夢
□私の
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いつもあの方はそうだ。私の目を見て待つ。初めてお会いした時はその視線を受け取るのが色んな意味で恐ろしくて逃げていた。
誰にでもそうするのかと思ったら違うらしい。
「お前はいつも何か言いたそうに私を見るではないか」
……特に用事がないときも、あなたさまは私を見るではありませんか。言いかけてやめた。水掛け論が目に見えていた。
つまり張将軍は私が何か言いたそうにしていると思うから待ち、私はその沈黙にせかされて何か申し上げなくてはと思いを巡らせるということだ。
練兵の具合だとか、この間の怪我は治りました、など、私達の話題など限られている。将軍の目はとうに飽きたと濁っているのに私を捕まえるのを止めない。次第に尻すぼみになり、やがて会話は絶えた。
「面白いやつだ」
全くつまらなそうに言う。だから私は探すのだ。彼の退屈を紛らわすためだけに。
いつしか私は将軍を恐れなくなった。彼には微塵も関係ない私生活のことも話したし、物事に関する個人的な見解も話した。あの人は気難しくて困るだとか、あの人は優しいから好きだとか。
一度だけ、将軍が私よりも先に口火を切ったことがあった。春の、いや、雪解けの日のことだった。月が丸く、暗い金に輝いていた。酒を間に置いて私達は向かい合っていた。
将軍は兜を脱いで私の杯を指差した。
「寄越せ」
慌てたなどというものではない。私はやっと二人の間にある途方もない距離を再確認した。初めは『恐ろしさ』として心に刻まれたその距離は今、深い憧憬とそこに至りたくも至極だからこそ永久の高嶺であってほしいという酷く説明しがたいものへ変化している。
彼は決して追いつけない遠い人だ。
「寄越せ」
不機嫌に取って代わる一瞬前の強張った笑みだった。私は仕方なく従う。既に命令だったからだ。
「兄弟の盃だ」
「ええっ」
「嘘だ」
将軍が笑う。機嫌が直っている。
「夫婦の盃だ」
「ええっ!?」
嘘だ、と声にせずに唇が象る。
「それ以上があるならばお前にくれてやろうぞ」
嘘だとも真実だとも言わずに酒が飲み干された。私はなんとお返事すれば良いのかわからずにてらてらと光る水を見つめる。
「将軍の後ろにあっては剣として従い、前にあっては盾になりたいです」
「道具か」
「人では辿り着けない何かになりたいと」
「では私のために死ね」
伸ばされた手、酒を再び注ぐ手。私は恐縮することを忘れて受けた。
「はい」
涙が溢れ出た。
私がこの人に伝えたい、伝えるべきことはこの数瞬に凝縮されていた。
飲み干した酒は辛く、甘かった。