sincere

□紡ぐ想いと繋ぐ想い
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 古びた洋館の中に灯る薄暗い明かり。不気味なくらい静かで冷たい石の階段を詩織は1人下っていた。
 足音だけが響く。

「コードネームθ」

 閉ざされた石の扉に左手の甲を押し当てて呟くと、重い扉はゆっくりと開かれた。
 地下にあるこの牢獄のような石造りの空間。ここに皐月が閉じ込められている。
 扉はシンシアの幹部でなければ開かず、地下室自体に織葉が無効化の能力を張っている。

「詩織さん!」

 開かれた扉から中に踏み込むと、隠れるようにベッドの裏側にしゃがんでいた皐月が飛び出した。
 詩織はにっこり笑いながら彼女を受け止めた。やせ細り、目の下には大きな隈ができ、疲れきった瞳をしていた。
 詩織は部屋にあるテーブルに座ると昼食を出現させた。シンシアが用意したものをここに移しただけ。この部屋で無効化の影響を受けないのは詩織と織葉だけだった。

「遅くなってごめんね、皐月ちゃん」
「……詩織さんは何も悪くないです。こうやって私の傍に居てくれる」

 皐月は無邪気に微笑むと、目の前の食事を美味しそうに頬張った。
 詩織が皐月の元へ来れるのは、織葉が決めた定期的な時間だけ。食事も睡眠も取らない皐月が、唯一生きようとする時間。
 彼女は詩織が傍にいる間しか食事をせず睡眠も取らない。細くなった腕が、見ていられなかった。

「今日は入学式なんだよ。新しい一年生が入ってくる。能研にも双子の能力者が仲間入りするんだって」
「どんな能力かご存知ですか?」
「あ……うん、一応知り合いだからね。けどここでは教えられないかな。皆に聞かれるといけないから」

 いつもよりたくさん食べる皐月をジッと見守りながら、詩織は小さな笑みを浮かべた。新入生の名前を聞いた時、すぐに思い出した。
 目の前でトラックと大型バスが衝突した。すぐに助けに行ったら、顔が全く同じの小学生くらいの双子が懸命に家族と乗客を守っていた。体中に傷を負いながら。

「会ってからのお楽しみですね?」
「そうだね。きっとビックリするよ……珍しくて、体への負担が大きい。多用できない能力なの」

 ぼんやりと机の木目を見つめながら言った詩織の横顔には、疲れと不安の影が差していた。皐月が生命力を吸ったわけではない。
 こうして京都にあるシンシアの隠れ家を訪れながらも、東京へ戻れば特別部隊の一員として奪還の作戦会議に参加する。

「……そんな能力もあるんですね」
「そうだよ……能力は必ずしも私達に恩恵をくれるものじゃない。私の無効化の能力も紙一重なんだよ」
「……?」

 キョトンと首を傾げた皐月に、詩織はフッと笑みを浮かべながら顔を上げた。
 自分の能力に関する秘密は無闇に明かすものではない。ましてや今詩織が言いかけたことは、シンシアの誰も、織葉でさえ知らないことなのだから。

「これ以上は秘密! お母さんと約束したからね……誰にも言わないって」
「今日の詩織さんは秘密が多いです。でもお母さまとのお約束は……守らないとですね」

 痩せた頬にふわりと笑みを浮かべた皐月に、詩織は笑って頷きながら目を細めた。
 こんなに健気に耐えている彼女に、何もしてやれない。目の前にいるのに、手が届くのに、助け出すこともできない。

「詩織さん……今日も一緒にいてくれるのですか?」
「うん。皐月ちゃんが安心して眠れるようにね」

 にっこりと笑った詩織は、完食された食器を消し去った。そもそも使い捨ての紙皿だったから。
 皐月は俯いて目を閉じると、小さな溜め息をついた。

「目が覚める度、悲しくなるのです。手を握って一緒に眠ったはずなのに、目が覚めると詩織さんはいない」

 か細い声で語る皐月に、詩織は目を細めた。
 ちゃんと睡眠が取れるように、一緒に寝る。けれど皐月が完全に眠ったら詩織は帰る。いつも、彼女の目覚めは独りになる。

「いつも思うんです。眠ってしまったら詩織さんがいなくなるなら、眠らないで一緒にいたい。独りぼっちで目覚める朝は、とても寂しい……」

 白い頬に涙が零れ落ちた。なのに、虚ろな瞳と唇には笑みが浮かぶ。
 それはとても歪で悲しい笑み。
 詩織は椅子を倒しながら立ち上がると、皐月をギュッと抱き締めた。細い肩が折れそうなくらい弱々しい。

「ごめん……ごめんね! 助けてあげれなくてごめん……傍にいれなくてごめん。私も、泣きたいくらい辛いよ……」

 涙は堪えた。助けを待ち続ける皐月に、自分は会えているのだから。この様子を水澤を介して知らされている両親や明月の方が、もっと辛いはずだ。
 せめて自分の口から伝えたかった。けど、作戦内容の漏洩を防ぐため、詩織は飛田家との接触を極力避けるよう命じられていた。
 本当は会いたくて仕方ない。会って、皐月の無事を伝えたい。

「θ、今日はもう帰るようにとωの指示だ」

 入り口の方に感じた気配に、詩織は顔を上げた。腕の中に抱き締めた皐月を離すことが怖い。
 詩織がゆっくりと皐月から離れると、皐月は名残惜しそうに手を握った。その手を振り払うように詩織は背を向ける。
 唇だけで「ごめんね」と呟いた。

「εが呼んでる。二階の北側3つ目の部屋だ」

 固く閉ざされた扉をジッと見つめながら溜め息をついた詩織に、ψ夏川葉太は淡々と告げた。
 テレポートの能力者である彼が、この基地と詩織のマンションを行き来している。詩織はεかωの命令でやって来る彼に合わせて皐月に会いに行く。

「今何時?」
「えーっと……19時過ぎ。明日何かあるのか?」

 薄暗い階段を登りながら詩織は俯いた。明日から、学校に行かねばならない。
 今までは春休みだったため、会おうと思わなければ会わなかった。けど狭い学校の中、同じ高等部の校舎で、隼人に至っては同じクラスだ。
 今の状況を問い詰められて上手く誤魔化せる程、彼らに嘘をつけなくなっている自分に気づいた。

「別に。あんまり遅くてもね……私だって疲れてるんだから」
「織葉さんと飯食ったら帰ればいい。適当に呼んでくれ」

 文句を言ってみたが、返された言葉に思わず固まってしまった。織葉と食事だなんて。
 葉太は一階のエントランスに着くとふらふらと食堂の方へ行ってしまった。
 再び溜め息をつきながらさらに階段を登った。途中、幹部以外の下っ端構成員とすれ違ったが、どうでもよかった。



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