月下紫舞

□第七章 犠牲
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「どうしてあんなことになるのか、僕にはさっぱりわからないな……」

 本部長室のソファに腰掛けた理事長は腕組みをし、不機嫌そうにムスッとしながら言った。
 机に向かって仕事をしている本部長は、僅かに口元を引き攣らせる。

「……俺にはどうしてお前がそのことを知っているのか、わからん」
「どうしてって、ずっと君の隣にいたからだよ。視覚結界で隠れてたけどね」

 ウインクしながら言った理事長に、本部長はペンを止めた。背筋に気味悪い悪寒が走り、彼の言った言葉に恐怖を覚える。まるで、ストーカーじゃないか。
 今目の前で真剣に考え込んでいる理事長が本物なのか能力によるドッペルゲンガーなのか、全く区別がつかない。こればかりは正院の珠稀や暁でもわからないらしい。
 そして彼が今必死に悩んでいるのは、つい先ほどカンパニーの廊下で一悶着を起こした紫苑珠稀と椎名祐平についてだった。

「……護衛って言っても、そんなにピッタリくっつかなくたっていいだろ」
「だって、吸血鬼の血を持たない君には伝心が使えないからね。どこにいるのかわからなければ、伸ばした手は届かない……守りたくても守れないからね」

 本部長は暗い表情で黙り込んだ後、再びペンを動かし始めた。彼の言っていることは、正しい。
 吸血鬼の血を引く者同士は、いざという時離れていても伝心でやり取りすることができる。それも、複数同時に言葉を送れるというのだから実に便利極まりない。そんな力を持たないただの人間である自分は、理事長から見たら守りにくい対象なのだろう。
 本部長は深いため息をつきながらも、社長の代理として引き受けた現場指揮のための仕事に追われていた。

「珠稀くんは、一体何がしたかったんだろう? 椎名くんの手を振り払って、突き放して、余計憎まれるようなことをして……挙句、あれ程負い目にしていた祐人くんを忘れる、というか切り離そうとしていた。暁くんに気を遣って? でも、暁くんは最早そんなこと気にしていないし、想いは通じ合っていると確信しているから必要ないはずだ。何故? どうして?」

 独りぶつぶつと頭を廻る思考を口にする。本部長も一瞬思ったことを認めるが、第三者から見て珠稀と祐平のやり取りは実に不思議だった。二人とも何を考え何を思ってあんなことになったのか、さっぱりわからないのだ。
 そして悩む理由はもう一つ、あれが二人にとって最善の策とは思えなかったのだ。あの賢い珠稀が、敢えて最悪の策を取るとは思えない。それは余りにも不利で実害ばかりなのだから。
 理事長の考えが答えに辿り着くようなことがあれば多少興味がある所為か、本部長は珍しく理事長を煩いと怒鳴らなかった。

「椎名くんも椎名くんだよ。銃を構えて憎しみモードかと思いきや、途中から戦意喪失? 挙句、去りゆく珠稀くんに手を伸ばして、届かなかったからと泣き叫んで? 祐平くんの葛藤は、一体何を基準にしているんだ。ああ、心が読める暁くんが羨ましい……訳わからなくて落ち着かない」

 理事長は深い溜め息を漏らした。
 本来なら、護衛としての任を持つ椎名祐平本人が本部長と共にこの部屋にいるはずなのだが、彼の姿はそこにない。
 珠稀が去った後、泣き叫び取り乱した祐平の左腕がちょっとした暴走を起こした。傍にいたのが本部長であったためすぐに事態は収拾できて、祐平は即刻医局送りとなった。きっと今は鎮静剤を投与されて眠っているだろう。
 リニアが破壊され、一時は騒然となったものの、推定で出された死傷者数が予想外に少なかったことで人間側は少し安心の余地があった。とはいえ予断を許さぬ状況で他のことに気を取られている余裕は当然のように無いのだが、こればかりは放っておけなかった。
 なにせ、白空を倒すためには紫苑珠稀の存在が必要不可欠なのだから。そんな存在が不安定で不可思議な選択で椎名祐平の相手をしたとなれば、少しどころかかなり心配というものだ。

「はあ……考えれば考えるほどわからなくなる。君はどう思った?」
「確かにおかしいとは思った。けど、当の本人達でさえ混乱しているような状況を、俺達が理解できるとは思えないけどな」
「達……珠稀くんも?」
「そうだろう。あの顔、必死だったぞ。今にも泣きそうな顔して。アイツ……黒薙も、椎名に刀を向けてその動きに注意を払いながらも、透視ではずっと紫苑のことを見ていた。いつでも動ける姿勢のまま。今頃紫苑のやつ、泣いてるんじゃないのか?」

 ペンを動かしながら平然と話した本部長に、理事長はただただ目を丸めていた。
 本部長が言っていることは、正しい。暁はずっと珠稀の様子を伺っていたし、もし途中で泣き出したらすぐにでも掻っ攫って逃げようという態勢だった。そして、珠稀の表情は今にも崩れそうな仮面をつけていた。
 今頃泣いているかどうかは知らないが、きっと泣いているのだろう。人前では決して涙を見せない人ほど、本当は打たれ弱かったりするのだから。

「……驚いた。君がそんなにメンタル面について語るとは」
「俺を何だと思ってる」
「……不器用で無愛想で頭の固い俺様な独身男」
「絞め殺してやろうか?」

 真顔で答えた理事長に対して、これまた真顔で本部長は彼を睨んだ。
 二人にとっては現役としてPPをやっていた頃からの他愛のない会話だった。ずっと仕事をして、一体何年一緒にいたのか数えるのも面倒だ。
 今までで一番大きな仕事が、目の前にあった。そして、今までで一番大きな責任を背負っている。

「これでも、カンパニー本部のPPをまとめているんだが?」
「……僕は社長直々にカンパニー全体を陰でまとめているんだが?」

 戦場で、願わくば互いの背中を守りあい、共に闘って共に生き残れたりたい。たとえそれが叶わずとも、せめて共に、大切なものを精一杯守り抜いて、信念のために命を捧げたい。
 いつだったか若い頃、そうやって拳をぶつけ合った。
 死と隣り合わせの状況になると、なぜかそういうことを思い出す。まるで、強い意志に反して記憶が死へ向かうことを強く拒むように。生への執着を持てと、言い聞かせるように。



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