短編小説
□双翼遊戯
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「刻! 逃げろ!」
様子を伺っていた刻の耳に、張り上げられた声が届き、刻は無意識でその言葉を受け止めて言われた通りに体を避けた。
逃げろと言ったのが生徒会長であることを刻は気づいていたが、周囲の状況を見て彼に礼を言うどころではなかった。
感情が抜け落ちたように虚ろな目をして、脱力した体は操り人形のように不自然な動きをしている。そして何よりも、各々の得意とする魔法を携えて。
誰よりも先に刻に襲いかかって来たのは、隣にいた友人だった。
「……まさかお前に襲われるとは思わなかったな」
苦笑いを浮かべた刻は、離れた所で悲鳴が上がったのを聞いた。誰かが誰かを倒したのだろう。
本気であのゲームが始まっていることに今更ながら危機感を覚えた刻は、とりあえずこのヤバい状態から逃げることを考えた。
「風 収束、解放」
両手を重ね合わせて腕を真っ直ぐに伸ばし、胸の高さまで掲げ、静かに呟いた。
その言霊に反応するように、体の中にある何かが流動し、手から放出されるような感覚に包まれる。言葉の通り、周囲の空気を巻き込んで大きく集められた風が、刻の前方に向って勢いよく放出される。
突風に対して前方にいたゾンビのような生徒達は体勢を崩し、風の放出に合わせて地面を蹴った刻の体は反動で後方へと吹き飛ばされる。
「大丈夫か? 刻」
どこで止まるか決まっていないため、そのまま後方へと突き進んだ刻の背中に軽く触れた少年が、問いかけた。刻の放出していた風の元になる魔力を、刻の体内で打ち消したのだ。
ふわりと着地した刻は口元に笑みを浮かべながら彼を見る。
「当然。さっきはありがとな」
笑みを浮かべながらも、刻は真剣な眼で目の前の光景を睨む。
もう惨劇は始まっていた。操り人形のような一部の生徒達のせいで、ゲームが本当に始まっているということと、やらなければやられるという心理を生み、生徒達だけでなく先生達も本気を出して戦い始めた。
当然のように、赤い血も見えた。
「どうする? ゆっくり考えるにしてもここはあんまりいい場所とは思えないけど」
刻は隣にいる少年を見る。彼、佐伯伊織は刻の幼馴染でありこの学校の生徒会長を務めている。そう、先ほどまですぐそこにある壇上でもうすぐ開催される部活動一斉勧誘の説明をしていたところだった。
「とりあえず生徒会室に。あそこなら鍵がかかっていても俺が番号を知っている。華凛はどこだ?」
朝礼台の後ろに身を隠し、気休めではあるが暴れる生徒達の視界から存在を薄めた2人は1500人近くいる生徒達の中から一人の女の子を探そうと眼を凝らす。
伊織の一つ下の妹であり、風紀副委員長つまり刻の右腕となる部下でもある。
「お前の鈴で呼べばいいだろ。眼で探したってキリがねえ」
初めは眉間に皺を寄せて探していた刻は、人を呼ぶのに最適な魔法を伊織が得意としていることを思い出した。音を操る魔法が得意な伊織の、最もよく使うものだ。
「そういえばそうだった。音 呼びかけ、対象は佐伯華凛」
彼の言霊によって、鈴の音が鳴った、はずだ。誰かを呼ぶ時に用いるこの魔法の音は、使用者と呼ばれた相手にしか聞こえない。それはそれはとても綺麗な鈴の音なのだが。
「どうしよ伊織! クラスメイトの頭蹴り飛ばしちゃった!」
鈴の音に誘われて、漆黒の長い髪を靡かせながらスラリと細く背の高い少女が駆け寄ってきた。やや不安そうな面持ちで。
力強く意志のはっきりした丸く黒い瞳、制服を完璧に着こなすところから何となくの性格を伺える。刻が風紀委員長に任命された時、基本的には大ざっぱな刻では頼りないからと会長の特権で華凛を副委員長につけた。
「大丈夫気にするな。誰かを殴ろうと、もう誰もとやかく言わないさ。最悪殺してしまってもな」
不安そうな華凛の頭を優しく撫でながら伊織は言った。
一つしか歳が変わらず、昔から一緒に遊んでいたために華凛が伊織を兄と呼ぶことも、刻を先輩と思うこともない。当然のように呼び捨てだ。
「とりあえず生徒会室だ。刻、見張り頼むぞ」
立ち上がった伊織が、校舎を目指して走りだす。華凛がその後について行き、最後を刻が行く。
刻は伊織の言葉に小さく頷くと、神経を尖らせた。恐らくは世界中で刻だけしかできないであろう、見張りという曖昧な位置づけをされた魔法。刻がその身の中に持つ特殊な魔力によって成し得るとても便利な魔法だった。
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