ソフトンがすぐに施してくれた応急処置のおかげで、ヘッポコ丸は一命を取り留めた。しかし体内の血液は本来の量の半分近く失血していたらしい。医者もそれには驚いていた。そんな状態にあったにも関わらず生き長らえたヘッポコ丸が、医者の目には奇異に映ったようだ。しかしそんなこと、オレの知ったこっちゃねぇ。オレは、ヘッポコ丸を死なせるわけにはいかなかったんだ。そのためなら、オレ自身の命を削る結果になってしまうことすら惜しくなかった。




エナジードレインならぬエナジーアウト。俺の生命力をヘッポコ丸に送り込むことによって、死を遠ざけた。だから半分近くの血を失ってもヘッポコ丸の心臓は止まらなかったし、呼吸も正常に保たれていた。

それとは逆に、オレは限界ギリギリ。身代わりで死ぬんじゃねぇの? ってぐらい、正直言えば辛い以外の何者でもなかった。当然だ、自分の生命力を削られるんだ。辛くないはずがねぇ。




だけど、ヘッポコ丸が腕を切るのを止められなかったオレに責任はある(責任、ていうのも変かもな)(オレはヘッポコ丸自身だから)。あの時オレがちゃんと止めることが出来たなら、こんな騒ぎにはならなかったんだ。「死なない自傷は、このままじゃ避けきれない」とオレはソフトンに忠告したのに、それを一番に止めなければならないオレが役立たずだったんだ。危惧していた…注視していた…それなのに、防げなかった。






なぁヘッポコ丸。お前は一体、何を思って腕を切ったんだよ。お前の考えが分からなかったんじゃない。お前は何も考えて――思って――いなかったじゃねぇか。ただ無心に、強硬に、腕を切り刻んだ。オレの説得に耳も貸さず、意識の沈下も跳ね返して、お前は死に突き進んだ。どうしてそこまで死に急いだ? あの男の――破天荒の言葉がそんなにショックだったか? もうダメだって勝手に決め込んで、逃げようとしたのか? そうすれば楽になれると思ったのか? ふざけんな、バカ野郎。





なぁ、いつまで寝てんだよ。さっさと目を覚ませよ。目を開けて、周りをよく見ろよ。そして、お前は一人で苦しんでるつもりでも、周りにお前を包んでやろうと躍起になってくれている存在に、気付いてくれよ…。





――――





病室というのは、どうしてこうも白で統一されているのだろうか。脆弱さを強調するかのようにひたすらに白いこの空間では、眠り続けるヘッポコ丸がそれに同化してしまうんじゃないかと、ただひたすらに不安だった。







懸命に施した応急処置が効を成したのか、ヘッポコ丸は一命を取り留めた。しかし所詮施せたのは応急処置の域を出ず、ヘッポコ丸は早急に最寄りの病院へ搬送された。


すぐに手術室送りとされたヘッポコ丸は、そこで傷の縫合と輸血が行われた。大した時間は掛からなかったにも関わらず、その場に居た全員が生きた心地がしなかったことだろう。





手術室前の廊下で、首領パッチが一度、何も言わずに破天荒の頬を張った。無言で、ただ一度、破天荒を平手打ちした。廊下にパンッという軽快な音が反響する。手を上げた首領パッチのその瞳は、明らかな怒気を含んでいて、重々しい重圧が掛かっていて、誰も何も口出し出来なかった。



首領パッチは、ヘッポコ丸の自殺未遂が破天荒のせいだと捉えているようだった。…いや、きっとそれは首領パッチに限らず、事情を一切知らないメンバー全員が思っていることだろう。しかし面と向かって破天荒に罵詈雑言をぶつけなかったのは、ヘッポコ丸の安否をただただ願っていたからだと思う。破天荒への恨み言など、後から幾らでも言えるのだから。




