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□二度と言わない、
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「………」

「………」


彼とわたしは、長く薄暗い廊下を忙しなく歩いていた。

今日は、髪を結った。
白粉と口紅を引いた。
綺麗な着物を着せてもらった。

明らかに“いつも”のわたしじゃないでしょう?
…なのに。
何故貴方は何も言わずにわたしの前を歩くの。


「………」

「………」


………黙ったままの背中に小さく嘆息を吐く。
気付かれないように。

…………ねぇ、以蔵。
これはね、貴方だけに見せたかったのよ?
貴方だけに褒めてもらいたかったの。
貴方だけに…………―――


「――…、だ」

「………えっ?」


唐突に聞こえた彼の声に驚き問い返すと、これまた急に立ち止まるもんだから、危うくそこに鼻先を潰す所だった。
…刹那、ぐいと引かれて暗がりの壁に押し付けるように、両腕で左右を囲われた。

…以蔵?

いつになく乱暴な行動に、声を出さずに窺った。ゆらり、見下ろす視線が揺らぐ。


「………」

「………――」


互いの吐息がかかる程の距離に目を逸らした瞬間……視界が真っ暗になる。そして。


「……んっ…」

「………っ」


唇に感じる柔らかさと温もりに、思いがけず飛び出しかけた声を彼の舌で塞がれる。

甘く、あまい。
限りなくすれ違う、想像と現実。

…あぁ、貴方はこんなキスをするんだ。


「――…綺麗だ。可愛い…」


そんな言葉を囁くなんて、思ってなかった。だけど。
貴方に似合わない台詞が、より一層愛しさを募らせていくから不思議だ。

嬉しくてうれしくて、つい「もう一回言って」と強請ってしまった。









『二度と言わない、』
(二度も言えるか。それから…、もう二度と彼奴等の前で着飾るな。何処かに閉じ込めてしまいたくなる…)





***
急に思い浮かんだ突発SS。無口な彼の甘い言葉って貴重だと思う。

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