短編小説

□満月の夜
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篠塚麗は、ベッドの上でぼんやりと天井を仰いでいた。空ろな目に、蛍光灯の光が映っている。
前髪を掴み、明かりに透かして見てみた。僅かに、紫がかった髪。麗は、この髪が原因で学校で虐められていた。言葉による、虐め。
ただ黙って、受け入れている。それが、どれだけ苦しいか。あいつらには、わからないだろう。何度も、殺してやりたいと麗は思った。
この世に、簡単に人を殺せる業があれば・・・。
ふと、目の前の空間に、黒い穴が開いていることに気がついた。体を起こし、まだ小さな黒い穴に、手を触れてみた。――でかくなった。
人一人通れそうな大きさにまで突然膨れ上がった。
驚いて手を引っ込め、訝しげに穴を睨んだ。
すると、黒い穴の中から一枚の純白の羽がゆっくりと降ってきた。麗は思わずそれに手を伸ばし、掴んだ。

目の前が、真っ白になった。白い光が、目を刺した。
暫く経ってから恐る恐る目を開けてみると、そこには信じられない光景があった。
天使が、いた。金色の長い髪に、宝石のようなエメラルドグリーンの瞳。赤い大きなリボンが胸元についた純白のドレスに隠れるように、海のような蒼い、ペンダント。背中にはお決まりの純白の羽がついていた。
麗は驚きのあまり、唖然としてしまった。羽を握り締めた右手に、汗が滲み出る。
非現実世界が今まさに目の前にあった。
天使は麗を覗き込むようにして背を屈めた。といってもたいした身長ではないため、屈まなくても麗との目線は殆ど同じだ。
「篠塚麗?」
透き通るような、でもどこか無邪気な声だった。
「あ・・はい。あなたは・・天使?」
麗は正直に答え、思ったことを即座に口に出した。
天使は無表情のまま、話し始めた。
「本当は違うけど、だいたいそう。私の名前は月の夜と書いて月夜。姉がいて、陽朝って言うの。私達は、地球に創りだされた。人間を、管理するために。陽朝は生命を吹き込む力を持っている。私には、生命を奪う力と吹き込む力両方を持っている。ここまでいい?」
月夜と名乗った天使は、麗の目の前、布団の上にちょこんと座った。その姿は、とても可愛らしかった。
「あ・・うん、なんとなく」
麗は慌てて返事をした。いまいち頭に入っていなかったが。
「そう、じゃあ続けるわ。私達は普段異世界的なところで眠らされているわ。起こされたときは、仕事がある時。仕事は、歪んだ地球の均衡を戻すこと。だから、麗は私と一緒に増えすぎた人間を減らしていくの」
「えっ・・私と?」
「麗は私にこの地上での活動力となってもらうの。だから、一緒でなきゃ、力が使えないわ。でも、見るところ麗の生命力はなんだかか弱い」
月夜の何でも見透かしているような目と、言葉が麗に深く刺さった。麗は月夜から目を背けた。
「病気。先天性の心臓病で、二十歳までに必ず死ぬ」
麗は声のトーンを落として言った。殆どの人が知らないことを言うのは、何だか気が引けた。
麗は月夜の反応を、恐れていた。心のどこかでこの不思議な天使を求めていたから、命が僅かであることに愛想をつかされ突き放されるのを恐れた。
「ふーん。あ、そ。関係ないけど」
月夜は興味なさそうに言うと、立ち上がった。何度見ても、小学一年生くらいの身長しかない。
月夜は小さな手を伸ばし、麗の握っていた羽に手を翳した。羽は、光に包まれて麗の手から離れると、そのまま麗の体の中へと入っていった。
麗は慌ててお腹を触ったりしてしまった。
「契約の証。その羽が麗の体内にある限り、何があっても死ねない。あと、邪魔しに来るかもしれない陽朝からも守ってくれる」
月夜はそう言うとふわりと浮き上がった。空中に、佇んでいる。月夜は右手で部屋の窓を指し、左手を麗の方へと差し出した。
「初仕事に行かない? 満月の夜はいつもより力がつかえるから」
月夜は愛想無く言うと、右手の人差し指を横に動かした。窓が、勝手に開いた。夏の生ぬるい風が、部屋に入り込む。
麗は、ゆっくりと手を伸ばして、小さな月夜の手を取った。

非現実世界へと、足を踏み入れた。これからの短い人生に、希望が生まれた。

短い生命が、少し、削られた・・・。



             つづく・・・
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