Inferno

□愛の挨拶。
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「榊先生のつけてらっしゃる香水って何なんですか?」

「一千本の華々だ」



【アムール・ドゥ・パトゥ】





リアクションに困って固まってしまった私に、何事もなかったかの如く普通にどうした、と聞いてくる43歳が憎い。

場所は音楽教官室、時は意外や意外氷帝にもあるんです、な掃除の時間。
初日の割り当て場所を賭けたジャンケンで見事一人敗北した私以外、皆はドア一枚を隔てた音楽室を掃除している。
つまり、今この部屋には部屋の主と私のみ。
そんな状況で、先程のキザ極まりないセリフを返されて戸惑わない中学生が居ようか、いや居まい(反語)


「いえ、余りに詩的な表現だったのでちょっと感動してしまいまして」

「そうか。まあ当然だな」


ダメだ、皮肉が通じてない。

軽く眩暈に似た何かを起こしかけたが、持っていたホウキで何とか耐え凌ぎ。
そんな私にお構いもせず、正体不明の音楽教師は最早ハスキーというよりダンディボイスで続けた。


「固有名を言うなら、私が使っているのは『1000(ミル)』だ」

「ミル?」


意外と可愛らしい名前に、思わず首を傾ける。
すると先生は頷いて、空中に指で『mille』と書いてくれた。


「仏語で『1000』という意味だ。その名の通り、1000種類の香料を使用し数年をかけて作られるパルファムだ」

「はぁ」


ご丁寧な解説に、半開きの口でへろりと答える。
大層マヌケだが、それしか言葉が出てこないのだから仕方がない。
そんなにたくさんの材料と手間がかけられているのなら、さぞかしイイお値段なんでしょうね?
俗な感想しか思い浮かばない自分の頭が恨めしいが、取り敢えず嫌いな匂いではない。
むしろ好きな方だ。
きっと両手いっぱいでも抱えきれない程の花束とは、こんな香りがするに違いない。
目の前の人がそれを抱えている姿を想像して、あまりのハマりっぷりについ小さく笑ってしまった。


「本来は女性用に開発されたものでな、従って淑女(レディ)達からの評判も良い」


が、次いで付け足しの様に放られた言葉に一瞬で顔が強張る。

…まぁ、そりゃね?
こんな如何にも『ゴージャス!』な香りとオーラを振り撒いていれば、寄ってこれるのは百戦錬磨の淑女達だけでしょうよ。
思春期真っ只中で、恋の駆け引きどころか恋のいろはさえ分かってない小娘なんざ端っからアウトオブ眼中なことでしょう。
そんなことは分かってる。
よーく分かっている。
それでも、


急にムカムカしてきた胸が苦しくてどうしようもなくて、私はくらえ!とばかりに口を開いた。


「そうですよね、先生なら淑女達の方が放っておきませんよね(金目当てで)」

「ああ。欲しがる物の殆どは贈ってやれる上、どんなに気障な台詞も恥しげ無く口にできるしな」

「…スイマセンでした」


どうやら皮肉はちゃんと通じていて、ただかわされていただけらしい。
それが『オトナの余裕』ってヤツだろうか。
反撃のハズが、返り討ちにあってダメージ二倍だ。


「別に謝ることではない」

「……ハイ」


少しだけど、先生の声が子供をあやす様な響きを帯びる。
私の心情なんて、最初っから全部お見通しだったみたいだ。

何だよもう…、つまり完全に負けってことじゃないか。

悔しさからだと思いたい、ぼやけだした視線を伏せて口唇を噛む。
俯いてしまった私をどう捉えたのか、先生は今まで軽く寄りかかっていた窓辺から離れると、
私の目の前にあるこれまた豪華な椅子(別名『社長イス』)にゆっくりと脚を組んで座った。
ヘンリー・マクスウェルのつま先しか映らない視界で、斜め30度上から降ってくる声。


「だが、既製の美しい華千本よりも、自らの手で育てる一輪の薔薇の蕾の方が麗しいとは思わないかね?」



その言葉に、別にとびきりの美少女でもコックニーでもないけれど、
イライザとヒギンズ教授ごっこに興じてみるのも悪くないかもしれない、と思ってしまった私だった。



―fin―


7mlで35000円もする『1000』、
太郎にしか似合いませんでした…。
2006/01/29


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