってた」
「いや、でも、零のおかげで今はこうして健康体なわけだしさ」
「そうは言うけど、俺の一言がきっかけで名前に我慢させちゃったのは、やっぱ申し訳ないよ」
「零……」

不覚にもじーんとしてしまい、それと同時に心臓が鳴る。容赦ない物言いで無意識に人の心を抉るけれど、同じように素直な物言いで人の心を穏やかにさせる。私は彼のそういう所がとても好きだ。
なるべく安心させてあげようと、柔らかい笑顔を心掛けた。

「私は大丈夫だよ。気を遣ってくれてありがとう」
「うん。名前は名前だもんね。どんな風に変わっても名前だもんね。
 だからこれからはありのままの名前でいてくれ」
「はいはい。任せなさい」

良いながらプラスチックのカバーを破いて、中から一粒チョコレートを取り出す。零に見えるように口に含むと、彼は嬉しそうに笑った。

「俺は別に名前のなら、さらさらじゃなくても構わないから」
「ふーん」

よく分からないけど、零は明らかに自分の世界に入り込んでいたので「何が」と問いつめようとも思わなかった。彼なりの愛情表現の真意に触れた時には全てが遅かったのだ。




かみくそさん、リクエストありがとうございました!





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