封神小説
□その果てに続く願いは
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その果てに続く願いは
下界に降り立って、長い年月が過ぎた。
太公望としての、自身で考えれば、長いだろう。
しかし、本来の記憶を取り戻した己からすれば、ほんの一瞬にしか過ぎない。
それでも、伏羲は、いとおしいと思う。
触れてきた、すべての時代が。人々との記憶が、深く、深く、心に色濃く残っている。
「仙人様、もう、行かれるだべか?」
村の一人に、声を掛けられ、伏羲は足を止めた。
「うむ、この村は、わしがいなくとも、もう、大丈夫だ」
川の氾濫に見舞われた、この村を訪れたのは、半年ほど前だ。
何事も、力を頼りすぎてはならない。
しかし、この村の壊滅的な状況を見れば、手助けせずには、いられなかった。
伏羲は、村人たちの深い感謝と、多くの人々の見送りに目を細める。
ああ、ここは、とても、温かい場所だ。
懐かしい想いが、じんわりと、心を包みこむ。
「ではな」
さっと、黒衣の身を翻せば、そこには、彼の人の姿はなく。
ただ、心地よい風が、流れる。
〜
空間移動を使い、伏羲は、川を見下ろせる崖の上に、降り立った。
悠久に流れる川は、田畑を潤し、人々に命をあたえ、そして、海へと注ぐ。
そしてまた、水蒸気となり、雲をつくり、大地を潤す雨となる。
そうやって、廻り続けるのだ。
伏羲は、掲げた両手を見つめる。
この星にやってきた時とは、大分変わってしまった。
記憶を紡いでいても、本当に、今の己は、本来の自分だと、言い切れるのだろうか。
伏羲には、分からない。
「何を、感傷的になっておるのだろうな」
呟きに、返ってくる答えは、ない。
一人なのだと、改めて、気付かされる。
本来の己を知る者は、誰一人として、残っていない。
「故郷、か」
懐かしい、響きだ。
伏羲は、その場に座り込んだ。
触れる草花の香りが、心を和ませる。
小さな、名も知らぬ白い花に、そっと触れる。
一度目の故郷。
己が産まれた星は、この手で、壊してしまった。
悲しかった。本当に、悲しくて、辛くて、涙が、止まらなかった。
そして。
二度目に出会った故郷は、この星だった。
緑溢れる、若々しい命たち。一目で、愛することができた。
強大すぎる力をすて、この星と共に歩み始めることを、決めた。
二度と故郷を失いたくないと。そう、思っていたけれど。
それを壊したのは、同胞だった。
もう、この星を壊してはいけない。
守らなければならない。
守る為に、己の魂を分けることなど、たいしたことではなかった。
まさか、分かれた先で、再び、故郷を失うとは、思いもしなかった。
「わしは、故郷を持っては、ならぬ運命なのかもしれぬな」
太公望として歩んできた己は、再び、二度故郷を失った。
一度目は、羌族にいた頃。
一族、いや、すべての者たちが、殷王家の墓へと、埋められた。
そうして、導かれるように、仙界で修行を始めた。
沢山の者たちに、出会い、沢山の思い出をもらった。
そして、出逢ったのが。
「普賢・・・」
誰よりも、愛する人だった。
彼の人は、無くした故郷を、再び、己に与えてくれた。
それが、どれほど、嬉しかったか。
しかし、それも。
あの大戦により、失ってしまった。
「何を、しておるのだろうな」
逢いたい、と。
今だって、心が、騒ぐ。
逢いたくて、逢いたくて、堪らなくなる時もある。
でも。
「もう、失えぬのだ」
今、己にとって、故郷といえるものが、あるとすれば。
唯一つだけ。
彼の人の傍だけだ。
「普賢・・・」
もう、失いたくはないから。
誰も、傷つけたくないから。
だから、二度と、戻りはしない。
伏羲は、立ち上がると、ゆっくりと、歩き始めた。
この道の未来は、どこへと、繋がっているのだろう。
それは、誰にも、わからない。
それでも、歩み続ける。
この星を、見守り続けると、約束したから。
心に残る、愛しい人の微笑みを抱き、伏羲は、前を向き、歩く。
この星と共に、歩み続ける。
END