short storyV

□それは、嗜好の話。
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 意識が霞んで白く遠退く。
 …もしかしなくても俺は死ぬのかも知れない。

 直前に喰らった一発を思い出しながら目を開いたら、遠く白く白く染まり尽くした果てに最愛の妻の姿があった。
 微笑んで真綿みたいな声が自分の名を呼んで手を伸べている。

 あぁ、あいたかった。会いたくて恋しくて仕方なかった。同じように手を伸ばして指先が触れ合う直前、その瞬間。
 白い視界は反転、ド真っ赤なピンヒールが視界に踊り込む。



「ちょっと。何死にかけてんの!?迷惑だから茶番劇なら他所でやってくれない?」

 容赦なく腹に沈んだヒールの先と強烈な絹の鮮やかさで頭に響いた声。

「ぐ、えっ」

「その上情けない声で、友恵ぇ…なんて私が殺してやりたいくらい!くたばれ鏑木虎徹!」

 ぐりぐりと捩じ込まれてく踵を止めようと掴んだ足首の細さと掌から伝わる彼女の温度に思わず顔を上げれば横たわる自分を冷たく見下ろしている瞳と目が合う。

 長い睫毛が影を落とした目元につやめく唇とスカートの隙間から覗くガーターベルト。赤のピンヒール。
 …何処の女王様だよ。

「ま、待て待て、えーっと、その、ご、ごめん…?」

「許さない。今すぐ私に葬られろ」

「勘弁してくれって!…つーかやっぱ俺、死にそうなの?」

 すぐそこにあるだろう人生の結末に込み上げた不安もそのまま目を伏せた。

 とりあえずこの危険極まりない殺人ヒールは脱がせて遠くにやってしまおう。
 必然的な放物線を描いて落ちた赤は、溶けてべちゃりと音を立て床に大きな染みを作った。

「大丈夫、安心して。私が責任持って友恵さんの元に送ってあげる」

「いやぁ、それはちょっと遠慮したいかなー…なんて」

生身の滑らかな足の甲を指で擦る。

「私は優しい声で名前を呼んで、手招いてなんてあげない」

「…知ってる。」

 知ってる、痛いほど。身に染みて知っている。

 前を向く強い瞳のひかりと、歩みを止めないこの小さな足のしなやかさ。

「じゃあね。私は行くから。」

呆気なく引き上げられた足を思わず強く掴む。

「待て、待てよ。…俺は、生きたい。」

「…ふぅん?まだまだ私に踏まれたい、ってこと?」

 身を乗り出して少し曲げた膝に腕を当て、全体重を足に掛けられる。

「…っだ!ん、な訳、ねぇだろ!」

「そういう趣味なんでしょ。ミスターヒーロー」

「…ちっげえよ!」

 叫ぶように強く口にしたら、濡れて見える鮮やかな唇の端を上げて彼女は笑う。

「何にも違わないから。怖がらないで、いつまでもこうして私に踏まれることを選択し続ければいいの」

「ミスターヒーロー、鏑木虎徹。生きると云うのは、シンプルにつまり」

「それは、」

「嗜好の話だわ。」

 ジリジリと増すプレッシャーに耐えきれず手を放せば、腹を破る足と共に耳の粘膜に沈む彼女の声。

 大きく息を吸って膨らむ肺。心臓が強い脈を思い出す。目を開けば感覚が。
 全ての感覚が、傷んだ身体に戻る。

 写ったのは向こうの遠い青空。
 手前に見慣れたピンヒール。

 髪を耳に掛けながら自分を見下ろしている瞳が、ポッケに手をいれてやけに美しく笑う。

「死に間際に私のヒールが恋しくなった?」

「…あぁ、くそっ。っとに、優しくない女だよお前は!」

「ははっ、今更?」

 青い空を後ろに無邪気な子供のように笑う。

 まぁ、悪くはないのかもしれない。…なんて、そう。だからつまり、

それは、嗜好の話。









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