総一SS

□お隣さん
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#1.遠くも近い、お隣さん



 「はぁ・・・」

 春。
 うららかな陽気に、先日まで咲き乱れていた薄紅色の花を思い出す。
 空気も。
 頬を撫でる風さえも凛とした中に温かさが含まれていて心地好い。

 けれども、周囲のうららかさとは無縁に思える程、1人沈み込んでいる女子高生がぽてぽてと帰り道を歩いていた。

 「・・・あ、もう着いちゃった」

 見知ったちょっと古臭いアパート。
 最近は、近代化の嵐と建築ラッシュに押され、郊外でも高層マンションが乱立されている。室内もこれでもかと言う程に、最新式のシステムをふんだんに取り入れられていて、大体は築年数や今後に備えて最新型のマンションを買い求める人達が増えていた。
 そりゃあ、少しでも今の生活が楽になるのなら、最新式のマンションで極楽に過ごせれば万々歳だと思う。が、そんなのは夢の又夢だ。

 「・・・ま、良いんだけど」

 遠くに見える高層マンションの灯りを眼を細めてみやり、何時もの階段を上って行く。

 「今日はバイトがないし・・・、久々にカレーにしても良いかな?」

 確か、ジャガイモも人参も玉葱もあったはず。肉は、昨日、特売で安く買えた豚小間がある。
 取り敢えず、目先の夕食を頑張ろうかな、と思った矢先、行き倒れを初めて見てしまった。

 「ぎゃ・・・っ!」

 声が出そうになって、待てよ?と咄嗟に口許を押さえる。
 倒れている人物をよく見てみると、お隣の黒田さんだと気付いた。
 黒田総士さん。お隣に引っ越して来た時に、初めて挨拶をした時にも驚いたが、ボサボサにした長い外国人みたいな亜麻色の髪を無造作に一つで束ね、今時古いんじゃないかと思った位の黒縁眼鏡は、瞳が確認出来ない程分厚い。が、この黒田さんは無口で無愛想だったが、結構優しい男性である事を知っている。
 あまり、食生活にも───見た感じからも推測可能だが───頓着しない性質で。
 越してきた初めの頃は、父と二人暮らしだった所為もあってかどうしても多く作り過ぎてしまうのもあって、管理人の西尾のお爺ちゃんにお裾分けしていたが、度々が重なった為、西尾のお爺ちゃんからこう言われたのだった。

 「ワシには勿体無いから、今度からはお前さんとこのお隣さんの、黒田さんに持って行ってやってくれまいかい?」
 「・・・黒田さん、ですか?」
 「彼奴はなぁ、どうも食生活やら頓着しない性質でな、下手すると5日とか平気で飲まず食わずに過ごして行き倒れてな」

 しょっちゅう困っちょるんじゃよ。
 西尾のお爺ちゃんは、柔らかくそう笑って、皺の刻まれた手で頭を撫でてくれた。

 「お前さんのその愛情を、あの馬鹿タレにもお裾分けしてやってくれ」
 「は、はい。解り・・・、ました」

 返事をしたら嬉しそうに又撫でられたので、凄く嬉しい気持ちになったのは言うまでもない。

 『ああ、彼奴なら心配要らないさ。襲う事もしないからのう』

 確かに、女子高生が大の男の部屋───それも独り暮らしの部屋を訪ねるなんて、危険な事この上ないんだけれど、西尾のお爺ちゃんからは背中をバシバシ叩かれて、何かあれば叫べばご近所さんが駆け付けてくれるし、大丈夫と言われてしまえばお断りは出来ない。



 ───父さん以外の人に持ってくの、あんまりないから・・・味とか色々、ちょっと心配・・・。



 独り暮らしをする愛娘を心配し、父が用意してくれた中には保存容器が色々あった。おかずだけでなく、解らなかったのでご飯も残り物だが幾分小さな容器に詰めてみた。おかずは大きめ容器で、汁漏れしないタイプ。愛用していたら、父からも重宝がられて今では父からも銘柄を知られている程である。

 勇気は要ったが、案外に躰は勝手に動いてしまうものだ、とこの時初めて学習した。

 「・・・はい」

 ぶっきらぼうな声がドアの向こうから聞こえてくる。返事が返ってくるまで、向こう側から「痛っ」とか、ドサッとかよく解らない音は聞こえてきたけれど、本人が何とか出て来たから気にしないでおいた。

 「あの、と、隣の真壁ですがちょっと作り過ぎちゃって、良ければと思ってご飯のお裾分けに来たんです」
 「・・・・・・」
 「・・・・・・?」

 何の間があるんだろうか。
 あ、それともやっぱり迷惑だったのだろうか。

 やってしまったか、と西尾のお爺ちゃんと交わした約束をゴメンナサイと心の中で謝りつつ、ゴメンナサイ、ご迷惑でしたよね? 失礼しました・・・と去ろうとしたら、勢い良く扉が開いて、黒田が必死に腕を引っ張った。驚いた。ぽけっとした雰囲気しか知らなかったから、こんなに必死でいる黒田を見た事がなかったから、本当に驚きで。

 「ま、待ってくれ・・・っ!」
 「黒田さん?」
 「・・・う・・・、僕で・・・良い、のか?」

 心なしか、黒田の頬がうっすら染まって見える。

 「はい。ほら、私・・・今までが父と二人暮らしだったでしょ? だから、それを忘れて何時も通りに作っちゃって・・・」

 余ってしまって困っているんですよ。
 そう困った様に微苦笑すれば、黒田はほわ・・・んと一瞬口許を開けて見ていたが、直ぐにわたわたして落ち着かない挙動不審になってしまう。

 「味とか、お好みじゃないかと思いますが、食べてやって下さい」

 はい、とタッパーに入れてあったご飯やらおかずを黒田に渡す。

 「あ、タッパーは置いといていただければ大丈夫ですから」

 さっと自分の部屋に帰ろうとした所に、黒田が身を乗り出して。

 「・・・有難う、一騎さん」

 一言が嬉しかった。

 「いえ、お口に合えば幸いです」

 一騎、と自分の名前を覚えていてくれた事が嬉しくて、一騎はふんわりと微笑うと、会釈とばいばいと手を振って部屋に入って行った。
 入って直ぐ、扉に背を預けながら崩れ落ちてしまったのは、情けなくて人には言えない。

 『有難う、一騎さん』

 黒田さんのその一言が、凄く嬉しかった。




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