SPN
□【Web再録】Frantic sweets syndrome
2ページ/16ページ
【パン・デビス】
「バッカだなぁ、お前」
街角のカフェテラスで、心の底から口に出したような声が、そう言った。
声を発した男―バルサザールは、実に愉快そうに、意地の悪い笑みを浮かべ、テーブルを挟んだ向かいに座るディーンを見ていた。
ディーンは両手に持ったバニララテのカップをぎゅっと握りしめ、頬を膨らませた。何しろ、話を遮ってもう何分もバカ笑いをしていたかと思えば、やっとそれが忍び笑いになり、ようやく口にしたのが、そんなセリフだったからである。
人をバカにするのにも程がある、とディーンは思ったが、言いかえせない所が実に腹ただしい。むくーっと頬を膨らませたまま、黙って睨むディーンに気づき、バルサザールは薄氷のような瞳を優しげに細めた。
「ああ、すまん。今のは勿論、冗談だ。だってしょうがないよな。デカい黒ミサが行われてるって聞いて突入してみりゃ、インドの神々を信仰してた怪しげな宗教の乱交パーティだったんだろ? どうせなら混ざってくりゃよかったのに。ま、あのカタブツな弟の前じゃ、それもできねえか」
「…………」
「で、気が抜けたとこで、そこにあったグラスに、美味そうな酒が入ってたのを見たら、つい手に取っちまうよな、誰だって。いや、俺だって腹立ちまぎれにそうするとも。気づけるもんかよ。それ飲んだら甘いもんばっか食いたくなる奇病にかかるなんてよ」
「…………」
「くっ……くく、お前ってホント、バ」
「フォローするなら最後まで頑張れよぉ!」
「くはっ、怪しげな宗教の現場で、お前、うかつにそんなもん、飲むなんて、ホントお前、バ」
「次、バカって言ったらお前、絶交だかんな!」
溜め息をつきながらバニララテをすすり、ディーンは自分の身におこった事を再度話し始めた。
「いいか、お前が遮るからもう一回、最初から整理するぞ、黙って聞け。呪い代行とか人死にも出てるらしいっていう集会が黒ミサをするって噂を聞いたのが数日前だ。で、顛末はさっきお前が俺をバカにした通りだったが」
「おおディーン、俺はお前を尊敬してはいるが、バカにした事なんか…ぶはっ、くく、無いって」
「お前なんか、いっぺんサムのラップトップに頭ぶつけて死ねばいい……で、あのグラスを手に取って並々入ってた酒を飲んだ時から何かおかしいんだ。やけに体がだるい、何かすげえ眠い、甘い物が無性に食べたくなって、食ったら依存症かってくらい食っちまう。何かに憑依されたかと思ったが、霊体反応はEMFでも出なかった」
「それじゃ、そんなに支障ねぇだろ。高熱が続くとか、命に関係するわけでもねえ」
「サムが困ってる。『このままだと僕のスラッとしてムチッとした兄貴がぷよんぽよんになる。でも妊娠の初期症状に似ているかもしれない』って」
「揃ってバカだなぁ」
「またバカって言った! 絶交!」
「おっと、サムがバカって話だ」
「むー……」
未だ膨らんだままのディーンの両頬を手で掴み、こねくり回しながらバルサザールはにやついた。
「それで? その酒を俺に調べろってのか?」
バルサザールは人間の嗜好品が好きだ。どうせ、人間を器にしているのなら、折角だから楽しまなければと享楽に身をゆだねる事もしばしばだ。
根っからの快楽主義者という性質の所為もあるが、人間の魂を収集する時、彼はどちらかと言えば、善人の魂よりも悪人のものを好む。
そちらの方が魂に刻み込まれた人生の経験に、深みや苦み、あらゆる享楽があるから、眺めていても面白いのだ。
そういうわけで、魂に深みを出す原因になりやすい、ドラッグや酒といった、あらゆる嗜好品に興味を向けるのは彼の性格上、必然だった。
「便利なインターネットでも探せない酒か?」
「見つかってたらお前にバカにされてまで話してない。そもそも酒が悪かったのかどうかも判んないんだが一応聞いとこうと思って。すっきりしないし、いまいち不安。何か心当たりとか無いか?」
と聞きながらも、ディーンはテーブルの上に並んだカフェのスイーツを片っ端からバニララテで流しこむ。その異様な光景をバルサザールは努めて視界に入れまいとしていたが、とうとう、うんざりしながら横目で眺めた。
「お前の胃袋はどうなってんだ?腹いっぱいにならないのか」
「腹いっぱいになると眠くなる。寝て起きたら甘い物が食べたくなる。以下、エンドレス」
「甘いもん以外は、いつものお前と同じか」
「いいから心当たりを言えよ!」
「……飲んだら甘いもんが欲しくなる、なんて逆にありすぎるくらいだ。マリアージュっていうくらいだしな」
「度を越して甘い物が食べたくなる酒、だ。それこそ、ここ数日、甘い物ばっか食べてんだよ。バランスで言うと肉が五、菓子が六っていう割合」
「おい、容量オーバーしてるぞ」
「いや、いつもは肉が八、菓子が三ってくらい」
「嘘だろ、通常時で常人より胃袋デカいのか」
「通常の三倍早いぞ。消化が」
「赤い彗星だったのか、お前。それにしても、どこに消えてんだよ、オーバーした分は……」
「ともかく、何とか怪しそうな酒を見つけ出すのがお前に与える任務だ。お前はやればできる子!」
「俺はいつからお前の部下になったよ……あー、ならこの際、発想の転換を試みるってのはどうだ」
「発想の転換?」
「食っても食っても嫌気が来ないってんなら、満足するくらい、美味い菓子を見つけたらどうだ」
「成程……満足したら治ると思うか?」
「やってみなけりゃ何も判らねえさ」
バルサザールはニヤリと笑い、姿を消した。