sincere

□紡ぐ想いと繋ぐ想い
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「ε、呼んだ?」

 ノックをして問いかけると、いきなり扉が開いた。
 紙一重で避けた詩織は、中から顔を出した織葉を睨みつける。彼は暫く詩織をジッと見つめたが、やがてにっこり笑うと腕を掴んで引き入れた。

「疲れてるね」
「誰の所為よ?」
「あはは、僕の所為かな? それとも晴一?」

 部屋に入った瞬間、詩織は違和感を持った。盗聴や透視を防ぐためか、無効化の膜で部屋が包まれている。
 この基地内で、芦田晴一に手の内を明かさないためだろうか。
 ホテルの一室のようなシンプルな部屋。詩織が椅子に腰掛けると彼はベッドに寝転んだ。

「両方。後は……今の二重生活かな」

 嫌みを言うように強調させた詩織に、彼は苦笑いを浮かべた。詩織が今も特別部隊と繋がって皐月奪還作戦を計画していることを、織葉は知っていた。
 表向きは、飛田皐月の管理として詩織はシンシアに帰属した。芦田晴一を欺くために。
 シンシアに戻って実感したのは、幹部の二極化だった。そして表向きは中立の立場にいる詩織も、実際は織葉に与している。

「詩織や皐月ちゃんを巻き込むつもりはなかったんだ。内部だけで事を済ますはずだった……」

 枕に顔を埋める織葉はぶつぶつと現状を否定した。想定される事態を全て考慮して作戦を立てる織葉にとって、その緻密で完璧な計画が崩れることは“屈辱的な”想定外なのだ。
 今までにその屈辱に落ち込む兄を見ていたが、今回ほど深くはなかった。

「何が想定外だったの?」
「晴一が飛田皐月に固執したことさ。数いる多種能力保持者の中でも、敢えてリスクの高いあの子に拘った。一刻も早く手に入れようと、晴一は全てを後回しにして計画を推し進めたんだ。僕の想定外は、その晴一の“焦り”だよ」

 悔しげに目を細める兄に、詩織は小さく頷いて納得した。
 観察力に長ける織葉にとって、シンシアの幹部全員の動きは全て想定内になる。誰がどんなミスをし、その連鎖と確率、そして対策まで想定できる。
 そんな彼を裏切るのはただ一つ、“らしくない”行動だ。

「晴一さんは確実性や絶対を重視して情報を糧に生きてるような人だもんね」
「そう。その晴一が、飛田皐月に関しては不確かな情報で動くようになった。それこそ……無我夢中で。強行手段を押し進めた結果、今に至る」
「……止められなかったの?」
「立場上、僕の命令は晴一に上書きされる。尽く塗り替えられたよ。件の責任者を僕に任命したくせに、副リーダーだからって調子に乗って……」

 ぶつぶつと文句を言う兄の姿に、詩織はクスクスと笑った。今も昔も、変わらない部分がちゃんとあることに、少し安心した。
 基地の中や他の幹部の前では笑顔とは程遠い冷めた表情をしている詩織が笑ったことに織葉は微笑んだ。

「……お腹空いたね。今日のメニューは確か……煮魚、菜の花の和え物、澄まし汁に……高野豆腐、五穀米、漬け物」

 体を起こした織葉は思い出しながら呟く。言葉にした順番にテーブルの上に二人分現れる。
 そういえば、葉太が向かった食堂の前に置かれた黒板にこのメニューが書かれていたのを思い出した。今日は和食らしい。

「高野豆腐好きじゃないからあげるよ」
「いらない。自分で食べて」
「えー……」

 皿ごと詩織の方へ遠ざけた織葉に、冷たく突き返した。彼は口を尖らせて渋りながらも一気に口の中に入れて飲み込んだ。嫌いなものを最初に食べてしまうところも、変わらない。
 食堂ではシンシアに協力してくれる幹部外の能力者を“雇って”いる。働き口のない者に料理を学ばせ、食堂を任せて給料を与える。風当たりの強い能力者に居場所を与えている。

「晴一が焦らなかったら、律架さんが間に合う予定だった。詩織と警察、部活の子達が強くなれば誘拐は難航して、帰国を早めた律架さんが先に戻ってくる。飛田皐月の誘拐が成される前に律架さんはリーダーとして晴一を制し、誘拐を止めさせて罰する……はずだった」

 静かに食べる詩織に対し、箸が進まない様子の織葉は煮魚を解すのに時間をかけていた。
 確かに、芦田晴一の勝手な暴走を止める一番の方法は、天宮の存在だ。織葉の役割は、天宮の帰国まで飛田皐月の誘拐を遅延させること。

