短編小説

□満月の夜
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麗の足元には一つの建物があった。月夜が初めに目をつけた、家からそう遠くない老人ホームだった。辺りは深い闇に包まれ、明かりは見受けられなかった。風は生温く、それでも真昼の照りつける日差しに比べれば心地よいくらいだ。
「中に忍び込んで、1人ずつやっていこう。日本は高齢化だったよね。地球から指示を受けたの。優先的に老人を葬ることって」
多少言葉が間違っているように思えた。優先的に老人を葬るなど、そんなことを地球は言ったのだろうか。
「私達はね、その都度いく国が違うの。今は日本。次は中国かな。で、指示を受けるわ。主にどんなことをすればいいのかって。ほんとは・・・」
最後の方は、だんだん小さくなっていったため、聞き取ることができなかった。でも、月夜の表情はどこか曇っていた。
月夜は気を取り直したのか、背筋を伸ばして、麗の手を握り締めた。
「忍び込んで、ばれたらどうするの?」
「人間には見えないわ。私に触れている限り、あなたも視界から消えるの」
月夜は言い終わるとすぐに頭から急降下し始めたため、返事をすることができなかった。
風を切る音が耳に入り、変な感覚に襲われたため、周りを見渡してみると、もうすでにそこは建物の中で、所々にある蛍光灯が暗い廊下を照らしていた。
「最高速度って、どのくらい?」
麗は呆気にとられ、急降下の恐怖で握り締めていた月夜の小さな手を見てから、頭しか見えない月夜を見た。
「さあ。新幹線くらいじゃない?」
月夜は興味なさそうに無表情で答えると、麗を引きずるように引っ張り、歩き出した。静かな廊下を、音も無く歩く。足音はしているだろうが、月夜の影響で全く聞こえない。たまにある窓から、綺麗な満月が見えた。その満月の光に当たるたびに、繋いだ手を通して月夜の力が上がっていくことがわかる。
「いた」
月夜は呟くように言うと、ある扉の前で足を止めた。月夜の鋭い目は、獲物を狙う鷹のように扉の向こうを見ていた。
月夜は何も言わず、そのまま扉に直進した。麗は少し戸惑ったが、月夜を信じることにした。しかし、扉が目の前まで迫ったとき、さすがに目を瞑ってしまった。
しかし、体に何か触れた感じは一切せず、痛みもなかった。ゆっくりと目を開けてみると、目の前にはベッドがあり、そこには1人の老人が寝息を立てて眠っていた。
月夜は右手を前に突き出した。繋いだ左手から、僅かに力が吸い取られるような感じがした。月夜は暫く手を出していたが、やがてその手を、硬く握り締めた。
老人の命が、消えた。
その時の月夜の目はとても冷たく、非道だった。
やがて月夜のもとへと、純白の一枚の羽が降ってきた。月夜のものではない、少し綻びた、弱弱しい羽だった。
月夜はそれを人差し指でつかみ、麗の方へ差し出した。麗は空いている右手でそれを掴み、繁々と見つめた。
「それ、人の命。私達は命を羽に変える。奪ったときは純白の羽が、与えた時には漆黒の羽ができる。それらを地球にあげるの。そしたら、地球が元気になる。よく見て。その羽、大分ぼろぼろでしょう?それには大した力は宿っていない。地球を元気にするには、もっとたくさんの羽を・・・」
月夜は言い終わる前に、何かを察して急に剣呑な表情になった。警戒するように、先ほど命を奪ったばかりの老人を睨んでいる。
月夜が、背伸びして麗の手から羽をもぎ取った。それを、急いで蒼いペンダントの中に入れようとする。半分くらい吸収されたところで、羽はペンダントから引きずりだされてしまった。
「・・・ちっ・・・」
月夜が舌打ちした。引きずり出された羽は老人の上で停止し、みるみる漆黒へと変色していった。
「陽朝・・・!」
月夜が怒鳴るように、憎しみを込めて言った。その声に反応してか、老人の上の空間が揺らぎ、その中から1人の少女が姿を出した。漆黒に変色した羽を掴み、華麗に地へと足を下ろす。月夜とさほど身長は変わらないが、ほとんどが正反対だ。漆黒の真っ直ぐに長い髪に、漆黒のドレス。ダイヤモンドのような輝きを持った、蒼い瞳。赤いリボンやドレスのデザイン、前髪の分け方は同じだった。リボンに隠れるように首からかけられたのは、エメラルドグリーンのようなペンダントだった。
漆黒の髪は流れるように伸びている。月夜の髪は多少くせがあったが、漆黒の髪は曲がることなく流れている。どこか違和感があったのは、髪の長さだった。
髪の長さは同じだろうと思っていたのだが、陽朝の方が短かった。
陽朝の蒼い瞳が、月夜と対峙した。
蒼い瞳は、どこか悲しげだった。

                
           つづく
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