首領パッチは、頬を張ったらすぐに破天荒から離れ、椅子に座って泣きじゃくる天の助に近付いていった。そして肩を抱き寄せ、「大丈夫だ」と、そう言った。破天荒は終始何も言わず、壁に凭れかかって叩かれた頬にずっと手を添えて俯いていた。あの時、破天荒は一体何を思案していたのだろう。あれから話す機会を逃していたから、謎なままだ。








手術を施されてから早三日。ヘッポコ丸は未だ目を覚まさない。交代でヘッポコ丸の側に付き看病しているが、変わったところは何処にも無い。この三日間、ただ浅く呼吸を繰り返して眠り続けているだけだ。




「このまま、ヘッポコ丸が起きなかったらどうしよう…」




共にベッドの側に置かれている椅子に座っていた天の助が、情けない声でそう呟いた。




「心配するな。そのうち、目を覚ますさ」
「でも、もう三日になるんだぜ?」
「それだけ失血のショックが大きかったということだろう。今は、夢を見ているだけだ」
「夢、か…」




包帯の巻かれた左腕を慈しむように撫でる天の助。この傷の原因は自分にあるんだと、天の助はひどく気にしていた。泣きじゃくっていた原因にはそれも含まれている。ヘッポコ丸を一人残して首領パッチの元に遊びに行かなければ、こんなことにならなかったのに…天の助はそう言って、後悔の念に苛まれていた。


彼なりにヘッポコ丸を気遣ってそうしたのだから、その行動を咎めることなんて出来ない。それに、天の助が自分の意思で部屋を出なかったら、ヘッポコ丸が退室を促したかもしれない。たらればを言うつもりも無いし、この世界には『もし』なんて言葉も存在しない。あるのは『今』だけ。抗うことの出来ない、『今』という『現実』だけだ。




「ごめんなヘッポコ丸…俺、お前の痛みも辛さも、なんにも分かってやれなかったっ…」




ピクリとも動かないヘッポコ丸の手を握り締め、天の助は何度も「ごめん」と謝った。夕日色の瞳から、ポロポロと涙が零れ落ちる。



俺は心が痛んだ。ヘッポコ丸の自傷は、傷付いたヘッポコ丸自身のみならず、仲間達に連鎖的に痛みが感染し、ズタズタに痛めつけているのだ。ビュティもここ最近笑顔を見せないし、首領パッチもハジケを控えているように思う。天の助は言わずもがな、こうして自身を責めては泣いてばかり。ビュティも泣くのを我慢しているのであろうに、この男は人目をはばからず泣く。泣きはらす。


しかしそれを制止することなど出来ない。その涙は天の助の思いやりの証。ヘッポコ丸を大切に思っているが故の涙。純粋なる想いの象徴。





――ヘッポコ丸が流していた涙も、これほどまでに純粋だっただろうか。




しかしヘッポコ丸が歩んだ隘路を考えれば、そこには『純粋』だけが詰まっていたわけではあるまい。恋を自覚してから、その恋心がマイナスに下降していくのは容易で、最初は「好きすぎて辛い」だったのに、最近は「どうやっても叶わない」から泣いていたのだ。月日を重ねれば重ねるほど、思考はマイナスに陥った。





その結果、このように自傷行為に走ってしまったわけなのだが…。






未だ天の助はボロボロと涙を流して、贖罪にもならない謝罪を繰り返す。どうして俺はこうも他人が泣いている現場に遭遇する確率が高いのだろうか…何かの呪いか? バビロン神が与える試練なのだろうか。





そう思案していると、コンコン、と控え目なノック音が聞こえてきた。それに応答すると、扉が開かれた。





そこに立っていたのは、破天荒で。




「…破天」
「何しに来たんだよ」




俺の言葉を遮り、天の助が先刻まで泣きはらしていたとは思えない程の形相で破天荒に詰め寄って行こうとする。俺は咄嗟に天の助の腕を取って止めた。悪い予感――直感で、止めなければならないと思ったからだ。




「ヘッポコ丸をこんなに傷付けといて、今更何しに来たんだよ」
「おい」
「お前のせいだ。お前のせいでヘッポコ丸はこんなことになったんだ。言わせてもらう、お前なんかにヘッポコ丸を任せられない」
「やめろ天の助っ」




