「お前がオレのモンになるんなら、コイツは解放してやるよ」





下劣な笑みを称え、OVERはそう言った。与えられた選択肢など、どちらを選ぼうが迎える未来に大差なんて無い。きっとOVERはそれを分かって言ってるんだろう。俺を追い詰めることに、この男は快感を覚えてる。張り付いている笑みで、それは容易に読み取れた。


こんな男の前に立っていることに吐き気がした。出来るならすぐに立ち去ってしまいたい。こんな奴に従うなんて、良いように弄ばれるなんて、俺はまっぴらごめんだ。捨て台詞の一つでも吐いて、さっさとこんな奴の前からおさらばしたい。…普段なら、すぐにそうしただろう。アイツの発言を一蹴して、神経を逆撫でして、バックレてやる。それが普段の俺のやり方なのに。





――今の俺に、そんなことをする度胸など皆無だった。





「どうした? 簡単なことだろ? あのガキを助けてぇなら、オレのモンになりゃあ良い。ただそれだけだろ?」




OVERはニヤニヤと笑いながら、壁際にてぐったりと横たわる人質――ヘッポコ丸を、指し示した。




一糸纏わぬ姿で手足を枷で戒められ、鎖に繋がれて、横たわるヘッポコ丸。遠目からでも分かる、その足に絡み付く赤と白を見れば、周りに飛沫している白濁を見れば、ヘッポコ丸が一体何をされたのかが否が応でも分かってしまう。


俺を怒らせるためにそうしたのか、ただヘッポコ丸を傷付けるためにそうしたのか…どちらにしろ、OVERが行った卑劣な行為に、俺は言い知れぬ怒りがこみ上げた。





これは交換条件。ヘッポコ丸を解放する代わりに、俺にOVERの所有物になれという、言葉にすれば至ってシンプルな話。ヘッポコ丸を犯したのは、俺の選択の幅を狭めるため。――拒否権を、奪うため。





「…卑怯だなテメェ…」
「卑怯? なぁに言ってんだよ」




愛用の大きな鋏を肩に担ぎ上げ、OVERはまたニヤニヤと笑う。




「欲しいモン手に入れんのに、卑怯もクソもねぇだろうが」
「俺が狙いなら俺だけにしろ! どうしてヘッポコ丸を巻き込んだっ!!」




OVERが俺を自分の所有物にしたいと思っていることは知っていた。OVERにとって俺は玩具で、虐げたいモノ。俺はOVERのそんな思想に従うなんざまっぴらごめんだった。だからいつものらりくらりかわしていた。



OVERは、そんな俺の態度に我慢の限界を迎えたのだろう。だから、こんな暴挙に出たんだ。俺とヘッポコ丸が付き合っているという情報をどこで掴んだのか知らねぇが、とにかくアイツはヘッポコ丸を誘拐して、傷付けて、そして俺に選択を強制させた。人としてあまりに卑劣、あまりに卑怯。四天王最凶の男は、とことん手段を選ばないつもりなんだ。




憤る俺を後目に、OVERはニヤニヤした笑みを崩さず言う。




「お前はこのガキを心底愛してるらしいな」
「だからなんだ」
「好きな奴なんだろ? このまま見放して、見殺しになんざしたくねぇよなぁ?」
「…何が言いてぇ?」
「さっきから言ってるだろ? 俺のモンになれば、このガキは解放してやるってな」
「っ…!」




そう、選択肢はさっきから提示されている。OVERのモノになるか、否か。




しかしどちらを選んでもデメリットが大きい。それを考えちまうと、即決即断が出来ないこの選択。





ヘッポコ丸は助けたい。この気持ちに嘘も偽りも無い。けど、こんな奴のモノになるなんざ死んでも嫌だった。




じゃあコイツを倒すか? そんなの、戯言だ。夢物語も甚だしい。俺の実力じゃあOVER
を倒すなんて天地がひっくり返ったって無理だ。





嫌な汗が頬を伝う。じわじわと精神を削られるが如く、嫌な重圧が掛かる。――自分の保身を取るか、ヘッポコ丸の安全を取るか。





「おら、さっさと答えを出せ。簡単な話だ。お前がこのガキを見捨てればそれで話は終わるんだ。オレのモンになるのが嫌なら、さっさとそう言えば良い」




OVERが急かす。苦渋の選択を迫られ、俺は唇を噛み締める。…見捨てるなんて、出来る筈がない。俺のせいでヘッポコ丸はこんな目に遭ってんだ。無情に突き放すなんざ、出来ない――






OVERの肩越しに見えるヘッポコ丸。目覚める様子は無く、静かに眠っている。その細い足に絡み付く赤と白。周りに飛沫している白濁。この位置じゃ見えねぇけど、その頬には涙の跡が消えず残っているのかもしれない。