「律架さんの帰国は?」
「一ヶ月後……GWの間だ」
「それまで皐月ちゃんを幽閉するの?」
「仕方ない。出来るなら帰してやりたいよ。出来るなら……ね。僕らは彼女の脱走には荷担できない。むしろ連れ戻さなきゃならないんだ。詩織1人じゃ……晴一の相手はできないよ」

 織葉の尤もな意見に、詩織はムッと口を尖らせる。
「じゃあ私の無効化返してよ。アレがあれば……晴一さんにだって勝てる」
「うん、そうだね。けどまだ返せない」

 ふてくされたようにムスッとする詩織に、織葉は優しく微笑んだ。
 彼の素肌に一瞬でも触れることができたら、能力を取り返せる。けれど常に隙は無く、無理やり仕掛けたところで返り討ちに遭うことが見えていた。
 詩織は深い溜め息をつく。

「……どうして? なんで私から無効化を奪ったの? どうして……返してくれないの」

 俯いて語調を強めると、箸を握り締めた。
 母の死をきっかけにシンシアを脱走した時、連れ戻しに来たと思われた兄に能力を奪われた。そのまま彼は逃げ去り、詩織は父の下へ転がり込んだ。
 訳も分からず、奪われてしまった。
 織葉は暫く考え込んだが、やがて顔を上げた。今まで話すことを隠していたような表情で。

「詩織とシンシアを繋ぎ止めるためだよ」
「……?」
「律架さんは理想の実現には詩織が必要不可欠だと言った。だから……シンシアとの繋がりを完全に断ち切られてしまわないように、能力を奪った。律架さんがθの刻印を残しておくのも、詩織が必要だからだよ」

 静かに話す兄の顔は、少し寂しげだった。まるで優秀な妹の眩しさに眩むように、冴えない瞳をしていた。

「私はまだ……シンシアに戻ると決めたわけじゃない。“誰かに”必要とされる場所だけが私の居場所じゃないって気付いたから。私は、“自分に”必要な誰かと共にありたいって思えるようになったから」

 他人に必要とされること、求められることが存在理由だと思っていた。だから、三ツ星幹部として必要としてくれるシンシアが居場所だと思っていた。
 今は、違った。自らの意志で、共に居たいと思える人がいる。自分の空白を埋めてくれる、大切な人と一緒に。
 織葉はただにっこりと笑った。まるで全てを知っているように。

「あぁ、構わない。詩織が自分で進む道を決めたなら……僕は何も言わないよ。律架さんも説得するから。けどね、半端な気持ちで無効化の能力を使ってほしくない。だから僕に勝って、能力を奪い返すんだ。そしたら君を一人前と認めてあげる」

 フッと笑った織葉に、負けず嫌いな詩織は睨み返した。

「上等だわ。一発殴ってやる」
「……なんで殴られるの」
「お母さんの葬式にも来なかった! だから殴るの。それから……一緒にお墓参りに行こう?」

 唇を噛み締めて俯いた詩織の言葉に、織葉は顔を上げた。
 2人の目の前で、母は命を落とした。詩織を守るために。そしてその原因になったシンシアは、織葉を連れて逃亡した。母の葬式にも、来なかった。
 許せなかった。シンシアのしたことも、兄のことも。

「……うん、行こう。詩織にも母さんにも……謝るよ」

 パッと顔を上げた。込み上げる喜びが涙になって瞳から溢れそうだった。
 本当は知っていた。母の死に、織葉は何も関係がないことを。母を殺した奴が誰か、知っていた。

「詩織、母さんは……」
「知ってる。憎しみと怒りで力は使わない。心配しなくても大丈夫だよ」

 詩織は微笑みを浮かべ、箸を置いた。
 憎しみと怒りをぶつけても、死んだ母は帰ってこない。ただ虚しくて、余計傷つくだけだ。
 詩織は席を立つと、左手を握り締めた。刻印を通して部下に命令することができる。詩織は葉太を呼んだ。

「変わったね、詩織」
「そう?」
「大人になった」
「もう高校生なんだよ」
「……早いね。好きな人でもできた?」

 黒いパーカーのフードを被った詩織は、少しだけ振り返った。
 のんびりとまだ食事をしている織葉は、見透かすような不適な笑みを浮かべていた。
 詩織は無表情のままジッと見つめ返した。

「さぁ……どうだろうね」

 冷たく言い放つと、部屋を出た。
 廊下に出ると、窓側に葉太がもたれかかっていた。彼の左手の甲に刻まれたψの刻印が光を帯びている。

「東京に戻る」
「……了解」

 ぽつりと呟くと、葉太は刻印のある左手を差し出した。
 詩織がその手を握ると、2人の姿は消え去った。




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