総一SS

□日常くろっしんぐ
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《一騎と授業》




 一騎が同化現象により悩まされている問題は、他にも多々ある。

 同化現象により、光しか視認出来ないこの瞳。自分では解らないけれど、真矢に言われた。曰く、血の様な深紅の色に染まって見える、との事だった。
 一騎は別段、構わなかったが。
 見えない一騎が、それでも成績を落とさなかったのは、単にたった一つの言霊───思い出があればこそ、だろう。


 「学生の本分は、学んでここでしか知り得ない知識を───基礎知識をつけ、学ぶ事だ」



 そう真面目な顔で諭してくれた、今はここに───隣に居ない誰よりも大切な幼馴染みの言葉と表情を思い出していた。

 激戦の後に待っていたのは、休息を促す様な静寂と平穏。



 それでも───、″彼″の居ない事をひしひしと思い知らされ、そして、例え様のない底知れない闇の中に落ちて行く感じが一騎にはあった。

 誰にも相談出来ない。
 話す事も、表現も難しい位だが、言い知れぬ不安、焦燥感と言える。

 そんな事はない、と頭を振って意識を今、やらなければいけない事に集中させた。
 最近は、何かと言うと胸にひしめく焦燥感で、自分がどうしようもない衝動に駆られてしまいそうで怖い時がある。

 取り敢えず、本日の授業の復習と明日からの授業の予習もしっかりとやっておかないと、と教科書とレコーダーを取り出した。
 レコーダーは、一つは特殊な薄い素材で成り立っており、音声認識システムが内蔵されているらしく、視認が不可能な一騎でも扱いやすい様に改良されている。
 もう一つは、ボックス形に近い、掌に収まるボイスレコーダー。高校───とは言えど、人口数が少ない為、小学、中学、高校と皆持ち上がり方式なので、基本的に同級生も担当する教諭もあまり変わらない───に上がってからは、新しく担任となった羽佐間容子から授業用に、と授業別に渡されている物だ。大人達は教員等だけではないのに、忙しい合間を縫ってこうして子供達に少しでも良い思い出、少しでも良い環境を整え様と骨を折ってくれている。その気持ち、心遣いには感謝してもし足りない事を、もっとも厳しく過酷な現実を知っているからこそ、一騎は感謝の念を忘れない。
 何だかそうする事で、居ないはずの総士から誉められている様な、こそばゆい暖かな気持ちに包まれるから、その瞬間の空白時間が好きだった。

 「さて、と・・・」

 ページを捲るのではなく、教科書に付属されている薄型のレコーダーに本日の授業分教科書内容をもう一度聞き返す。そして、授業も追って聞き直していく。

 元より、あまり授業は集中して聞いていなかったのだが、最近と言っても、勤勉で秀才な幼馴染みでもあり学級委員だった総士と昔の様に打ち解けあってからは、何となく一緒に勉強する機会が増え、何となくだが一騎も勉強をする様になっていった。
 勉強をあまりしなかっただけだからだろうか。
 総士と一緒に勉強する様になってからは、何となくだが成績も上がってきて、自分でも吃驚したし、あの口下手な史彦からも誉められて、少し、嬉しかったのを覚えている。

 その時の事を総士に話をしたら、ゆっくりと形作られていく綺麗な幼馴染みの微笑みに、どきどきしたのも昨日の事の様に覚えている。

 「・・・一騎は、勉強をあまりやらないだけだって事の証明だな」

 言われ、そうかな?と小首を傾げて何となく口から漏れた言葉、一騎の知らない本音だったのかもしれない。

 「そんな事・・・、ない、だろ? だって、総士が教えてくれると解りやすかった、し・・・」

 ゴニョゴニョと言っていたのだが、しっかり総士には聞こえていたらしく、苦笑されてしまった。

 「・・・まぁ、お世辞でも人からそう───特に一騎からそう言われると、とても嬉しい」
 「総士は、教え方が的確で上手いから、もっと自信持って良いと思う」
 「そうか? ・・・まぁ、今まで人にこう長く教えた事はないからな。一騎がそう言うのなら、そうなんだろう」
 「ああ、自信を持てよ。総士」

