sincere

□一歩と想い
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 施設の裏の上空に着くと、咲哉が1人芝生の上に胡坐をかいて座っていた。明月の姿はない。
 詩織はスピードを落として垂直にふわりと着地する。刹那、水鉄砲が飛んできた。
 咄嗟に芝生に転がった詩織はすぐに体を起こして身構えた。油断も隙もない。いつだって彼らの前では訓練をさせられていた。

「いい反射だ。能力を使わずにただ避ける選択をしたのもいい判断だね」

 ニッコリと笑った咲哉は、両手に水の塊を作り出し、それを様々な形に造形して遊んでいた。
 詩織はキョロキョロと辺りを見渡して首を傾げた。

「明月先輩は?」
「トイレ。昨日のアレが随分と負担になっているみたいで……訓練を始めて二回目の嘔吐だ」

 困ったように苦笑いを浮かべた咲哉に、詩織は不安げに顔を顰めた。まさか、そんなに具合が悪いとは思わなかった。
 詩織は咲哉の正面に座る。

「オーバーヒートではないんですね?」
「ああ。ペイントの能力は普通に使えているし、直感もまあまあだった。新しい能力も……使えてる」

 どこか遠い目で言った咲哉に、詩織は小首を傾げた。何かあったのかもしれない。
 詩織は小さく溜息をつくと、咲哉を問い詰めるようにジッと見た。

「何をしたんですか?」
「……昨日と同じことを僕にしろって言ったんだ。どんな能力か知るために」
「やりましたか?」
「最初は渋ったけど、やらないと僕が水で窒息させちゃうよって言ったら、やったよ」

 咲哉の言葉に、詩織は今朝届いたメールを思い出した。気絶したγを医者に診せた結果を水澤が教えてくれた。何かの圧力で首を締められた形跡もなく、外傷もない。ただ明白なのは酸素不足の状態であったこと。その所為で、一歩遅かったら心停止していたかもしれないということ。
 咲哉は水を握りつぶすように消し去ると、深い溜息をついた。

「彼が操っているのは、“空気”だ」
「空気?」
「ああ。てっきり空間系能力で真空状態にしたのかと思っていたけれど、違ったよ。僕は空気を吸うことを赦されなかったんだ」

 一瞬変な表現の仕方だと耳を疑うが、空気を操る能力を考えると、忠実に表現した言い方なのだと理解できる。空気を吸うことを赦さなかった。空気が、吸われることを拒んだ。
 空気を吸うことを赦さないなんて、すぐに人を殺せてしまうと詩織は思った。呼吸をしなければ人は死ぬ。酸素ではなく空気であるところが応用性の効く能力だが、危険であることには変わりなかった。

「どうしてまた……“空気”を……」
「聞いたんだ。あの時、何を考えたのか。彼に芽生えたのは怒りと憎しみ、そして拒絶。殺意ではなく拒絶なんだ。そして彼は考えた。どこにでもあって、誰しも必要としている“もの”、そして出来れば形のないものがいい、と」
「形のないもの?」
「形がなければ敵は何が起きるかわからない。とても狡猾で残忍な発想だよ。非能力者と同じような生活を送っていた高校生の発想とは思えないくらいにね。そんな彼の想いに、直感の能力が答えを導いたらしい。“空気”だと。だから彼はγを強く拒絶した。そして“空気”はγを拒絶した……」

 咲哉の説明に、詩織は唇を噛み締めた。彼の心に棲み付いた闇の大きさを改めて実感させられた。いつも無表情で何も映していないような瞳。それは決して感情がないのではなかった。誰よりも感情的で、その振り幅が大きいから外に出さないだけなのだ。

「詩織ちゃんが思ってるほど、彼は情緒不安定ではないよ。実に冷静だった。君に叩かれたことも、君の言った言葉もちゃんと受け止め理解した様子だったよ。あの調子だと、この合宿中に新しい能力を使いこなせるようになれる」

 咲哉の言葉に、詩織は頷く。自分の感情的な面を理解し、それをセーブできているのだから、情緒不安定なんかではない。誰よりも自分を理解している。
 むしろ感情的なのは自分自身の方だ、と詩織は反省する。




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