マズい。感情が暴走している。天の助の中の何かのタガが外れている。制止の言葉も届かない。抑えが利かなくなっている。


止まらない――天の助は、止まらない。






「お前を愛さなきゃ、ヘッポコ丸はこんなに傷付かなかった! こんなに苦しまなかった! お前がっお前がヘッポコ丸を追い詰めたんだ! このまま、もしヘッポコ丸が起きなかったら…俺は、お前を一生許さねぇ!!」




怒鳴っている間にまた溢れ出した涙を拭うこともせず憤懣をぶちまけた天の助は、俺の手を振り払い、走って病室から出て行ってしまった。残された俺と破天荒は、荒々しく閉められた扉をただ呆然と眺めるしか出来なくて。




「…言い返さないとは、珍しいな」
「まぁ、な。ところてんが恨み言言いたいのも、しょうがねぇって思うし」




責任は俺にあるんだろ? そう問い掛けてくる破天荒の顔は、どこか寂しげで、儚げで。俺は、その問い掛けに肯定することは破天荒を貶める結果になるのが否めず、何も言わずにさっきまで天の助が座っていた椅子に座るように促した。破天荒は何も言わずにそこに座った。





沈黙が流れる。お互い、目の前で静かに眠るヘッポコ丸を眺め、一言も言葉を発さない。破天荒はただヘッポコ丸を見舞いに来ただけなのだろうか。この三日間、破天荒は一度もこの病室に訪れなかった。罪悪感がそうさせたのか、それとは別に、何か思うところがあったのか。




「ボーボボから、話は全部聞いた」




と、唐突に破天荒はそう切り出した。目線は相変わらずヘッポコ丸に向けたままで、破天荒は言う。




「コイツが今までどれだけ悩んでたか、傷付いてたか、悲しんでたか、泣いてたか、努めてたか、教えてくれた。…俺、そんなことまでは、知らなくてさ…」
「…まぁ、上手く隠していたようだったからな」




ボロが出たのは、俺が初めて泣いている所を目撃した時と、この間の破天荒との口論の時だけだ。それ以外は、己が背負う黒い影を悟られぬように、普段通りの自分自身を保っていた。邪王も、「普段普通に仲間と接してられんのが不思議なくらいだ」と言っていた程、ヘッポコ丸の影は重かった。





――気付かれたくなかったから。


――悟られたくなかったから。


――知られたくなかったから。



――必死に、押し込めていた恋心。






「崩しちまったのは、俺だ」




包帯を巻かれた腕を取り、その上から傷を確かめるようになぞる。真っ白な包帯の下に隠された生々しい傷痕。包帯に阻まれて見えないその傷を、直に見たのはパーティの中ではきっと俺だけだ。応急処置を施した俺だけが、傷の深さ・酷さを知っている。




「コイツを死の淵に追いやったのは、俺だ」
「破天荒…」
「俺がヘッポコ丸の想いをしっかり識別しないまま淡々と生きていたから、こんなことになったんだよ」
「………」





『破天荒も後悔していたさ』




ボーボボの言葉が頭を過ぎる。彼の言う通り、破天荒はひどく後悔しているようだ。俺が思っていたよりも、深く重く、この事実を受け止めている。自分一人の責任だと己を責め、全てを背負い込もうとしている。




「確かに、ヘッポコ丸が腕を切ったのは君のせいかもしれない」
「………」
「だけど、それを防げなかった俺達にも責任はある」
「………」
「だから、君一人で背負わなくて良い。これは、パーティ全員で背負わなくてはならない枷だ」
「…ヘッポコ丸がアンタを頼ってたの、頷けるぜ」
「そうか?」
「あぁ…頼りになるよ、アンタは」




アンタになら、話しておいて損は無いだろうな。破天荒はそう言った。その意味が分からず、俺は眉をしかめる。訝しむ俺を見て、破天荒は「そんな顔すんなよ」と苦笑して諭してきた。




