□瑠璃のやうにきよらかに
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幼い時分だった。夜であった。不気味な闇がどろりと粘り、子供だった男の腹にのっかり、重みを増していくようだった。

何者かの気配をその無の中に見出だしそうになった彼はごろごろと寝返りを打っては気を紛らわせていた。

母親にすがって眠りを求めるには大きく、一人でやり過ごすには子供な彼は仕方なく半身を起こして闇を見定める。粘って――いる。蛇のようにしなやかに猿のように狡猾に。

彼に取り入る甘い暗がり、全てを飲み込む母なる無。

恐ろしさはどうしてか死を思わせた。何の脈絡もなく少年は自らの最後に心を馳せる。

なんとなく良い死に様ではないだろうな、と彼は考えを打ち切って布に体を埋めた。微かに耳底に響く鼓動が不快だった。




















女の目は不思議な程澄んでいた。

闇色である。

近くで見れば明るい茶のそれも距離を置くと底知れぬ色を宿す。

「お前の闇は――どうして絡み付いて来ないのだろうな」

暗がりで縮こまった記憶。死に抱きしめられた一人の夜。いつも孤独とともに黒いそれは男を包んでいた。頼まなくともそうであったのに。

「私はいつも考えていた。子供の時に。初陣の後は感じていた。私はいつも」

途切れた言葉に沈黙が降り懸かる。耐え切れなくなった思いが決壊する。彼は女の手を握った。柔らかい。ただそれを感じただけで男の頬に涙が流れた。

「生きるぞ。私は。お前を犠牲にしても」

女が自分を想っていたことを知っていた。だからといって特別扱いはしないとも決めていた。

追い掛けてくる姿が嫌いではなかった。飲み込みが早いと褒めてやるのも嫌いではなかった。

見る影もなく引き裂かれた姿を前にしても嫌悪はない。生きていた時よりも、鮮やかに彼女はそこに在る。

「生きるぞ。生きる。すまぬ、許せ」

許さぬ――。























肉は腐り、骨は砕ける。

土に溶けたのは体だけではない。

女は男を許さなかった。彼はそう思って救われる。

「(名を心に刻もう)」

果たしていつまで――覚えていられるか。いつまで。

忘れたいような、忘れたくないような不思議な気持ちが湧き出て、そして落ちていく。あの日へ、彼女の瞳の闇へ。

(早く、夜がくればいい)

お前がいった、お前と私が最後に交差するその時。















好きだと――。












聞いてもくれなかった、つれない人は生きた。ただ鮮やかな軌跡を残して去った。私を忘れて、私の生を仕方ないと諦めて。

死せる人は幸福なのだ。納得して目を閉じた人は。

(ああ、私はなんてことを)

私は天秤にかけた。勝利とお前を。国とお前を。

全てを捨てて目の前の命を取ることもできた。





















(私はお前の上官にしかなれなかった)

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