――『破天荒』








ほんの数日前まで、ヘッポコ丸は俺の隣で笑ってた。いがみ合いの末に実った俺達の関係は、驚く程に順調で、幸せに満ち溢れてた。







――『お前抱いてると落ち着くー』

――『誤解招くような言い方するな!』

――『じゃあ抱っこって言えば良いのか?』

――『…言い方が破天荒っぽくない』








ヘッポコ丸と過ごして得たありふれた幸福は、おやびんと過ごしている時とは違う密度で俺を包んだ。何にも囚われず生きてきた俺を照らしてくれたのがおやびんなら、引き上げてくれたのはヘッポコ丸だ。おやびん以外に執着しなかった俺の心を変えてくれたのは、アイツの笑顔で、言葉で、存在だった。





――その全てを奪ったOVERは許せない。しかし、断罪すべき対象はOVERだけでは無い。俺だって、断罪されるべきなんだ。我が身可愛さに選択を躊躇うことは、罪深い以外の何者でも無い。





ごめんなヘッポコ丸。助けてやるのが遅れて、ごめんな。







「…分かった」
「あ?」
「お前のモノに、なる。だから、ヘッポコ丸を解放しろ」




俺の出した選択。それは、この身を差し出すこと。心は決まった。もう迷わねぇ。躊躇しねぇ。今はOVERのモノに収まって、隙を見て逃げ出してやる。ヘッポコ丸をこの男の手から救い出してやるのが、今の俺に出来る最良の策だ。



俺の答えを聞いて、OVERは満足そうに笑った。




「フン、さっさとそう言えば良かったのになぁ」
「約束だ。ヘッポコ丸を放せ」
「急かすんじゃねぇよ。ほら」




OVERが何かを投げ渡してきた。受け止めて確認すると、それは小さな鍵だった。




「枷と鎖を外すための鍵だ。テメェに一日の猶予をやる。そのガキとは今生の別れになるんだ。せいぜい楽しんで来いよ」




そう言ってOVERは部屋から出て行った。相変わらずの笑みを崩さないまま、俺に脅し文句同様の情けを掛けて。OVERの中途半端な甘さに反吐が出そうだったけど、今は一刻も早くヘッポコ丸を連れてここを出るのが先決だ。OVERに腹を立てるのは、また後でも良い。



しゃがみ込み、ヘッポコ丸の手足の枷と鎖を外す。やはり頬には乾ききっていない涙の跡があって、瞼も腫れていた。コイツがどれだけ泣いて涙を流したのかなんて、一目瞭然だった。




「(俺が、来るのが遅かったから…)」




近くに捨てられていたボロ布を引き寄せ、ヘッポコ丸の体を包む。そのまま抱き上げると、その軽さに俺は目を見開いた。ヘッポコ丸が拉致されたのはたった二日前のことなのに、衰弱の度合いが桁違いだった。呼吸も浅いように思える。一刻も早く、治療が必要だ。




「(OVERの野郎…一体どれだけヘッポコ丸の体を酷使したんだ…!)」




憤懣に悶えながら、未だ意識の戻らないヘッポコ丸を連れて、俺はOVER城を後にした。







――――





ボーボボ達と合流して、すぐに治療をソフトンに委ねた。下手な医者に診てもらうよりも、バビロン神だかなんだかの加護を得ている(らしい)ソフトンに任せた方が得策だと思ったからだ。ボーボボもそれには賛同してくれた。



しばらく待っていると、ソフトンに呼ばれた。ヘッポコ丸が目を覚ました、と言って俺を手招く。言われるがままに足を踏み入れれば、ベッドに横たわったヘッポコ丸が、俺を見て力無く微笑んだ。




気を使ってくれたのか、ソフトンはすぐに部屋を出て行った。取り残される俺達。俺はベッドの縁に腰掛け、ヘッポコ丸の髪を撫でた。




「破天荒…」
「悪かった、助けに行くの、遅くなっちまって…」
「ううん…気にしてない。俺は、大丈夫だから…」
「嘘つけ」




大丈夫、なんて、見え透いた嘘。大丈夫なはずがない。ヘッポコ丸が受けた体の傷も心の傷も、「大丈夫」の一言で片付けられる程生易しいもんじゃない。




「俺の前で、やせ我慢なんざしなくて良いんだよ」




体を傾けると、スプリングがギシリと音を立てた。そのまま、ヘッポコ丸に口付けた。二日振りのキス。それだけなのに、ひどく懐かしく感じたのは何故だろう。ヘッポコ丸は抵抗もせず、静かに目を閉じてそれを受け入れてくれた。


何度か触れるだけのキスを繰り返して、徐々に深くする。ヘッポコ丸の手が俺の後頭部に添えられた。舌を擽りながらうっすらと目を開けてヘッポコ丸を見れば――ヘッポコ丸は、目を閉じたまま、涙を流してて。




