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□甘い罠で滅茶苦茶に愛して。
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「――…だから無理をしてはいけないと、何時も言っていただろう?」
「…う………はい」
わたしは今、掌に負った擦り傷の治療を受けながら、桂さんのお説教を長い事聞かされていた。
理由は……―――
『馬に乗って出掛けるぞ!』
高杉さんに促されて、着物姿のまま馬に乗ろうとしたわたし。――うん、解ってる。あれはわたしが悪かったんだ。
着物のままじゃ、馬に跨るなんて無理で…。だけど無理やり横座りして、高杉さんの背中にしがみついた。すると……馬が急に動いた瞬間、不安定な体は宙に浮いて、つかまっていた手を放してしまった。……………勿論、落馬した。
掌の傷はその時に負ったのだ。
「――…まったく。本当に解っているのかな、君は…」
「………ご、ごめんなさ…」
溜め息混じりに呟いた顔は困り果てていた。
本気で叱ってくれる彼には感謝しているのだけど……。
いつもの優しい笑顔が消えたことに切なくなり、謝罪の言葉も語尾が小さくなって上手く喋れない。
「………ごめんなさい…」
……ぽた、ぽたり。
畳が小さな音を立てた。
言い直した瞬間、気が緩んで涙が落ちたのだ。
「なっ…泣いて……?」
桂さんが顔色を変えて、その細長い指で慌ててわたしの涙を拭う。
――…正直なんで泣いているのか自分でもよく解らない。
叱られたから?傷が痛むから?足が痺れたから?
「………すまない、言い過ぎたかな」
…………まただ。
この人は、わたしに甘過ぎる。
こうやって説教したって、わたしが落ち込んでくるとすぐに謝る…。
悪いのはわたしの筈なのに。
………そうか、わたし。
この人に甘やかされたから、こんなちょっとした事にも涙が我慢出来なくなっちゃったんだ…。
「今回は大した怪我ではなかったから良かったけれど…。君が馬から落ちたと聞いて、心底焦ってしまったんだ。大事な君の事だからね、つい私も感情を高ぶらせてしまった。……泣かせるつもりは無かったんだ」
「…!桂さん…」
ごめんね、ともう一度謝って、その細く引き締まった腕でそっとわたしを包み込んだ。
「………だけど、約束してくれないか」
そう言った後、声音を潜めて耳打ちするように伝えられる。
「もう二度と他の男と二人きりにはならないで。例え晋作でも、ね。……もし約束を破ったら、もっと君を泣かせてしまうかもしれない。私は嫉妬深いからね」
耳元で囁かれた言葉に驚いたわたしは、思わず彼の顔を見る。
……いつもの優しい笑顔。
本当にこの人の声だったのか、と疑いたくなる。
……だけど次の瞬間、確信する。
彼はわたしの治療しかけの右手を取り、傷口をぺろりと舐めた。
「…んっ……!」
生暖かい擽ったさに、堪らず妙な声が漏れた。
くすりと笑った彼が一言。
「……約束。守れるね?」
「………はい」
返事をするかしないか、その刹那に唇を奪われた。
甘い言葉で酔わされて。
その隙間に入り込んだ後、とびきりの甘い罠を仕掛ける。
…なんて狡い人。
――巧みな手口に見事にかかったわたしは、彼にすべてを奪われる感覚に襲われた。
桂小五郎
『甘い罠』
終