封神小説

□花葬送
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桜が、舞い降りる。

淡い花びらが吹き抜ける風に流され、燦々と辺りを染めあげる。
一面、桜色に染められた川沿いの土手。
まだ冷たい風が辺りを包み込むが、通り過ぎる人々は、皆笑顔で桜を見つめている。
等間隔に立つ桜並木を抜け、あるのは芝生が生い茂る公園である。

森が作られた自然溢れる公園の片隅、そこにひっそりと立つ巨木の前で足を止めたのは、漆黒の衣を纏った男だった。
桜並木を離れたこの場所には、人の姿はほとんど無く、川沿いから喧騒がかすかに聞こえるだけである。
男は深くかぶっていたフードを取り去り、巨木を見上げる。
その容姿は幼い少年のようである。
だが、纏う空気は老成した者そのもの。
短く切り揃えられた黒髪が花を纏った風に流される。
男は深い海の瞳を細め、巨木に手を伸ばした。

「やはり、無理であったか……」

呟いた言葉は、憂いに満ちていた。
静かに立ち続ける巨木は、樹齢五百年を越える枝垂れ桜の古木であり、人々から御神木の名をいただくものでもあった。
男がこの木を見つけたのは、二百年ほど前のこと。
ふらりと立ち寄った島国。
そこで耳にした、絢爛豪華な四季折々の風景。
そのなかでも、桜が咲き誇る春は、見るもの全てを虜にする。
男はそれ以来、毎年この場所を訪れていた。

桜の巨木に異変が生じはじめたのは、ここ数年のこと。
次々に枝を落とし、年々花が減っていった。
それでも、この木は悠々と立っていた。
精一杯の力を振り絞り、花を咲かせていた。最後に見たのは、枝に数個だけ咲く花びらだった。

「長い間、ご苦労であった。お主の花は毎年、それは見事だった。ありがとう、ゆっくりと眠るがよい」

手袋を外し、触れた幹は乾き切っていた。
それでも、男は撫で続ける。
華やぐ桜並木から離れたひっそりとした場所で、枝垂れ桜の巨木は冬のまま時間を止めていた。

しばらくじっと巨木を見つめていた男の視線が、背中に移る。
感じた気配に、男は巨木から手を放した。

「お主も来ていたのか」

まだ肌寒さを残す風が吹き抜けた後、現れたのは、淡い空の色を写した衣を纏う人。
同じ色の跳ねた青い髪と浮かぶ微笑。
頭上に輝く光の輪は、変わることなく存在していた。
風が吹くたび、背中の羽を揺らす。

男は懐かしい姿に目を細めた。

「久しぶりだな」

「うん、君も」

普賢真人は自身の宝貝を胸に抱き、男の傍に立つ。
そして、命を終えた巨木を見つめる。

「お疲れ様。長い間、僕らを癒してくれた。ありがとう、ゆっくりとお休み」

男と同じように労りの言葉を巨木にかける。その眼差しはあたたかい。
かつての己を支えてくれていた瞳に、男の胸は震えはじめる。
遠く、彼方へ置き去りにしたはずの感情が蘇りはじめる。
それを押しとどめる。

男は懐から自身の宝貝を手にすると、巨木を見上げる。
細い鞭の形のそれを構えた瞬間、風が舞い上がる。
吹きあがった風は、地面に敷き詰められた花びらを巻き込み、空を舞う。

「わしからの手向けだ」

時間を止めた巨木を、花びらたちが囲う。
色を無くした巨木を鮮やかに彩る。
広く大きく伸びた枝に、満開の桜が踊る。
それはまるで、逝ってしまった古木を悼む若き桜の葬送に見えた。









風が止むのと同時に、巨木は再び静かに眠りについた。
もう二度と、目覚めることはないだろう。
男は宝貝を懐に仕舞うと、巨木に背を向け、歩き始める。
止めたのは、普賢だった。
巨木を見つめたまま、男に問いかける。

「もう、いっちゃうんだね。まだ、何も話していない」

男の足が止まるが、決して振り返ることはしない。

「話すことなどなかろう。わしは、”太公望”ではない」

発した声が震えていたが、普賢は何も言わなかった。
ただ、巨木を見つめ続ける。
再び歩み始めた気配にようやく振り返る。

「望ちゃん」

止まらない歩みに、再び声をかける。

「望ちゃん、望ちゃん」

幼子のようにただ繰り返し、懐かしい名を呼ぶ。
ようやく止まれば、深いため息が返ってきた。

「何故、わしを望と呼ぶ?」

「決まっているじゃないか、君が望ちゃんだからだよ」

ようやく振り返り、普賢を見つめる瞳にほほ笑みを返す。

「相変わらずだな、おぬしは。そうは思わぬか、普賢」

男の口から聞こえた自身の名に、普賢はさらに笑顔を浮かべた。
そして。

「ねえ、せっかくだから、お酒でも飲みながら、彼を見送ってあげようよ」

隠しておいた酒瓶を掲げてみせれば、男ー伏儀はようやく笑みを見せた。

「仕方ない、お主に付き合おう」

手を伸ばし、触れたぬくもりに普賢は目を細め、今はいない巨木に思いを馳せた。



end

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