□うすどろ
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馬超付きの女官だった彼女を嫁にと望んだのは愛だの恋だのという甘い感情からではなかった。彼の一族を纏める馬超がそれとなく勧めてきたことと、妾の数が両手で数えるにたりなくなったことでそろそろしかるべき後ろ盾を持つ妻を迎えた方が良いのではなどという打算だった。

例えそんな愛のない結婚だったとしても当の本人は楽観的に捉えていた。それが一度きりしかあったことのない、全く好みでない女性だったとしても。

何度か情を交わせば愛着もわく。子を成せばなお。そんな関係の相手が一人くらいいてもよい。自分の幸福はさておき、彼には彼女を幸福にする自信があった。喜ばせるだけの自信があったのだった。

「すまない。馬岱」

縁談を積極的に進めていた本人が破談を切り出したのは馬岱が彼女に会いに来た宵のことだった。彼が言うには女は病を得て里に下がらせるのだという。金色の星が紺の空に輝いている。その紺の奥、闇に消えていこうとする輝きに馬岱は初めて心を動かせた。

「会いたいから会わせてくれませんか」

「だめだ。本人も会いたくないと言っている」

「せめてさよならを言わせてくださいよ。一度は奥さんにって思った人なんですから」

夫婦になると言うことが未だよくわからないまま口に出した言葉に自身で苦笑しながら、黙した従兄の横をすり抜ける。沈黙は苦々しい了承だった。

彼女のもとへ向かう最中に考えるのはさよならをどうつげるのかということ。

そういえば詳しい出自さえもしらない。帰る里とはどこなのか、などということも心に過ぎった。

(元気でね、は皮肉っぽくてやだなあ)

(美味しいものをたくさん食べて病気を治して……なんかちがうよねえ)

(やっぱり、素直にさよならかな)



















「もとより不釣り合いでしたので返って安堵しております。お話を頂いた時は頭の中が真っ白になりましたから」

寝台から起き上がり、俯いてはいるが、彼女はうっすらと笑っていた。重圧から解放された、本来の優しい笑みを初めて見た馬岱はなんとも言えずに頷く。

「最後にこのように見舞って頂いて、私は幸福な女官でした」

「し、あわせ?」

はい、と返事をして以後、女は口を閉じた。

馬岱が彼女に与えるはずだったものは二人の終焉として別れを飾ってしまったのだった。

「……君がさあ、俺との関係を不釣り合いって思うのは……たぶん、それは忠誠心とか謙遜とかのせいじゃないよ。ぜーんぜんかっこよくない」

「馬岱さま……?」

にこり、と笑う彼を見上げる女の瞳に歪んだ空気が陰となって映り込む。

「君がただ単にまだ俺を好きじゃないからだ。好きになったらそんなこと考える余裕ないもの。今のあんたは俺に遠慮してるふりをして逃げてる。逃がさないよ。俺だって覚悟したんだ。一緒にいようよ。気持ちなんてあとでついて来るさ――ね、君は帰さない」


ぬめぬめ


(君を見つめる俺の瞳

(からめとられた私の舌先
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