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□春の夜の夢
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『花さそふ
あらしの庭の 雪ならで
ふりゆくものは
わが身なりけり』
儚く灯る蝋燭が揺れた。
それは夜風でも無ければ、最近噂話になってこの界隈を騒がせている幽霊の類でも無かった。
深紅の布の海に無数の波が寄せる。
象牙の繊細な色合いを思わせる程の滑らかな肌。藍が混じる長い髪。
薄い瞼が開かれ、朱と蒼の瞳が天井を映した。
否、映し出されたのは天井だけではなく、自らの肢体の上で必死に動く男の姿だった。
荒い呼吸が狭い部屋を埋め尽くし、蝋燭の火を揺らす。
脂ぎった男の頬が、象牙色の頬に擦り寄った。綺麗な弧を描く眉が微かに歪む。
男は何度も何度も名前を呼んだ。
その度に紅色の唇から快感と思わせる声があがる。男は喜んだ。
男の動きが一層強く早くなった。
もう直ぐに終わりが来る。そう思った瞬間に、男はあっけなく倒れこんでしまった。
ぜえぜえと喉を鳴らし、白い肢体を下敷きに酸素を吸い込み、吐き出す。
紅を注した唇から息が漏れた。それは決して快楽などからくるものでは無い、溜息。
男の弛んだ体から這い出し、紅樺色の煙管を思い切り吸い込んだ。
「二刻半、ちょうどでしたね」
右の瞳と同じ色した着物を肩から気だるそうに下げ、煙管を筒に叩き落す。
小さな火種が落ちては消え、紫煙だけが部屋に漂った。
男は満足そうに口を吊り上げ、紫紺の布を畳の上に置いた。
「また来るよ」
「お待ちしています」
慣れた手つきで着物を着込んだ男は、そそくさと部屋を後にした。
煙管を筒に立てかけ、障子をするすると開ける。閉め切った部屋に冷たい夜風が忍び込み、藍色の髪を撫でていった。
「花さそふ あらしの庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり・・・・」
歪んだ口元から微かに笑い声が零れた。
朱色の着物が風に踊る。
蝋燭の火が再び揺れた。