月下紫舞

□〜After Story〜
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「ロビーに未来が挨拶に来てるらしいから、ちょっと会ってくる。君も来る?」

 薄手のシャツにカジュアルなジャケットを羽織り、ラフな服装で携帯をポケットに入れる黒薙暁が静かに問いかける。
 ソファにゆったりと腰掛けぼんやりとテレビを見ていた紫苑珠稀は顔を上げると、目を細めて微笑んだ。その笑顔は彼女が眠る前と同じ全てを見透かすような深い紫の瞳で、大人びた雰囲気がさらに増した。

「今はその時じゃない。まだ誰の前にも姿は出さない」
「……ふーん。じゃあついでにチェックアウトと……マスコミを避けて出れるようにホテル側に頼んでくる」

 暁は小さく笑みを浮かべると、珠稀の頬にそっと手を当てた。包み込むような温もりに、珠稀は愛おしそうにその手を握った。
 氷のように冷たいはずの珠稀の手は、人としての温もりを持った優しさを帯びていた。心に空いていた穴が埋められ満ちたような、失った代わりに得た“何か”が、珠稀を成長させていた。

「私が眠っていた5年という時は、世界を落ち着かせるには丁度良かったみたいね……」

 暁が出て行った部屋で、珠稀はソファから立ち上がった。テレビに映された東京の様子を見つめながら、漆黒のマントを羽織り、深くフードを被った。
 姿を偽るように、漆黒の髪が輝く銀白色に染まり、暗闇で光る猫の瞳のように金色に染まる。
 テレビを消すと、珠稀は空間移動した。






「5年で……こんなにも変わるものなんだね」

 空に伸びる真新しく高いビルの屋上に降り立った珠稀は、足下に広がる景色を見て目を細めた。
 “神域の冒涜者”と言われた白空との激戦の時、この場所は砂塵に帰した。人間達が築き上げた文明も、管理された環境も、世界に誇る技術も、跡形なく粉砕された。
 しかし、5年という短くも長い年月で、無に帰した場所には既に文明が再建されている。

「白空……貴女がリセットした世界は、私が責任を持って導いてみせる」

 吹き抜ける風に手を差し伸べた。知らない世界に来たように、知らない風の匂いだった。
 珠稀は風に身を委ねるように目を閉じると、感覚を研ぎ澄ませた。空白の時間を埋めるように、世界を識るために。

――珠稀、ホテルの地下駐車場S1エリアに僕の車がある。そこに空間移動して

 目を開けると同時に、声が響いた。透視能力を持つ暁は、珠稀がホテルから出たことなどとっくに気付いている。

――わかった

 珠稀は返事をすると、ステップを踏むようにビルの屋上から飛び立った。ふわりと風に乗った後重力に従って落ちる前に空間移動した。
 車の助手席に姿を現すと、暁は既に運転席にいた。珠稀の変装を見て、失笑する。

「……奇抜すぎない?」
「逆に怪しまれるわね」

 フッと笑った珠稀は、漆黒のマントを消し去り容姿を変えていく。髪は漆黒に戻り、瞳も暗く漆黒に染まっていく。顔の輪郭も変わり髪型も変わる。
 助手席にいる吸血鬼の姿に、暁は笑みを浮かべた。

「まだそっちの方がマシだ。って言っても、陽は絶対に僕の車の助手席には乗ろうとしないけどね」
「そうなの? 嫌われたお兄さんね」

 大人びた笑みを浮かべたのは、暁の妹・黒薙陽そのものだった。姿と声は本人と寸分違わない。仕草だけが、珠稀だ。
 エンジンをかけずに車内で待っていると、スーツを着た中年の男が現れ、暁に頭を下げた。このホテルの責任者だとすぐに気付いた。

「正規の通用口は全て報道関係者に囲まれています。地下の非常連絡路を開けますので、そちらをお通り下さい」
「その連絡路はどこまで?」

 窓を開けて話す暁と男に、珠稀は興味なさそうに目線を向けなかった。男はチラリと珠稀の方を見たが、黒薙陽としか認識できていないようだった。

「首都高速道路の入口近くにある国際会館かリニア沿いの国道に面した総合体育館の駐車場まで繋がってます。どちらか選べますので、内部の標識をご覧下さい」
「あぁ、あの辺りか……それならマスコミから逃げれそうだ」
「車のナンバーを出口のセンサーに認識させておきますので、自動で開きます。万が一不具合がございましたら、私までご連絡をお願い致します」

 ICチップが内臓された名刺を受け取ると、暁は車のカードリーダーに通した。フロントガラスにデータが表示され、登録された。
 暁は小さく礼を言った。

「今後ともご愛顧お願い申し上げます」
「こちらこそ、ありがとう」

 頭を下げる男に手を振りながら窓を閉めると、エンジンをかけた。
 男が腕を回しながら非常連絡路のある方へ誘導し、暁はそれに従って車を走らせた。

「さっき母さんから電話があってね、湊さんがカンカンに怒ってるらしいよ」
「あはは……制止を振り切って飛び出して来たからね。帰ったら大人しく叱られようかな」

 オレンジ色の保安灯に導かれるように、別世界へ続く道のような連絡路を進む。たまに頭上に看板があり、出口までの距離を示していた。
 暁はオート運転に切り替えると、首に下げていたペンダントを引き出した。紫色の輝きを保ち続ける、透き通る石。
 当主の証である律石を、暁は珠稀に渡した。

「君に返さないと。僕はあくまで補佐であって、代行していただけ。この輝きはずっと変わらない紫を放っている」
「……まだいい。私が世界の前に立った時、再び指導者として世界を動かす時に……返してもらう。それまではまだ貴方が当主代行よ」

 珠稀の言葉に、暁は小さく首を傾げる。

「暫くは復帰しないってこと?」

 キョトンとした暁に、珠稀はクスリと笑う。

「さぁね。ちゃんと言うからそんなに心配しなくてもいいの! 仕事は手伝うし」
「んー……正直、早く降りたい。僕には向かないよ当主は。この5年間、ストレス溜まりまくりだよ」

 拗ねるように口を尖らせながら再び律石を首にかけた暁は、オート運転を解除してハンドルを握る。出口を分かつ分岐が、もう見えていた。
 珠稀は窓ガラスに映った陽の顔をジッと見つめてぼんやりと考える。
 これからの道筋を、計画を、そして導くべき未来を描く。生きていることに理由があるなら、自分の役目は1つしかないのだから。





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