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□【Web再録】Frantic sweets syndrome
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数分して、再び何事も無かったかのような顔で対面に現れたバルサザールは、手に持っていた袋をテーブルの上に置いた。
「なにこれ」
「酒のつまみによく食う菓子。冬はこれに限る」
がさがさと袋の中から取り出されたのは、パウンドケーキに似ているどっしりした菓子だ。表面はジンジャーで薄い糖衣がけが施されている。
「パン・デビスだ。またはスパイスパン。フランスの菓子で、ブルゴーニュのディジョン銘菓」
「フランス菓子とは、しゃれてる」
「聖ニコラ祭じゃ、フランスのあちこちで見られるぜ。でも元は中国の蜂蜜菓子が起源だ」
いつの間にか、傍らには二人分のホットワインが出現していた。
「十字軍の遠征でそれが伝わって、ディジョンに嫁いだ王女様からフランスに知れ渡ったわけよ」
「へー、何か見てきたような口ぶり」
「……たまに思うんだが、お前、俺の事、なんだと思ってんだ?」
「キャスを脅して、天使って言い張るギャング」
「つっこまないぞ…ま、簡単に言やぁ、ジンジャーブレッドみたいなモンだ」
小型のナイフでざっくり切ると焼き立てのそれから、もわぁと湯気が出た。
「本当は少し置いてから食うのがイイんだが、焼き立てが俺は好きだ」
皿に取り分けた大ぶりのパン・デビスを、じっと見下ろしてはちらちらとこちらを窺うディーンの姿が、小動物のようで、思わずバルサザールは口元を緩め、頬杖をついた。
「まだだめ?」
「『待て』ができるとは利口だな…早く食えよ」
いつになく柔らかいその声音に驚きつつも、ディーンはそっと手に取って、口元へ運んだ。
まず、舌先でジンジャーの糖衣がとろりと溶けた。ピリリとした辛さを包むように、ハチミツがふわりと口の中に広がった。
ねっとりとした生地にはハチミツが何層にも練りこまれているようだ。しかし、ジンジャー以外はただ甘いのかと言うとそうではなく、オレンジ・ピールの香りとシナモン、ナツメグにアニスなど、ピリッとしたスパイスも混ざる味だった。ごろごろとドライフルーツとナッツが舌の上を転がる。それでいて、水分は程良くもちもちと口の中に広がるのだ。
ホットワインが追って喉を通れば、たちまち体はぽかぽかと暖まった。
「んまぁーい!」
「旨いのは当たり前だろうが。誰がお前に献上したと思ってる。他ならぬバルサザール様だぞ」
バルサザールは、ナイフの切っ先に一切れ刺して、かじりながら言った。
「まるで、お前みたいな菓子だなぁ」
ぐびぐびとホットワインを傾けていた手が、ぴたりと止まる。バルサザールは形容し難い顔をディーンに向けた。
「何だって?」
「お前そっくりな菓子だって言った」
ほわっと上気した顔で、ディーンは言う。
「ぴりってスパイスがいっぱいで、こいつ、辛い!って思うんだけど、実は、とろとろで甘かったりする。でも甘いとこはあんまり表面に出ないんだ。ごろごろごつごつばっかり目立つから、不器用な感じ。変なヤツだ」
「……菓子の事だろう? 俺には似てねぇよ」
「でも俺は好きだぞ。気まぐれで偏屈だけど」
「聞けよ、人の話を」
そっぽを向いていたバルサザールだったが、ちらりと横目でディーンを見た。その表情は苛ただしげで、不機嫌そうだったが、対するディーンは、ぽかぽかの暖かさと菓子の美味しさで、ふにゃりと弛緩した笑顔を崩さない。
バルサザールは、どうにもやりにくいと眉をしかめる。
「ん〜、眠くなってきた……」
「ここで寝たら置いて消えるぞ」
うん、と頷くディーンを横目で見るままだったバルサザールは、ふとディーンの唇が少し荒れている事に気がついた。
「おい、口。皮が剥けそうだぞ」
リップスティックをどこかから取り出すと、ディーンの唇を掴み、輪郭に沿って塗る。されるがままのディーンが、バルサザールの瞳を覗こうとしたが目線は露骨に避けられた。
「お前、意外と女子力高いのな。なんかキモい」
「うるせぇな。キャスはあんなだから器には気を使わないようだが、俺は繊細だから気を使ってんだよ。この時期は皮が剥けたら痛いだろ」
器の唇の皮が剥けても、天使なら何とでもしそうだが、とディーンは首を傾げた。それこそ、人間のようではないか。
そう思うと、もしかしたら自分の為だけに現れたのかもしれないリップスティックだったが、そこまで口に出すのは躊躇われた。素直に答える相手でも無いので。