 総士が微苦笑しながら、ああ、と答えたあの時も、今でも思い出せる鮮やかで大切な思い出。


 「・・・総士・・・」

 総士が還って来た時に、ちゃんと勉強していたと、誇れる自分でいたいから、一騎は次の科目のレコーダーを流した。

 「これ・・・、この辺が意外に解り難いなぁ・・・」

 ここに総士が居れば、とことんと言うのか、一騎が理解出来るまで懇切丁寧に、かつ的確に教えてくれるのだろうが、生憎、その頼みの綱である総士は一騎との約束を守るべく、また大変な思いをしているはずで。

 一騎は溜め息を零すと、頬杖をつき、何かに誘われる様に瞼を───紅い瞳を閉じた。

 「・・・珍しいな。お前が勉強で躓いているなんて」

 変わらない総士の声音に、一騎はむぅと唇を尖らせる。

 「そんな事言っても、これ・・・結構解り難いし・・・」

 「そうか? 多分、お前の解釈が少しばかりズレているからかもしれないぞ?」
 「そんなの、どうして言い切れるんだよ・・・」

 総士がクスリと笑う。

 「僕は、ここはこうだと言う一つの解釈は・・・」

 総士が懇切丁寧に解釈の説明をしてくれる。それで、総士が何を言わんとしていたのかに、一騎は漸く解り、何となくだが重たかった頭が少しずつ軽くなって行く様な気がした。

 「あ・・・、そっか・・・。じゃあ、さっきの所は・・・」

 一騎が考えた解を総士に話す。
 すると、ふんわりとした気が暖かい、穏やかな雰囲気に一騎は包まれる。

 「・・・そうだ、それも一つの解だな」

 良く頑張ったな・・・。

 穏やかな総士の声音に、一騎は嬉しくて頬を緩ませる。

 「総士・・・、俺・・・もっと頑張ってみるよ」
 「ああ、一騎なら出来るさ」

 そうして、総士の穏やかで暖かな空気が一騎を更に包み込む。

 「一騎・・・」
 「・・・ん?」

 きゅう、と強く包まれていく。この感じも、一騎は好きだった。総士に、大切にされているんだ、と実感出来るからだ。

 「・・・済まない、一騎。僕は、必ず還るから・・・」
 「うん」
 「一騎、お前が待っていてくれる・・・お前の居る、この場所へ・・・」

 お前の傍に、必ず還る───。

 「ああ、待っているから・・・。総士が必ず俺の元に還って来てくれるって、そう・・・信じてる」

 何時までも、俺は総士を信じて待っているから───。

 一騎の言葉に、一騎の躰を包む空気が少しの緊張と悦びと、安堵感と共に、切ない空気に満たされていく。
 お互いが名残惜しくて、ずっとこのままで───そう思った刹那の時間。


 カラカラ。

 木の引き戸が音を立て、来訪者を知らせる。
 次いで。

 「ただいまぁ。一騎ぃー、誰か居るのか?」

 史彦の声が階下から聞こえる。
 そこで、一騎の深紅の瞳が開き、瞬いた。

 「あれ・・・? 父、さん・・・?」

 一騎は慌てて勉強道具を片付けるも、健常者の史彦の方が行動が早かった。
 トントントン、と階段に上っていく音が聞こえたと思うと、直ぐに部屋の襖が開く。

 「何だお前一人か、一騎?」
 「当たり前だろ? 俺以外に居るはずないじゃないか」

 何を言ってるんだ? 父さんは。
 一騎が呆れながらそう言うと、片付けた勉強道具を愛用のバッグにし舞い込む。
 そして立ち上がると、少しだけ手探りをして史彦を確認する。

 「今日は早かったんだな。遅くなったけど、これから夕飯作るよ」
 「ああ、そうか・・・。それなら溝口から良い鯵が手に入ったからと鯵のたたきをもらったぞ?」
 「美味しそうだな。じゃあ、今日はそれと味噌汁とご飯を炊くよ。商店街のおばさんに野沢菜漬けも貰ったから、それも付け合わせるよ」
 「ああ、それ位なら俺が・・・」
 「・・・父さんは、器作りがあるだろ?」

 言外に手伝わなくて良い、と言うと一騎はゆっくりと左手を壁に這わせ、トントンと階下に降り、台所に消えてしまう。
 史彦は首を傾げたが、確かに一騎の部屋には誰も居た形跡も雰囲気もなく、おかしいなぁ?位で直ぐに下の工房へと階段を降りて行った。








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