「今日俺がここに来たのは、アンタに話したかったからさ。この三日間、寝る時間すら蔑ろにして導き出した、結論をな」
「結論…?」
「あぁ。――ヘッポコ丸の気持ちに対する、答えをさ」
「―――!!」




答え。

結論。


導かれた破天荒の心の終着点。想いの拠り所。






「俺は、アンタに最初に話しておきたかった」
「…どうしてまた、俺に話そうと思ったんだ?」
「アンタがヘッポコ丸をずっと支えていたからだよ」




間髪入れず、破天荒はそう断言した。




「ヘッポコ丸をずっと支えていたのなら、俺の気持ちがどうなるのかっていうのを、アンタは一番知りたかったはずだ。どんな形になったにしても、ヘッポコ丸をこの負の連鎖から解放してやりたいって、アンタはずっと考えてたはずだ。少なくとも俺はそう思うんだけど」




違うか? と問われ、俺は呆気にとられてしまった。破天荒の言う通り、俺はヘッポコ丸を救ってやりたかった。俺だけじゃない。邪王だって同じことを考えているはずだ。『彼』はヘッポコ丸の想いを無理矢理断ち切ろうとしたこともあったのだ。きっと俺よりも、ヘッポコ丸を救済することを望んでいただろう。


ヘッポコ丸を救うには、やはり破天荒の想いの方向性が肝だった。吉と出ても凶と出ても、一時的なヘッポコ丸の解放に繋がるのだ。






吉――想いが実るか。


凶――拒絶されるか。






「…じゃあ、お前はもう既に答えを明確にしたのだな」
「あぁ。…俺は、もうアイツから目を逸らさない。知らないふりなんてしない。ちゃんとアイツと向き合って、今までの拗れを全て解く。…アンタは、その成り行きを見守ってくれているだけで良いのさ」
「…それは」




それは、もう余計な手出しをするなという意味か――?



もう、俺の出る幕ではないから、引っ込んでいろと――?





「頼むよ、ソフトン」




破天荒は、苦笑混じりにそう言った。懇願に近いその言葉に込められたその真意を、俺はどうやって感じ取れば良いのだろうか。




「……お前が出した結論によるな」
「まだ首を突っ込むか否かをか?」
「そうだな」
「世話焼きだな〜アンタも」
「ここまでお前とヘッポコ丸の恋愛事情に関わっていたんだ。終焉を見届ける権利ぐらいあると思うが?」




眠り続けるヘッポコ丸の前で、不謹慎な話をしていると思う。けれど…それでも、俺は、最後まで見届けてやりたいと思っている。お節介だと言われようが過保護と言われようが、関係無い。俺にはまだ、出来ることがあるかもしれないからだ。



破天荒が提示した答えで、ヘッポコ丸はまた泣くのだと思う。何度も何度も泣いたのに――否、何度も何度も泣いたからこそ、それが最後の涙になるだろう。




それが想いが実ったことによる喜びの涙なのか。



それが想いを拒絶されたことによる嘆きの涙なのか。





二つに一つ。吉か凶か。天国か地獄か。




「なんか、ヘッポコ丸と付き合っても、アンタは保護者みてぇにつきまといそうだな」
「いや、この話が完結したのなら、俺は傍観者に徹するさ。お前がヘッポコ丸を泣かせない限りはな」
「…あぁ、もう泣かせねぇ。




















俺は、コイツを一生愛してやるって決めたんだから」
「―――」





それが。


破天荒が導き出した結論。






あぁ、今の言葉が、眠り続けるヘッポコ丸にも届いていれば良いのに――





















――――
意味を成さない涙は無いから
Alice Nine./CROSS GAME




→『涙』シリーズ第七話。ここに来てようやく、破天荒の心は決まりました。ソフトンも安心したことでしょう。しかし当人であるへっくんは目覚めていません。伝えなければ、この話は終わりません。さぁ――物語は、終焉へ。

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