月下紫舞

□拍手用短編
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 麗らかな夏の日差しが燦々と降り注ぎ、鮮やかな木の葉の緑を輝かせる。
 綺麗に整えられた広大な庭にある、色鮮やかな花が咲き乱れる大きな花壇を前に、一人の少女が小さな手を大きく広げ、花壇を睨む。

 刹那、晴れた空に虹が浮かび上がり、花壇の土は水を吸いこみ色が変わる。しかし、水の量が多すぎて吸い込み切れず大きな水たまりを作った。
 唖然としたまましゃがみこんでいた少年はため息をつく。
 苦笑いを浮かべ、半分呆れている表情の男はただただ少女を見つめていた。
 
そして――

「珠稀! かけすぎよ!」

 怒りを露にして珠稀と呼ばれた少女の頭をぽかりと叩く女性。

「そんな、どれだけかければいいかわかんないよ! 水をやれって言ったのは母さまでしょ? ちゃんとやったわよ!」
「これはかけすぎよ! 見てわからない? 暁なんてびしょ濡れじゃない!」

 反抗した珠稀に女性は暁と呼ばれた少年を指さした。
 花壇の傍にいた暁は見事にずぶ濡れだ。漆黒の髪からぽたぽたと滴が落ちている。

「湊さん、僕は大丈夫だよ。それより花が腐っちゃうよ?」

 ゆっくりと立ち上がった暁は一瞬にして服や体を乾かした。
 湊と呼ばれた女性は暁に言われて初めて気づいたのか、慌てて花壇の大きな水たまりを操って周りの芝生にかけた。

「もうちょっと練習が必要だね、珠稀。便利な能力だからちゃんと使えるようにした方がいいよ」

 自分の失敗にやや落ち込んで脹れっ面をしている珠稀に優しい笑顔を浮かべながら男は話しかけた。

「わかってるよ、弘人さん。でも水って決まった形がないからイメージしにくいの。氷なら簡単なんだけど……」

 ムスッとしながら呟いた珠稀は小さな手のひらの上に氷の結晶を作り出すと、振り返ってそれを投げた。

「うわぁ! 何すんだよ珠稀!」
「うるさいわね機械オタク! どうせまた邪魔しに来たんでしょ?」

 珠稀の投げつけた氷を危うく顔面に当てそうになった少年は珠稀に向って怒鳴り散らした。

「凪、パソコンの修理は終わったのか?」

 珠稀とギャーギャー言い合いをしている少年に弘人は問いかけた。
 凪と呼ばれた少年は珠稀を無視して弘人の方を向いた。

「もちろん。俺に扱えない機械はこの世に存在しないのさ!」

 自慢げに言った凪に、珠稀は小声で「機械オタク」と再び呟いた。

「あらそう、じゃあこれ翠に渡してきて」
「……へ?」

 凪の手に大きな籠を渡した湊はニッコリと笑った。
 色とりどりの花がぎっしりと詰め込まれた籠は予想以上に重かった。

「へ? じゃないわよ。仕事は腐るほどあるのよ。ついでに翠のクッキー作りも手伝ってきなさい。ほら、早く行った行った」

 厳しい目で見下ろしながら凪を追い払うように湊はあしらった。
 凪は嫌そうに顔を顰めながらも家に向って走り出した。
 やがて暫く進んだところで振り返ると、湊に向って怒鳴った。

「湊さんの鬼ばばあ!」
「何ですって?! 私はまだ40にもなってないわ! 待ちなさい! 今日こそ桔梗に代わってあんたのその減らず口叩き直してやる!」

 凪を追って走り出した湊の後姿を見て、残された三人は深い溜息をついた。

「……まるで妊婦とは思えないな」

 小さく呟いた暁に、珠稀は鼻で笑った。
 弘人は茶色い髪をポリポリと掻きながら苦笑いを浮かべる。

「どこで教育間違えたかな……」

 自分の息子の態度に呆れている弘人に、珠稀は小さく笑った。

「仕方ないじゃん。桔梗さん体弱いし……。弘人さんは甘やかしすぎだし……」

 珠稀の言葉に図星らしく、弘人は眼をそらして苦笑いを浮かべた。


 まだ、一番年上の陽がお腹の中にいて、彼方も閑もいない。
 桔梗と弘人も元気に生きていて、湊と棗も連れ去られていない。

 珠稀がまだ8歳で、暁も11歳という頃。

 一番、楽しかった日々――。



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