「ヘッポコ丸…?」




驚いて、俺はキスを止めた。だけど、お互いの顔の近さは変わらない。俺の視界にはヘッポコ丸しか映らないし、きっとヘッポコ丸の視界にも俺しか居ないはずで。


離れないんじゃない。離れられないんだ。後頭部に添えられたヘッポコ丸の手が、俺が離れることを拒んでいるように思えたから。




「ホントは、怖かったよ…」




開かれた真紅の瞳。涙で濡れ、揺れる紅。嗚咽混じりに、ヘッポコ丸は言った。




「OVERに、めちゃくちゃにされて、ぐちゃぐちゃにされて……痛かった、怖かった、辛かった。でも、俺…なんに、も、出来なくって……何回も、死にたいって、思ったんだ……け、ど…破天荒のこと、考えて、また…会いたいって、思ったから…だからっ…!」
「分かった。もういい」




もういいから、俺だけを感じてろ。







俺はヘッポコ丸を抱いた。俺が抱きたいと望み、ヘッポコ丸が抱いてほしいと願ったから。合意の上でのsex。OVERの痕跡を掻き消すが如く、しかし出来るだけ柔らかく、ヘッポコ丸の身体に触れた。少し痩せた体のラインをなぞって、キスをして、髪を撫でて、熱を高めていった。

コイツの体のことを考慮すれば、こんなことするのは間違ってると理性がブレーキを掛ける。しかし、本能はそのブレーキを振り払う。俺の心も体も、全身が、ひどくヘッポコ丸を欲していた。






――もしもこれが最後になるのなら、最後までヘッポコ丸を、覚えていたかったから。





この夜が明ければ、俺はヘッポコ丸の前から居なくなる。俺はOVERの所有物に堕ちる。逃げ出すつもりではあるが、それが可能かどうかは分からない。いつになるかも分からない。今生の別れにするつもりは毛頭無いけれど…その可能性が捨てきれない程、今の俺は弱気だった。





「離れちゃヤだよ、破天荒っ…」




喘ぎ、掠れた声で、ヘッポコ丸は言う。




「もう、あんなのはいや…ヤダよ…ヤダ、」
「分かってるよ、な? 大丈夫だヘッポコ丸」




泣きじゃくり震える小さくボロボロな体を抱き締めて、俺は嘘をつく。とても残酷な、嘘を呟く。




「もうお前を一人にしない。ずっとずっと離さない。愛してる、ヘッポコ丸」




お前の記憶に残す最後の言葉は「さよなら」じゃなく、「愛してる」でありたかった。だから俺は、何度も何度も「愛してる」を繰り返した。それが残酷で非道な裏切りであることを分かっていても、止められなかった。俺がこの言葉を繰り返すことで、夜を明かしたヘッポコ丸がどれだけ絶望するかなんて容易に予想出来た。





「(それでも、伝えておきたかった…)」




疲れきって眠ってしまったヘッポコ丸の髪を梳き、俺は申し訳無い気持ちでいっぱいだった。しかしタイムリミットは確実に近付いてきている。そろそろ…コイツから離れなくちゃならない。




「ごめんな、ヘッポコ丸。俺はずっと、お前だけを愛してるから」





マフラーから鍵を取り出して、細いチェーンを通して簡易なネックレスを作る。それをヘッポコ丸の首にそっと巻いた。窓から差す月光によって反射される金色の光。――どうか、俺達を繋ぐ、最後の糸となってほしい。



俺はお前を置いていくけど、心だけはいつまでもお前と共に居たい。そうありたいと願う。俺のことを忘れても良い。でも、その鍵だけは、いつまでも大事に持っていてほしい。押し付けがましいかもしれないけど、俺のささやかな願望だった。




「元気でな、ヘッポコ丸。ずっと、愛してる――」




眠っているヘッポコ丸の唇に最後のキスをして、俺はゆっくりと部屋を後にした。向かう先は牢獄。脱出出来る可能性があまりに低い檻の中。




今、俺が奴との約束を守らずに逃走すれば、またヘッポコ丸が犠牲になるんだろう。アイツは執念深い。たとえ獲物を取り逃がしても、またすぐに追い付いて、確実に捕らえる。アイツにとってみれば、ヘッポコ丸は俺をおびき寄せるためのただの餌でしかなく、うってつけの道具でしかないだろう。俺が逃げ出せば、また同じことを繰り返すことになる。





――だから、俺は今は、逃げない。



この自己犠牲で、ヘッポコ丸が救われるなら…。






「よぉ。早かったな」
「うるせぇよ」




悪魔のような笑みを浮かべ、OVERは俺の首に大きな枷を填めた。そこから伸びる鎖の先は、OVERの手の中。




「やっと捕まえたぜ、破天荒」
「フン、すぐに逃げ出してやるよ」
「ハッ…やれるもんならやってみろよ」




荒々しい手付きで体を暴かれ、心がだんだんと熱を失っていく中で、俺はずっとヘッポコ丸のことを想っていた。目の前のOVERなんて、端から見えていない。




心の片隅であれ、アイツの存在を忘れなければ、俺は大丈夫だ。俺は、光を見いだせる。この地獄の中で、生き抜いてやる。守るために残してきたアイツの笑顔を、もう一度見るために。










――ここを抜け出せたなら、あの嘘を、真実に塗り替えよう。今度こそ離れない。離さない。必ず…。



















――――
最後の嘘は
シド/嘘

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