夢繰

□client No.3 〜夢の夢〜
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「夢の扉ナンバー34369872、夢繰協会が管理。責任者は……げ、山ちゃん」

 手元に握った書類に目を通した恭也は顔を顰めた。足は動き続け、真っ白な空間を目的の場所に向かって進む。左右には無数の扉が果てしなく続いている。
 恭也の前を歩く結も、小さく溜息をついた。

「山ちゃんか……関わりたくないなー……」
「まあ、調査だけであまり首を突っ込まないでおこう。もうすぐだな」

 無限に続く空間の中で、結は立ち止った。右側に広がる世界の中に浮かぶ1つの扉に、結は視線を向けた。扉に金色のプレートが張られ、番号が刻まれている。34369872、先程恭也が読み上げた数字と同じだった。
 恭也は書類から顔を上げてその扉を見た。結が手招きをすると、目の前に扉が近づいてくる。

「ナンバー34369872を確認。入室記録を協会本部に転送。ゴールドクラス鈴村結及び月城恭也、捜査に入ります」

 扉の前で機械的に呟いた結は、ドアノブに手をかけた。恭也も書類を持ったまま扉に触れる。二人一緒に、扉を開けた。

 扉の中は、1人暮らしをする人の標準的な部屋くらいの、小さな空間だった。中央に木製の卓袱台が置かれ、空間の端にはブラウン管の小さなテレビがこじんまりと置かれている。やや薄れかかっている足もとは所々畳になっていて、その床には缶ビールの空き缶が幾つも転がっていた。
 結と恭也は扉の前に立ってその部屋を見渡すと、眉をひそめた。

「……変ね」
「ああ。夢世界にしては、現実感がありすぎる。それも、この持ち主の日常生活を強く反映してる」

 実際に存在するアパートの一部屋に入ったように、目の前の光景は生活感溢れる夢だった。
 そもそも夢は個人の頭の中で成り立つ秩序の無い想像の世界。日常生活を模っていても、どこか奇天烈な点が必ずある。なのに、この夢は“普通”だった。
 結は警戒しながらも一歩踏み出し、部屋をぐるりと見回した。どこか異様なところを見つけようとしたが、見当たらなかった。この夢は、夢らしくない。

「……何これ?」
「俺に聞くなよ。協会の報告書にも記されている。『夢とは思えないほど現実に近い空間』って。何らかの夢繰能力かな……」

 書類を片手にしゃがみ込んでジッと目を凝らしながら、恭也は首を傾げた。腕組みをして小さく溜息をつく結は、肩を竦めながら顔を顰める。
 この奇妙な夢を調査しろと言われても、全く意味がわからない。
 結は何か手掛かりになりそうなものを探して部屋を歩き回っていると、ふとテレビの上に置かれた一枚の写真が目に入った。報告書に添付されていた、死亡した20代の男……この夢の持ち主と、1人の女性が一緒に写っていた。背景から推測するに、部屋の中で撮られたもの。
 結は何も考えずに、その写真に手を伸ばした。

「……!」

 指先が写真に触れた瞬間、結の左目が一瞬にして桃色に染まった。写真に詰まった情報を、勝手に解析してしまったのだ。頭の中に入ってくる情報に、結はみるみる表情を強張らせていく。
 写真から手を離した結は、顔を引き攣らせたまま振り返った。

「恭也、すぐに逃げて!」

 声を張り上げた瞬間、床がふやけたように崩れ始めた。壁や天井に穴が空き、小さな白い破片となって砕けていく。
 目を見開いて驚いた恭也がすぐに立ち上がると、扉を開け放って出口を確保した。崩れていく空間を、結は破片を足場に扉へ向かう。

「結!」

 扉の世界に足をかけて扉を握りしめた恭也が、手を伸ばした。結は崩れる足場によろめきながら、力一杯手を伸ばした。
 夢世界を操る左目を何度も瞬きさせて空間を再生させようとしたが、全く効果がなかった。自分よりも強い力を以て、空間の崩壊が意図的に進められている。それだけしかわからなかった。わかっただけでも、十分なのかもしれない。

「やばっ……」

 小さく呟いた結は、扉の少し手前で欠片を踏み外した。ガクリと傾いた体は、重力に従って真っ暗な闇へと落ち始めた。伸ばした指先が、恭也の指先とすれ違い、遠ざかってゆく。
 息を呑んだ恭也の顔が、見えなくなっていく。闇に、落ちる。夢世界の、知られざる根底。

「結ぃ!」




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