月下紫舞
□第三章 月と涙
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人間達が夏休みという長い休暇に入る頃。
珠稀はこの季節が一番嫌いだった。
日頃はそれほど人の多くない夜の街も、夏休みだからとはしゃぐ人間たちで埋め尽くされるからだ。
そして何よりも、暑いから。
人間の体温をセンサーで測りとり、適温に調節する機能を持った冷房が設置されたリビング。
つけっ放しのテレビからはニュースが流れ続け、それをぼんやりと聞きながらソファに寝転がってノートパソコンを操作する、珠稀の姿。
そしてテーブルの椅子に腰かけ、同じようにパソコンを操作する樹の姿があった。
「……暑い」
ポツリと呟いた珠稀の言葉に、樹が眉間に皺を寄せる。
キャミソール一枚に薄い半そでの上着を軽くはおり、ショートパンツからはすらりと細く白い足が伸びている。
出来うる限りの薄着をした珠稀に反し、同じ部屋にいる樹は猛暑だというのに長そでのシャツに長ズボンを着ていた。
「お前の感覚に合わせていたらこっちが凍え死ぬ。自分の部屋に行って冷気でも何でも纏っていればいいじゃないか」
やや苛々した口調で珠稀へと言い返す樹。珠稀はその言葉にムスッとしながらも体を起こし、背中を向ける樹を睨んだ。
「だって翠さんが電気代勿体ないって言ったから! お金なんて腐るほどあるのに!」
「金は腐らないよ」
文句を垂れる珠稀に対してサラリと流した樹は、傍に置かれたコーヒーを啜る。
珠稀は思わず頬を引き攣らせた。捻くれているというか、嫌味なことを言う樹が珠稀はあまり好きではなかった。自分が率直で素直とも言えなくない性格から、相反する捻くれた性格の人は好きではなかった。
珠稀は口を尖らせながら大きな溜息をつくと、言い返すことも億劫になり、そのままパソコンの作業に戻った。
「学園に行けばいいじゃないか。吸血鬼クラスに部屋貰ってるんだろ? 学園の施設の電気代は学園持ちだから、翠に煩く言われることはないと思うが?」
拗ねた珠稀を見越してのことか、ちゃんとした返答をした樹に耳を傾けるどころか、珠稀は暗く沈んだ表情を浮かべた。
何か反応があると思っていた樹は黙り込んでいる珠稀を不思議に思い振り返り、やがてその沈んだ顔を見て小さく溜息をついた。
明らかに地雷を踏んでしまった。
「……何かあったのか?」
「…………暁と会ったらダメなんだって」
まるで父親が娘の相談に乗るように、優しく問いかけた樹に珠稀は間を置いてから呟いた。ふてくされた呟きの中に、どこか悲しみが含まれている。
樹は暫くその言葉の意味を考えていたが、あまりにも簡潔すぎることに首を傾げた。
「もっとわかりやすく言ってくれないか?」
「私だってよくわかんないけど、俊に言われて、追い返された。今は会わない方がいいとか言って……」
「なんだ、喧嘩でもしたのか」
「知らない。喧嘩なんてした覚えはないけど、暁は自分からは何も言わないからね」
珠稀はどこか寂しそうな眼でパソコンの画面を眺める。
相手の心が読める所為か、自分の中だけで留めてしまうことが多い暁を、珠稀は昔から直そうとしていた。他の人は暁と同じように心を読むなんてことはできないから、言葉で伝えなければわからないということを分からせようとしていた。
あまり効果は出ていないが。
樹はそんな珠稀をずっと見てきたが、今更大した助言などできなかった。
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