SPN

□Jelly fish and Angel(C/D)
3ページ/3ページ


浮かれたキャスを引き連れ、最前列でイルカと顔を合わせたディーンは、盛大な水かけによる歓迎を受け、頭からずぶ濡れになったので売店でタオルを買っていた。頭を拭きながら、待たせているキャスの場所へ戻る。視界の端で、見慣れたコートが翻った。

「キャス、」

声をかけた先で、思わず足を止めた。

回廊状の水槽が壁に沿って続く道。その中央に建物を突き抜ける形で作られた筒型の水槽。その前に彼は立つ。

下から照らされた小さなライトが、明度の低い部屋を照らしている。岩群青よりも深い青と紫が混ざる灯りの中、ふわりふわりと、上へ下へ、踊るのは無数の海月。それらはライトで照らされ、呼び声に振り返るそのコートをうっすらと浮かび上がらせた。暗い室内で、振り向いたコバルトブルーの瞳だけがほんのり輝く。コートの裾が尾びれのようにひらめいて深海生物のようだ。

「ディーン」

その声は、はるか海の底から響くかの如く、ディーンを呼ぶ。背に沢山のクラゲを浮かばせて。伸ばされた手を掴みながら、
「こういうトコだと、お前が人間じゃないってのがよく映えて判るよ」
「……新手の侮辱か?」
「ちょっと怖くてドキドキする」
「何?……聞き間違えたようだ。もう一度言ってほしい」
「もう言わねー」

並んで色々な種類のクラゲを見つつ、

「……覚えてないかもしれないが、今日は、お前が俺の前に現れた日だ」

殊更何でもないように、ディーンは呟いた。キャスの視線を感じながらも、目は水槽から離さずに。

「だからまあ、今日は、」
「記念日だと?」
「いや別に。そういうんじゃない、ホントたまたま」
「そうか。……そうか」

キャスは少し笑ったようだった。

「覚えているよ、ディーン。忘れもしない。君の前に出て行くのは、何千年、何百年もの歳月の、どんな出来事よりも緊張したんだ」
「その割には尊大だった」
「そ、そうだろうか……あの時は緊張していたからな」

しばらく黙った後、キャスは嬉しそうな声で言う。

「君といると、私はどんどん強欲になってしまう。思い出が蓄積されて、「私」が変わってゆく。それが嬉しくもあるし、少し怖くもある。今生での別離は、真実の別れではない。そう知ってはいるが、強欲になった私は、永劫に共に、と願わざるをえない。君に夢中だ、ディーン。この上、二人の記念日を増やされては、おかしくなってしまいそうだ」
「ふーん。じゃあ、これからも気まぐれにどんどん増やしてやろ」
「小悪魔、というやつか」
「もう大分おかしくなってるぞ、お前」
「……これから先、今日の事を何年経っても忘れられないだろう。イルカが、中空の輪をくぐろうと高くジャンプして、輝くその背を陽光に反射させたのを二人で見上げた事を。彼が輪をくぐった瞬間の君の顔を……素晴らしかった」
「おいイルカを見ろよ」

キャスは噛みしめるように目を閉じた。

「眩しいものでも見たように、キラキラと瞳が輝き、水しぶきを浴びてなお、楽しそうに笑うその横顔。君が笑う一瞬ごとに愛おしい記憶が増えていき、たまらなくなってしまった」

浮かんでは沈み、沈みつつも上へと泳ぐクラゲを、二人で眺めながら、キャスは目を開け、強請るように顔を向けた。

「ディーン、ここは広い。見ていない展示がまだまだ続いている」
「そうだな、水中トンネルもまだだし、なんならシャークネードもまだ見てねえからな」
「ああ。ペンギンの展示やアザラシの水槽も見たい。サムに土産も買わねば。思い出を作るには、今日と言う日は短すぎる。記念日を一週間ほど続けてほしい」
「強欲だなー」
「そうだ。言っただろう。強欲だから……記念日に、口づけの思い出もほしいんだ」

水槽から目を離さないディーンの視界を覗きこむように近づいて、彼の口先でそっと顔を止める。

「……その、いいだろうか」

そこまで寄ってきておいて、今更許可をとるな。そう口にしてやるほど、ディーンは親切ではなかった。

だから代わりに、目の前のネクタイを何も言わず、思いきり引っ張ってやるのだった。
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