封神小説

□月光
1ページ/1ページ


月光


月が美しい晩だった。
聞仲との戦いの後、皆、傷ついた心と身体を癒していた。
そんな中、楊ぜんは太公望の元に向かっていた。
彼自身も、まだ完全に癒えた訳ではなかったが、何より、未だに回復せぬ己の上官が心配だった。


あの日、聞仲から仲間を守る為、宝貝を使い続けた彼は、何を想ったのだろう。
普段はのらりくらりとふざけた姿を晒す太公望からは、想像もつかぬほどの意志を感じた。

否、彼の瞳には、何時も強い決意が宿っている。

どうしても、惹かれて止まないのは、その瞳のせいだ。
青い瞳の奥には、消えることのない炎が燃え続け、太公望と対面するたび、強く強く、心に刻みこまれていく。

彼自身から滲み出る人となりが、楊ぜんを含め、誰をも信頼させてしまうのだ。



「師叔・・・」


月は、昇りはじめた、ばかりだ。





〜〜〜〜








月明かりの中、不意に影が落ちる。
音もなく地上に降り立つと、目の前にある窓にそっと触れた。
かたり、と音をたて開く。軽い身のこなしで中に入ると、そこにいたのは、紛れもない己の愛しい人だ。




「望ちゃん」




寝台に眠る太公望は、あちこち包帯を巻かれ、痛々しい。
時折傷が痛むのか、苦痛に顔を歪めている。
堪らなくなって、普賢は太公望の元へと駆け寄った。
覗き込めば、月の光に照らされた頬が青白く、汗に濡れていた。

浮かんでくる涙をこらえ、普賢は側にある手拭いで、そっと汗を拭ってゆく。
少しでも、彼の苦痛が和らぐように、彼に触れる。

懐に手を伸ばすと、忍ばせてあった薬を取り出す。雲中子に無理をいって作ってもらったものだ。

夜中に押し掛けたにも関わらず、雲中子は嫌な顔一つせず、『そろそろ、来るころだと思ったよ』と言って、己の我儘に付き合ってくれた。


薬を一つ取ると、普賢は躊躇いなく、自分の口の中に入れた。

水差しの水を少しだけ口にふくめ、太公望を見やってから、そっと唇を重ねる。
触れた彼の温もりと熱さに、目頭が熱くて涙が止まらなかった。






どれほど、経っただろうか。
先程まで、苦しげだった太公望の呼吸が大分落ち着いてきている。
普賢は、ほっと息をついた。

汗で張りついてしまった前髪を、静かにはらう。
そっと、頬に手を滑らせ温もりに触れる。

こうして、間近で見るのは、どれほどぶりだろうか。
以前より、大分痩せたようだ。
無理をしないで欲しいと願っても、彼はきっと、無理をしてでもこの計画を遂行するだろう。己の為に。
そして、苦しむ、多くの人の為に。


それでも、傍にいたいと願ってしまうのは、我儘でしかない。




「大好きだよ、望ちゃん」




彼の手助けがしたくて、彼を支えたくて、今の地位を望んだのに。
負傷した者たちの手助けすらできずにいるなど、聞いてあきれる。

半場、強引に仙界を飛び出した普賢だったが、後悔はしていない。
こうして、太公望の傍にいられるなら、怖くなどない。


それを口に出したなら、きっと太公望は烈火の如く、怒るだろう。

真っ直ぐと前を見据え、歩み続ける太公望だからこそ、きっと、甘えは許さないだろう。

でも、今だけは。
どうか、焦らないでほしいと普賢は願う。

そっと、太公望の手を握ると、唇をよせる。


どうか、彼の苦痛が少しでも和らぎますように、と。



ふと、仙気を感じて顔をあげれば、見知った顔とぶつかった。
相手も驚いたのだろう、目を見開き、固まっている。

そろそろ、タイムリミットのようだ。
立ち上がり、もう一度太公望の顔を見つめると、そっと囁く。


「また、ね」









〜〜







太公望が使う部屋に近づくにつれ、楊ぜんは妙な感覚に気が付いた。
仙道の気配がする。敵かと、身体を強ばらせた楊ぜんだったが、すぐに力を抜いた。

清廉でいて、崑崙山にいる様な、清浄さが漂う。
部屋に近づくにつれ、辺りを漂う空気が、凛と澄んでゆく。



たどり着いた部屋の前で、楊ぜんは立ち尽くした。

太公望が眠る寝台のすぐ傍。
そこに、フードを被った者が立っていた。

太公望に向かい手を伸ばすと、そっと彼の頬に触れる。
フードから覗く手は、月明かりの下、白く浮かび上がり、まるで彫刻であるかのような美しさであった。
楊ぜんは声をかけることもなく、魅入っていた。


目の前の人物は、まるで太公望を慈むかのごとく。
彼を労るように、彼の傷を癒すように、優しく触れていく。


ふと、顔が上がった瞬間。
目があって、楊ぜんは息を飲んだ。

(あ・・・)

フードから覗いた顔は美しく、まだ幼さが残るものの甘く薫る色香があった。
不思議な青空に似た髪が、月光に照らされ淡く光る。
静かな笑みを浮かべた姿に、記憶の彼方に残る情景が唐突に蘇った。

あれは、何時のことだったか。
己の師である玉鼎真人と対面していた人物の面影と目の前の人物が不意に重なった。

「普賢師弟?」


零れ落ちた言葉に、彼の人が微かに頷いた気がした。
そして、まるで、秘密だとでもいうように、人差し指を唇にあて、微笑んだ。




声をかける間もなく、彼の人の姿は消えた。
夢を見ていたのではないかとおもえるほど、その姿は幻想的で、今も楊ぜんの脳裏に、鮮明に刻み込まれている。

楊ぜんはひとつ息を吐くと、ゆっくりと太公望の元へと足を進めた。

彼は穏やな寝息をたてている。
そこに、苦痛の色は見えず、楊ぜんはようやく肩の力を抜いた。

心配だったのだろう。
彼の人は、崑崙山を統べる高仙の一人。計画遂行者が怪我をしたくらいでは、下界へ来ることなど、到底叶わない。
それでも。
こうして、逢いに来た理由は一つだろう。

「貴方は、愛されているのですね。普賢師弟に」

呟いた言葉は、きっと太公望に届かないだろう。
それでも、止められなかったのは、きっと、あの微笑みを見たからだろう。

いとおしいと、そっと触れているだけなのに、泣きたくなるほどの愛しみを全身から感じた。


穏やかな寝顔をもう一度見つめ、静かに頭を下げた。



どうか、一日でも早く、貴方の傷が癒えますように。
そう、願いながら。

楊ぜんは部屋を後にした。



月は、今も、彼を静かに見守っている。





END

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