MYSTERYS 〜Chaos Chronicle〜

□混沌の現
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 その年の元旦、磯の香りを含んだ風が境内から出た迷探貞の鼻を抜けた。
 年中を通して本州東日本の中でも温暖な気候である静岡県の清水も、流石に防寒具を着けずに喪服だけの姿は寒い。かといって、線香臭い境内の最前列で延々と経をきくのは大学四年の齡22の彼には、例えそれが父の七回忌法要と云えども辛いものがあった。
 しかし、非喫煙者である彼が板張りの外廊下に出たところでトイレに行くか自動販売機で何か温かい飲み物を購入する以外、時間を潰す方法はなかった。

「まだ後30分近くある……」

 上着の内ポケットにしのばせていた携帯電話の液晶画面に表示された時計を見てポツリと呟いた。
 いい加減買い換えた携帯電話であるが、流行りに乗らずに選んだその携帯電話はタッチパネル式操作が主流になりつつあっても、ボタン操作式の二つ折りタイプの携帯電話であった。当然、暇を潰すようなゲームなども入っておらず、多くはない大学の友人達からのメールも受信するのはどれも年賀状代わりの内容ばかりだ。
 画面に刻々と時間の変化を伝えるそれを溜め息混じりに内ポケットに戻すと、彼はトイレに向かうことにした。
 つまり、思いついた二つ共実行することにしたのだ。

「あ……」

 用を済まし、喫煙所の自販機に向かうと、先客がいた。
 40歳前後の中年男が缶コーヒーを片手に煙草を吹かしていた。

「おう、探貞か。息子がふけてると知ったら、名探偵も草葉の影で泣いてるぜ?」
「それはお互い様でしょう?」

 探貞はホット缶コーヒーを購入しながら答える。
 彼に冗談めかしていうこの男の名は、伝節男。探貞も父の生前、何度となく顔を合わせた父の元相棒の警部で、父の死後は警察を辞めて探偵をしているらしい。
 ちなみに、名探偵というのは父のあだ名だ。

「違いない。……吸うか?」

 隣に座った探貞に煙草を差し出して伝が聞いたが、彼は丁重に断る。

「賢明なことだ。海外では健康についての警告表示でパッケージのほとんどを占めているそうだ。側面に「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」と回りくどい注意を記載する国は、恐らく世界中探しても日本くらいだ。むしろ、フィルターを通す喫煙者自身よりも直接煙を吸う周囲の人間への影響の方が大きいという見解もあるらしい。つまりは、探貞に私は気の長い毒殺を行っている訳だ」

 探貞の記憶に違わぬ皮肉混じりの口調で語る伝は、紫煙を彼とは反対側に吐き、吸い殻を備え付けの灰皿に落とした。

「これで私にお前を故意に殺す意思がないことを示した。つまり、お前が肺ガンになろうと、それはこの場に座った探貞の過失である可能性が高まった訳だ。ある意味で完全犯罪だな」
「しかし、その発言を僕が記録していたら、完全犯罪は成立しませんね」

 探貞がコーヒーを一口飲んで言うと、伝はいよいよ愉快そうに口元を歪めた。

「その通りだ。それこそ完全犯罪を暴くきっかけとなるイレギュラーに他ならない。どうやら『名探偵』の素質は健在らしいな」
「名探偵なんか。俺には興味ありませんよ。それになる資格もない」

 探貞は高校生活最後の冬を思い出しつつ言った。
 警視庁の名探偵とうたわれた父の死。当時、事故と他殺の両方とも疑われたが、今もその真相は明らかになっていない、迷宮入りした事件だが、当時探貞はその真相究明の鍵を知りつつ、両親の地元である清水の地に逃げた。
 昭文町の借家に住めなくなった為の家庭の事情ではあるが、それでも方法は幾らでもあった。
 しかし、彼はそれをせずに親友とも縁を切り、この地に移った。つまり、逃げたのだ。
 大学生活を送る探貞の日常はとても穏やかなものであった。
 父の死後、四十九日法要、遺品整理と共に、借家であった昭文町の家を引き払い、両親の故郷である静岡にある母の実家へ転居することになった。母は受験願書を提出した首都圏の大学への進学とそれに伴って下宿暮らしを彼に勧めたが、彼はそれを断り、願書を出していた中の唯一あった静岡の某大学清水校舎の受験のみに絞り込み、そして合格をした。
 大学へは自宅からバスか自転車、そして原付の50ccバイクでの通学となり、サークルにも所属しつつも、高校時代に比べるとさして大きな活動もせず、日々を過ごしていた。
 高校の卒業式の翌日に転居し、卒業式での別れを最後に、幼なじみの親友達とも交流を絶っていた。
 一年目は探貞に電話やメールを親友達が送り、気まぐれに探貞が返すといったやり取りを繰り返していたが、二年目、三年目となるに従ってその頻度は少なくなり、就職活動や卒業課題に取り組む四年目に入ってからは、ほぼ交流がなくなっていた。
 互いに住む場所、交遊関係が変わったことは確かに疎遠の大きな要因であったが、それ以上に彼が昭文町の仲間達に背を向け、父の死についての真相究明を避けたことが最も大きな要因であった。
 父は、弾丸のない射殺死体で発見された。
 数年後に、彼の殺害に血液と骨を凝固させた特殊な弾丸による犯行であった可能性が示唆され、血液と骨を入手できる人物が犯人であるとまでは特定された。
 しかし、その後も容疑者は浮上せず時間のみが経過していた。

「どうやらあの時のことを今も後悔しているらしいな。当時はまだ餓鬼だった。それだけだ」
「………」
「ところで、確かもう卒業だろ? 就職か?」

 伝は話題を変えてきた。
 しかし、これもまた彼には触れて欲しくない話題の一つだった。

「決まってません。まだ一つ最終面接が残っているところがありますが、多分あまり良い企業ではないのだと思います」
「就職氷河期ここに極まるな。もっとも、お前の才能もその一因のようだが。悪徳企業はお前自身がそれを見抜いてしまうが故に選択肢から外しているのだろう?」
「………」

 図星だった。大学の仲間は次々に決まっているが、三流大学の就職先だ。その多くが彼の不安を感じた何らかの要素を持つ企業であった。
 何も答えない探貞の胸の内を見抜いているかのように彼は言った。

「残念だが、お前の才能は俗な生き方を許さない。それは己を非凡に誘う。だが、一方で非凡に陥った者を平凡に帰すこともできる才能だ。……探偵にならないか? 私が鍛える」
「え……」
「面接は終わりだ。私の事務所はお前を採用する。……どうだ?」
「どうと言われても……」

 一度言葉に詰まったが、彼は伝に次ははっきりと答えた。

「やはり、僕は父のように成れません。誠に嬉しいお話ですが、謹んでお断りを申し上げます」
「そうか。……まぁ、唐突過ぎたな。採用は永劫に有効だ。気が向いたらここを訪ねてきてくれ」

 伝は探貞に名刺を渡すと先に境内へ戻って行った。
 一人残された探貞は渡された名刺を見た。
 そこには伝探偵事務所という文字と所長の役職名、彼の名が並ぶ間に『名探偵』と書かれていた。
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